千百七十 志七郎、冒険者組合に行き御約束に遭遇する事
マリウス氏から金……と言っても七十二万金貨と言う途方も無い額面を現金で手渡された訳では無く、冒険者組合や火元国の両替商である『十一屋』に持ち込む事で現金と交換される小切手の様な物を受け取って俺達は組合へと足を向けた。
冒険者組合は西方大陸では大体何処の都市国家でも『豪華過ぎず』かと言って『舐められない』程度には立派な建物を使うのが普通らしく、此のアシャンティ公国では回りの赤煉瓦よりも少しだけ明るい赤の煉瓦で建てられている。
上下を完全に閉じていない西部劇の酒場なんかで見られる様な扉を押し開けて中へと入ると、其処には外の暑さが嘘の様に涼しい空間が広がって居た。
「此れは……誰かが精霊魔法で冷やしているのか?」
日向と木陰程度の温度差では無い、前世の世界で夏場に便利屋へ入った時に感じる少し寒い位の温度差が有ったのだ。
扉がもっと気密性の高い物だったならば『煉瓦の建物ってこんなに涼しいのかー』と呑気に思い込んで居たかも知れないが、此処の入口に付いて居るのは簡単な自在戸が二枚きりで、外気と完全に隔てる様な機能は無い。
にも拘らず此処までの冷気を感じると言う事は、熱属性か氷属性の精霊魔法を使って居ると想像するのが普通だと思う。
「あら残念、此の冷気は精霊魔法じゃぁ無くて北方大陸の錬玉術で作られた術具の効果よ。精霊魔法で冷やす事も前はしてたんだけれども、馬鹿が馬鹿をやらかした時に他の魔法を即座に使える様にするには此方の方が便利なのよね」
俺の呟きを聞き取ったらしい受付帳場に座って居る三十路手前位の女性が、掌の上で火の玉を出し其れを握り潰すと即座に水の玉を浮かべる……等と言う高等技術の無駄遣いを見せながらそんな言葉を口にする。
無詠唱魔法とは言っても実際に何の詠唱も無く精霊魔法を使う事は出来ない。
精霊魔法を学ぶ上で最初に教え込まれるのは『精霊魔法は思った通りに動かない、詠唱した通りに動くのだ』と言う格言である。
此れは精霊魔法使いが呪を編んだ時に精霊や霊獣が誤解する様な詠唱を行えば、意図したのとは全く違う形で魔法が発動する事が有る、と言うの戒める言葉なのだが、同時に契約した精霊や霊獣を粗略に扱うと魔法を使う際、曲解され酷い目に会う事も暗示して居た。
其の為、短縮詠唱を成り立たせる為には精霊や霊獣と絆を深め、ツーと言えばカーと返って来る程の相互信頼関係が必要と成って来るのだ。
此処で無詠唱魔法に話は戻るのだが、詠唱と言うのは何も言葉に出すだけが其れとは限らない。
向こうの世界の日本人の感覚で解り易いのは、仏教宗派の一つである密教なんかで使われる『印』と言う物なんかだろう、手と指を特定の形に組み合わせる事で其れに意味を持たせた物だ。
有名な所で『臨兵闘者皆陣烈在前』の『九字』と言うのが有るが、俺が向こうの世界で子供の頃にやった密教を題材にした実写映画のお陰も有ってか、俺の世代だと割と組める者は居た様に思う。
兎角、其れと同じ様に特定の手や身体の動きを詠唱代わりにする事で、精霊魔法を素早く発動する事が出来るのば無詠唱魔法と言う技術である。
此れが高等技術とされて居るのは、下手な動作を詠唱の代替として紐づけてしまうと、意図して居ない時に魔法が暴発してしまう恐れが有るからなのだ。
故にお花さん級の大魔法使いでも、安易に無詠唱魔法を契約している精霊や霊獣に教え込む様な事はしない……と言うか、強い精霊や霊獣と契約していれば居る程に無詠唱魔法の危険度は増す為、高位の魔法使い程使わないと言うべきか?
とは言え、此処の受付に居る彼女が魔法使いとして優れて居ないのかと言えばそんな事は無い。
少なくとも無詠唱で火球の魔法を発動させずに中断し、其処から水球の魔法を同様に中断するなんて真似をしてみせたのだ。
恐らく此処で暴れる様な馬鹿が居た場合には、魔法を中断する事無く其の儘発動させて慮外者を焼いたり、頭を冷やしたりする事が出来る筈である。
「で、今日は冒険者組合にどんな用事かしら? 言っちゃ悪いけど、此の街の組合は性質の悪い冒険者も来るから、あんまり御子様が彷徨くには宜しく無い場所なのよねぇ」
溜息を吐きつつそんな事を言う彼女の視線の先には、恐らく酒場兼待合室と言った感じの冒険者の溜まり場へと続くだろう扉が有った。
「南方大陸から来る冒険者って人間以外の種族に対して差別的だってだけじゃぁ無くて、基本的に世界樹諸島と南方大陸以外の大陸を見下している人が多いのよねぇ。その上相手の実力も碌見極める事も出来ない奴が多いしねぇ」
やれやれと言わんばかりに肩を竦めて首を降る受付嬢……と言うには少々強すぎる気がしないでも無い女性。
無詠唱魔法もそうだが、高さ的に恐らくは椅子に座って居るのだろうが、其れにしたって体軸のブレの無さが過ぎる……其処から察するに武術か体術の方でも相応の実力者なのだろう事は、ある程度見る目が有る者ならば容易に解る筈だ。
多分、南方大陸から来る冒険者は、そうした彼女の実力すら見抜く事が出来ずに横柄な振る舞いをするのだろう。
「今回の仕事で得た依頼料の証文を換金と分前の分配をしに来た。宜しく頼むぜ魔女の弟子さんよ」
今回の冒険の発起人は俺では有るが、冒険者組合所属のテツ氏が対応する方が良いと判断したらしい彼は、そう言いながら此方に証文を渡す様に手仕草で合図した。
「うわお……此の額を一気に引き出すのは流石に勘弁して欲しいわね。分配の話し合いが終わったら其々の組合員証に振り分ける形で良いかしら?」
証文に書かれた額面を見るなり軽く口笛を吹いてから、彼女はそんな提案をして来た。
「ああ、其れで構わないぜ。手癖の悪い連中が来てるって言うなら其れこそ余計な銭を見せびらかす様な真似をすれば面倒事にしかならねぇもんな」
どうやらテツ氏の態度を見るに割と一般的な対応の様で、証文はそのまま彼女に預けて代わりに木札を一枚受け取ると、酒場兼待合室の方へと顎を向ける。
要するにそっちで軽く何かを摘みながら分前の計算をしようと言う事だろう。
実は俺やお連は、冒険者組合に打ち上げや依頼待ちの為に使われる酒場が併設されて居る事が多い事は知っていたが、未だ酒を呑む様な年齢では無い為に、立ち入った事は無かったりする。
……うん、な~んと無く嫌な予感がするんだよなぁ、何て言うか御約束的な絡まれ方をするとかサ。
そんな事を考えながら、テツ氏ターさんワン大人の後に続いて酒場へと繋がる扉を潜る。
すると居るわ居るわ昼間っから呑んだくれてる社会不適合者《冒険者》達が……。
あっちの明らかに疲れたっぽい顔している者が混ざっている徒党は、恐らく仕事が上手く行かなかった残念会の様な物だろう。
其の反対側の隅っこの方で輝かしい笑顔で盃を交わしている連中は、仕事が上首尾に終わった打ち上げなんじゃないか?
とは言えこの辺はまぁ良い、問題は……あからさまに酒に呑まれてるっぽい少し草臥れた連中だ。
前世の俺と同年代位に見える三十路周りの野郎だけが集まった徒党が幾つか居るのだが、そうした者達の殆どが余り宜しく無い酔い方をして居る様に見えるのである。
良い年をした大人が碌に酒の呑み方も知らないと言うのは恥ずかしい……等と向こうの世界で口にすれば『酒絡みの嫌がらせ』と訴えられる事も有るだろうが、年相応の遊び方を知らないと言うのは恥では有ると思う。
二十歳そこそこの若造が無茶な呑み方をしてヘベレケに成って家に帰る途中の道端で寝込んでも其れは若さ故の過ちであり、そうした失敗を繰り返して自分の限界を知って行く物だろうし、年長者はそうした経験を積む手助けをするべきだと思うのだ。
対して三十路、四十路とも成れば相応に経験を積んで、落ち着いた呑み方や遊び方を知っていて然るべきではなかろうか?
「んだぁ……なんで子供が酒場に居るんだぁ? 此処にゃぁママのおっぱいは無いでちゅょ……てか?」
はい、来た御約束の奴……そんな台詞を吐きながら下品な笑い声を上げるおっさんに俺はそんな事を思い溜息を吐きそうに成って、慌てて其れを噛み殺したのだった。




