千百六十八『無題』
「此度は愚息が精霊魔法学会の名誉をいたく傷付ける発言をした事を陳謝致します。我が帝国では彼の王が国を滅ぼした者と言う風評が有るのは事実ではありますが、国を出た後に彼が為した数多くの偉業は今上皇帝陛下も認める所に御座います」
……全く、何故一国の王である私が態々斯様な場所まで出向いて、亜人如きに頭を下げねば成らんのだ。
幾ら皇帝陛下の意向とは言え、この屈辱は筆舌に尽くし難い。
しかも歴史書に名を残す愚王を指して、彼の者を称える言葉を吐かねば成らぬとは……先祖に対して申し訳が無くて涙が溢れるのを止める事すら出来ぬ。
まぁこの場では謝罪の涙と向こうが思ってくれる可能性が有るが故に敢えて我慢する事無く垂れ流して居るのだがな。
「……謝罪の言葉は受け入れるわ。それにあの子も只の慮外者と言う訳では無く、自身と一対一で喧嘩した亜人に対してその実力を認めて、不当な方法での処罰させようとする様な真似はしなかったわ。つまり彼が我が師を侮蔑したのは今までの教育の結果よね」
私の長女よりも年若い小娘にしか見えぬが、相手は三百年以上の年月を生きて来た魔物だ、見た目で侮れば即座に命を落とす。
何よりも奴は精霊魔法学会の中でも最も危険な戦力であり、単独で国を滅ぼせる存在である証明とも言える『色の階位』を名乗る事が許された者の中でも、最長老とも言える立場の者だ。
此処で対応を間違える様な事が有れば、我が国には数え切れない程の『流星』が降り注ぎ、一人の生存者も残る事も無く滅び去る事に成るだろう。
仮にも帝国の一角を担う我が国がその様な事態に成った場合、今上陛下は果たして帝国を挙げて精霊魔法学会を討伐する為に海を渡ってくれるだろうか?
先帝陛下の御世であれば迷う事無く自分の命を溝に捨てる覚悟で、此の忌々しい女狐に刃を突き立てただろう。
良くも悪くも先帝陛下は人間至上主義と言う帝国の至上命題を殊更に大事にしており、幾ら強力な能力を持った精霊魔法使い達の集団を敵に回すとしても、亜人如きに舐められたままにはしない苛烈さをお持ちだった。
しかし今上陛下は歴代皇帝の中でも稀に見る穏健派で有り、豊穣神イリスティーナ様の敬虔な司教だ。
人間を生み出したのは戦神ノルベリウス様と豊穣神イリスティーナ様の夫妻だが、夫のノルベリウス様が『強さこそ正義』『戦い勝ち取れ』と言う教義なのに対し、妻のイリスティーナ様は『守り育てる事こそを大事にせよ』と教えられて居ると言う。
我が国の国教会も夫婦神の教えに従い富国強兵に努め、魔物達や他国から祖国を守る努力をし続けて居るが、何方かと言えばノルベリウス様の教えの方が優先される傾向に有る。
幸か不幸か我が国は国土の大半が渓谷の間に有り決して住み易い土地では無いが、鉱物資源に恵まれている為に比較的裕福と言える国だ。
故に何時だって富を狙う隣国からの侵略に備え続ける必要が有る……と、先祖代々平和呆けする事無く貪欲に強さを求め続ける事が出来て来た。
今回問題を起こした馬鹿息子も騎士を名乗るに相応しい男に成る様に幼い頃から厳しく育てて来たが、残念ながら南方大陸に伝わる幾つかの魔法に対して適正が全く無かったが故に最後の望みを掛けて精霊魔法を学ばせる為に留学させたが失敗だったかもしれん。
「それにそろそろ南方大陸の亜人……今は敢えて此の言葉を使うわ、亜人に対する扱いを変えて行く必要が有ると私も、貴方達の頭で有る皇帝陛下もお考えの様なのよね」
私の考えを遮る様に目の前の魔女が信じられない言葉を口にした。
曰く、南方大陸に置ける人間至上主義政策が世界樹の神々に許されているのは、決して人間が亜人と比べて優れた種族だからと言う訳では無く、過去に亜人達に支配され酷い仕打ちをされて居た時代が有るからこそ黙認された言わば『お情け』なのだと言う。
しかし帝国臣民はそうした歴史を忘れ、今度は逆に亜人達を劣等種と蔑み、優等種である人間が他種族を隷属させるのが当たり前の様に成っているのが問題なのだそうだ。
とは言え其れを南方大陸の中でだけやっている分には、世界樹の神々も精霊魔法学会も問題にしようとはしなかった。
けれども大陸間での船舶の往来が増加して来た昨今では、他の大陸に出た者が南方大陸の価値観の儘に振る舞い、亜人を無理やり奴隷にしようとする様な案件がそこそこ有るのだと言う。
……つまり家の馬鹿息子の件は氷山の一角に過ぎず、王族と言う立場の者がやらかしたからこそ、態々皇帝陛下から私に此処まで出向いて謝罪する様に命が下ったと言う事か。
正直な話、我が国も亜人……特に山人の奴隷が多数居り、彼等が危険な鉱山仕事を回して居るからこそ、国土の割に裕福な暮らしが出来て居ると言う側面は有る。
だがもしも奴等に対して、全うに人間を雇うのと同等の待遇で働かせると成ると……数年で財政が破綻する事に成るだろう。
いや……我が国は他所と比べたら圧倒的に税の類が少ないのだから、もしも帝国の政策が変わるのだとすれば、奴等の賃金分だけ税を取る様にすれば良いだろうか?
まぁ幾ら目の前に居る性悪で凶悪な魔女に促された結果、皇帝陛下が改革を打ち出したとしても、其れに反発する王国は決して少なく無い筈だ。
我が国の様に重労働の類を奴隷に丸投げして居る国は決して少なく無いし、民達だって昨日まで奴隷として使役して居た者達が、今日から同じ人類だと言われても直ぐに受け入れる事の出来る者は少ないだろう。
「私を呼び付けてその様な話をなさったのは、愚息の件とは別にその事に協力せよ……とそう言う事ですかな? そして断れば我が国が灰燼と帰す……と?」
森人は古き時代、其の美しさと長寿と言うだけで優れた異能を持たない事を理由に、多くの者が奴隷として扱われた過去が有り、其れを憐れんだ世界樹の神々が自分達の奉仕種族とする事で保護する様に成ったと伝説に有る。
此の魔女はその長い寿命を使い三百年と言う時間を掛けて、人間では学ぶには寿命が足りない程の研鑽を積み上げたからこそ、森人の枠んびは有り得ない化け物に成ったと聞く。
「あら、やだ……それじゃぁ丸で私が脅迫して居るみたいじゃない。別に貴方に何かをして貰う必要は無いわ。飽く迄もそう言う動きが有るってついでに情報提供して居るだけよ。貴方の国って僻地だし情報が遅れて対応も遅れたとか成ったら可哀想じゃない」
……此の魔女が可哀想と言っているのは我が国や私の事では無く、我が国に居る亜人奴隷共の事を指して居るのは容易に想像が付いた。
まぁ良い、確かに魔女の暴力を後ろ盾に陛下が改革を強行しようとして居ると言うだけでも、事前に手に入ったのだから其の後に来るだろう戦乱に今の内から備える事が出来るのは恩と言えるかもしれないしな。
今上陛下が改革を打ち出したとして其れに賛同するのは極々一部で、大半は皇帝を挿げ替える為に動く事は想像に難く無い。
……先帝陛下の最期も自然死と言い切るには不自然な点が有ったし、今上陛下が選帝侯達に選ばれたのも先帝陛下の苛烈さ故に起こって居た戦乱で、各国の経済がボロボロに成ったが故の事だった。
其れに耐えかねた各国の内の何処かが先帝陛下を暗殺し、候補者の中で最も穏健派と目されていた今上陛下が選出されたと考えても不自然では無い。
同様に今上陛下を害して選帝侯達に都合の良い新たな皇帝を立てると言う事も有り得るだろう。
皇帝と言うのは世界樹の神々から、各地の統治を委任された神聖な立場では有るが、神々は人間……いや、此処は敢えて人類とすべきか? 人類のやる事を事細かに一々見ては居ないと聞く。
先帝陛下の頃程荒れるのは困るが、戦乱の世が再び来ると先に解って居るならば、上手く立ち回れば我が国の利益とする事も可能だろう。
幸い我が国は南方大陸の端に有る小さな渓谷一つを領有する程度の小国だが、戦乱の世と成れば武具は幾ら作っても飛ぶ様に売れる筈だ。
そして売る相手を上手く選べば、争いの後に帝国を治める者に恩を売る事も……!? そうか! 此の魔女は我が国に今上陛下派に与せよと脅しているのか。
だが……どう立ち回るかを明確に指定された訳では無い以上、後は私の才覚次第……うむ、帰りの船でじっくりと考えるとしよう。
私はそんな内心を顔に出さぬ様に注意しつつ、魔女に挨拶をしてからその場を辞するのだった。




