千百七十五 志七郎、流通と競技の価格を考える事
一発の本塁打に敵も味方も忘れて両陣営の観客席から大歓声が湧く。
重い鉄球を金属の鉄槌で打った所で、野球の球程簡単に飛距離は出ない、其の為デッドボールと言う競技では本塁打は殆ど出る事は無いらしい。
どれ位の頻度で出る物なのかまで詳しくは解らないが、点数を取った側の……態々こんな遠い所まで船に乗ってニャンキーズを応援する為に遠征して来た気合の入った応援団がお祭り騒ぎになるのは当然として、敵方の応援団まで盃を掲げて大騒ぎである。
「ねーちゃん! 此方にも麦酒をくれ!」
周りの騒ぎに便乗した訳では無いのだろうが、テツ氏が樽を背負って麦酒を売り歩いて居る売り子の女性にそんな声を掛けた。
「はーい! 三十金貨でーす! 現金でも組合員証引き落としでもどっちも出来ますよー」
……三十金貨と言うと日本円に換算すると凡そ千円である、麦酒一杯でその値段は中々にボッタクリでは無かろうか?
とは言え興行の類で売られている物がお高いのは向こうの世界でも割と普通に有った事だ。
前世も今生でもお世話に成った、狸寺と呼ばれて居た向こうの世界のお寺でも、秋口に行われていた縁日では会場の直ぐ外に出れば便利屋で百五十円で売られている清涼飲料の類が三百円でも売れていた覚えが有る。
残念ながら球場で野球観戦をした事は無いので、あの場で売られている麦酒が幾らの値付けがされて居るのかは知らないが、もしかしたら同じくらいの価格で売られている可能性は十分に有るだろう。
と言うか飲み物の類は多くの場合、飲食店なんかで注文すれば店の利益が上乗せされる為か、便利屋で買うよりも割高であるのが普通だった筈だ。
俺が前世に良く食べていた揚げ鶏専門の早飯屋でも、大きい飲み物は三百円位で大体便利屋の百五十円で売ってる|樹脂瓶と同じ位の量だった覚えが有る。
飲食店のソレは紙盃と氷に蓋なんかに加えて人件費も費用として上乗せしなければ成らないのだからボッタクリだとまでは思わないが、同じ値段で同じ量を飲みたいならば飲食店より便利屋、便利屋よりも超商店で買えば良い。
まぁ富士山の上に有る自販機で売ってる水の値段が、其処までの輸送費等などが上乗せされてえげつない何て話も有ったし、物の値段は需要と供給で変わるのは当然と言えば当然の事である。
とは言え小売店から商品を買い占めて、売り惜しみする事で値段を釣り上げる様な真似をするダフ屋の様な阿漕な真似をする連中が良いとは思わんが……。
野球や拳闘なんかでも観戦券が即日完売する様な人気の試合を指して『白金観戦券』等と呼び、ソレを転売する事で利益を得るのは、一部の暴力団の資金源にも成っていた覚えが有る。
だが俺が知っているそうしたダフ屋と言う奴は、一般客が買える普通の観戦券を買い占める様な真似をするのでは無く、暴力団が未だ興行師と呼ばれていた頃の付き合いなんかを利用して『関係者席』を押さえる事で観戦券を確保して居たので少し違うかも知れないが。
寧ろ厄介だったのは国際電子通信網が一般的に使われる様に成って、競売や自由市場の名を冠する物で対面する事無く匿名での取引が割と自由に出来る様に成ってからだろう。
幸か不幸か俺が四課長に成ってから、暴力団絡みでその手の商売をして居ると言う様な事件の捜査をする事は無かったが、他県の同業者からはその手の買い占め行為に、暴力団崩れの所謂『半グレ』連中が手を出していた何て話を聞いた覚えが有る。
此れは極めて個人的な見解だが……国内向けにだけ販売されて居る物を外国人が買い付けて自国で転売すると言うのであれば、ソレは行商人とか旅商人とかと同じでギリギリ合法だと思う。
対して国内向けの商品を自国の人間が買い占めで市場から駆逐した上で、自国内の通販や競売に自由市場何かを使って値段を釣り上げる行為は、本来業者が得るであろう市場を潰してしまうと言う意味で駄目だと思うのだ。
兎角、物の値段は売り手と買い手で双方合意出来る価格で有れば、買い占めや脅迫に詐欺の様な不当行為さえ絡まない限りは、多少の差なんてのは気にするべき事では無いと思う。
其の辺の砂糖天麩羅屋で売っている『チュロス』と、浦安辺りに有る夢の国で売っているソレは、品質に大きな差が無いとしても後者には『夢の国で食べる』と言う『行為其の物』に価値が有ると客が判断するから、倍以上の値段でも買う訳である。
実際、其の売り子も俺達が余所者だからとボッて居る訳では無い様で、周辺に居るニャンキーズ応援団にも同じ値段を吹っ掛けて、其れでもガンガン売上を稼いで居た。
と、観客席がお祭り騒ぎで昼間っから麦酒でどんちゃん騒ぎを繰り広げている間にも、王と呼ばれた漢は前を走る走者達と続け様に一塁、二塁とゆっくりと走り、本塁を踏んで仲間達と篭手をぶつけ合わせて喜び合っている。
こうして零対三と点差が産まれた状態でニャンキーズの攻撃は未だまだ続くのだった。
本塁打を打たれ意気消沈する事無く気合の籠もった投球で後続を切って捨てた投手は、其の後一人の走者を出す事も無く六回の裏の最期の打者を球場に沈めた。
そして運命の七回表、此処でレッドブロックスが最低三点を取らなければ、七回裏ニャンキーズの攻撃を行う事無く試合終了となる。
此処に来てニャンキーズ側も既に二回目の投手交代して、逃げ切る気満々の状況では有るが、レッドブロックスに勝ち目が全く無いと言う訳では無い。
「デッドボールは一試合毎に出せる選手の数は全部で十五人まで、其の中でも投手は三人までって取り決めが有るからな。此処で同点に持ち込んで裏を守りきって延長に縺れ込めば未だ勝負は解らねぇぞ」
知識は有った物の実際の試合は見た事が無かったと言うテツ氏は、今回の観戦でデッドボールの魅力に取り憑かれた様で、周囲のニャンキーズ応援団に睨まれて居る事にも気づかずレッドブロックスが逆転する可能性を口にする。
「いや……その兄ちゃんの言う通りだ、此処で気を抜いて逆転される可能性が全く無い訳じゃぁ無い。此処で勝てば今年は二十年ぶりに優勝の可能性だって出てくるんだ! お前等! 気合入れて応援するぞ!」
しかし誰かがソレを咎め立てるよりも早く、長老と呼ばれていても不思議では無い程に年配の応援団が、周囲の応援団達にそんな言葉を掛けて鼓舞の声を上げた。
……そうか、ニャンキーズってキング・ジョージと言う伝説級の選手を擁して居るのに二十年も優勝から遠ざかっているのか。
でもまぁ団体競技は一人だけ強い者が居ても早々勝てる物じゃぁ無いからなぁ。
事実、キング・ジョージもあの代打の打席で本塁打を打った後は守備に付く事も無く、別の選手に交代して座席に下がってしまって居る。
デッドボールでは野球と違って一度交代した選手の再出場は認められて居るそうなので、先程の様な大量得点の好機が巡って来たならば再び代打として打席に立つ事は有り得るのだろう。
テツ氏が先程口にした通り、デッドボールでは一団体で一試合に出せる選手は、投手三人を含めて総数十五人までで、その範囲の中で有れば守備と攻撃で殆どの選手を入れ替えると言う戦術を取る事も出来るらしい。
聖歌使いが審判を勤める競技である以上は、怪我に依る故障の心配も無い訳だし、強打者である彼を好機以外は引っ込めて置くと言うのも不思議な話だが、きっと何か理由が有るのだろう。
……一打席立つ毎に金貨数万枚支払う契約でニャンキーズに所属しているとか、そう言う可能性も有るんじゃ無いか?
此方の世界の運動競技界隈には詳しく無いが、前の世界でも一試合二千五百万の男や、一球三千万の投手なんてのも居たとか、何処かで聞いた覚えが有るしな。
そんな事を考えながらも、周囲の酔っ払い達に迎合してニャンキーズに声援を送って居る内と……
「ストライク! バッターアウト! スリーアウト! ゲームセット!」
最期の打者が討ち取られ七回の裏を待つ事無く試合は終了し……対面の客席から暴徒化した観客が球場へと傾れ込んで行くのを目の当たりにするのだった。
9月1日は外出する用事が有る為、執筆更新の時間が取れません
其の為次回更新は9月2日深夜以降となります
ご理解とご容赦の程宜しくお願いいたします




