千百七十二 志七郎、甘橙果汁に難儀し死球を目の当たりにする事
分前の話が終わったら後は打ち上げって事で、大人三人は叉焼らしき物を摘みながら麦酒を一杯呑み干すと、女性給仕にお代わりを注文する。
俺達もツマミを摘みながら甘橙果汁を口にするが、果汁十割無調整のソレは、前世に便利屋なんかで手軽に買えたソレと違って一気に呑み干す様な物では無かった。
仕方なくちびちびと舐める様に飲んで居ると……
「お!? そろそろレッドブロックスとニャンキーズの試合が始まる時間じゃね? 早く行かねぇと良い席が無く成るぞ!」
先に酒場に居た冒険者の一人がそんな声を上げると同時に、多くの若い冒険者達が席を立ち始めたのだ。
「……試合? ターさん、何の事か解るか?」
アシャンティ公国や南方大陸特有の催し物で有れば、其れを知っているのは案内役のターさん位だろう……と思い俺はそう問いかける、
「レッドブロックスは解んねぇが、ニャンキーズならイングリッド王国の確か……ヨーク州のチームだった筈だぞ、デッドボールの」
すると其れに答えたのはターさんでは無くテツ氏だった。
彼の言に依ると、西方大陸の僅かに東方に浮かぶイングリッド島と言う島は、其れ一つでイングリッド王国と言う都市国家と呼ぶには少々大きな国家で有り、ニャンキーズは其処の行政区の一つで有るヨーク州と言う所を拠点とする運動競技団体らしい。
……此の世界に格闘技以外の運動競技なんて有ったのか!? と言う驚きを隠しつつ、其の『デッドボール』と言う物に付いて聞いて見ると、大凡の所は向こうの世界の野球に近い物の様では有る。
「デッドボールは西方大陸でも東海岸側の方で流行ってる奴でな、団体も大体は海岸沿いの都市国家に多くて他所の団体と試合をする時には船で移動するって聞いてたが……アシャンティにも来てたんだな」
ワイズマンシティの有る西海岸側にはデッドボールの団体は殆ど無いそうで、テツ氏も噂には聞いた事は有るが試合其の物を見た事は無いと言う。
「今日はもう酒を飲んで飯を食って寝るだけだし、折角だから其のデッドボール成る物を観て行くと言うのも一興では無いか?」
同じくデッドボールの話は聞いた事が有るが、観戦経験は無いらしいワン大人もビールの盃を傾けながらそんな言葉を口にした。
「まぁ観る分には中々に面白い物では有るがのだ。私としては参加したいとまでは思わないが……とは言え未開拓地域の精霊信仰の民の中には、アレに出て有名に成ったり大金を稼ぐ為に外の世界を目指す者も居なくは無いのだ」
知り合いが一人、此の街を拠点とする団体であるレッドブロックに所属して居るのだと言うターさんの言に依れば、デッドボールは向こうの世界の職業野球同様に、上手く活躍する事が出来れば膨大な年俸を得る事も出来るのだと言う。
其れにしても……死球とは何とも嫌な名前だな、向こうの世界の野球なら下手に其れを繰り返すと揉め事にも繋がる危険行為と一緒じゃないか。
と、俺がそんな事を思って居る内にも大人三人組が観戦の方向で話を決めたっぽいので、俺はお連を見やって軽く頷き甘橙果汁の入った盃をさっさと片付ける事にしたのだった。
デッドボールが行われる競技会場は冒険者組合から然程離れて居ない場所に有り、競技開始まで未だ少し有る時間に来れた事で、そこそこ良い席の入場券を買う事が出来た。
俺達が買ったのはニャンキーズの待機席側で敵方の為に未だ席が売れていなかった場所で、御値段一人頭で九十金貨で、日本円の感覚なら三千円と安くは無いが高くも無いと言った所だろうか?
パッと会場を観る限りでは、前世の世界の三角ベースの様な感じで、本塁の他に一塁と二塁が有るだけで、三塁が無いのが特徴的と言える。
「うわ、こりゃ確かに一般に普及させるのには無理が有るわ」
選手が球場に出て来た姿を見て、俺の口から思わずそんな言葉が転出る。
なんと両団体の選手全員が頭の先から足元までガッチガチの板金鎧に身を固めて出てきたのだ。
魔物素材を使った本格的な上級冒険者の其れと同等の品かどうかまではハッキリとは解らないが、普通の金属で作った物だとしても、上手く重量を分散させる事で動ける全身鎧と言うのは、材料費的にも技術料的にも決して安い物では無い。
「しっかしあの鎧を着てあんだけスムーズに動けるだけでもスゲーぞ。アレを同じ様な鎧を仕立てると成ると本当にどんだけ掛かるんだ? 流石に真の銀とか魔法金属で作ってる訳じゃ無い筈だしなぁ」
しかもあの手の鎧は基本的に一点物の受注生産品なので、選手全員分誂えると成ると、生半可な金持ちではあっさりと身代を潰す事に成るだろう。
テツ氏が口にした真の銀で全身板金鎧なんぞ作ろうと思ったら、今回の人食い加加阿の猪口齢糖の売上全てを突っ込んで一着出来るかどうかも怪しい所らしい。
と、そんな事を話している内に試合開始の時刻が来た様で、防御側の選手が七人球場へと散らばり、攻撃側の選手が厳つい戦鎚を片手に本塁の上に仁王立ちした。
「プレイボール!」
審判の掛け声と共に、投手が本塁の上に立った打者に向けて、鉄で出来た拳大の金平糖の様な物を投げつけた!
弾丸の様な勢いで飛んで行く先は明らかに打者の顔面である! そりゃデッドボールなんて物騒な名前に成る筈だよ!
そのまま当たれば幾ら防具でしっかりと身体を固めて居ても命に関わるだろう鉄球を、打者は手にした戦鎚を見事なアッパースイングで振り抜き打ち上げた。
「オーライ……オーライ!」
しかし打球は今一つ伸びる事無く外野に捕球され、
「アウト!」
無情にも審判が一死を告げる。
アレ捕球する側も一歩間違うと命を落とす危険が有るよな?
前世にテレビで見た『珍プレー好プレー』なんて番組で、普通の野球ですら打ち上がったフライの捕球に失敗してヘディングを噛ます……何て映像を見た覚えがあるが、此処で其れをやると多分酷い事に成る。
次の打者は本塁を跨ぐ様に立つのでは無く、野球の様に本塁の脇で戦鎚を構えて立った。
野球で言う捕手が居ない此の競技だと、正球と悪球の判別はどうなるのだろうか?
と、思いながら観ていると、投手はまたもや打者を目掛けて鉄球を投げつける!
すると素早く半歩身を引いたレッドブロックの二番打者は、野球で打者がそうする様に横薙ぎの一振りで見事に鉄球を打ち返した。
二塁線へと引っ張り気味に打った鉄球は棘が地面に引っ掛かる為に、普通の球の様に転がる事は無く、圏外線を超える事無く地面に突き刺さる。
一番近くに居た投手が其れを拾い上げる前に、打者はあの重そうな板金鎧にも拘らず、一塁へと走り抜けて居た。
途端に巻き起こる歓声と怒声、歓声で湧いているのは当然向こう側の客席で、怒声で溢れているのは此方側の観客席だ。
この辺は普通の野球と同じ……なのか? 実は前世に野球を球場で観た事無いんだよなぁ。
運動競技の試合絡みだと野球賭博の様な暴力団が裏に居る違法賭博に絡む捜査とかに参加する事が多かったから、どうも平素な目で運動競技を観る事が出来なかったんだ……暴力団に脅されて八百長したとかそう言う話は幾らでも有ったしねぇ。
と、そんな事を思い出して居る間に三番目の打者が本塁を跨いで立つ、うん……此れは何となく解る、一番打者と同じ様に打ち上げを狙って犠牲フライを上げるんだろう。
しかし投手も当然其れを読んで居た様で、投げつけられた鉄球は顔面では無く土手っ腹を狙った物だった。
残念ながら其れを予想していなかったらしい打者は、慌てて戦鎚を振る角度を変えようとするも……間に合わず、金属に金属が減り込むエグい音を立てて鎧に覆われた腹へと突き刺さり打者は崩れ落ちた。
「スリー、ツー、ワン……アウトー!」
どうやら審判が三つ数える間に立ち上がる事が出来なければ死亡と言う判定の様で、其れを告げる声が高らかに球場へと響き渡るのだった。




