百十五 対決! 鬼二郎と出世魚 その二
高らかな笑い声と共に彼がその場に現れると、辺りのざわめきその質が変わった。
無理も無いだろう、一郎翁は森人の血を引いている所為もあり、齢百近くを数えるというのに見た目はせいぜい三十歳そこそこにしか見えない。
彼に纏わる逸話は数多いがそれらは10年以上は前の出来事であり、彼の姿をその目で見知った者以外ならば当然の反応だ。
「一郎の母は外つ国では『赤の魔女』と呼ばれる森人での。知っての通り森人は神々に仕える長命種族、その血を引く一郎もワシ等只人とは違う時間の流れを生きておるのじゃ」
「ほー、なるほど。解説有難うございます。お聞き頂いた通り彼が『あの一郎』です!『十二妖鬼討伐行』等様々な講談や演劇に語られ『生きる伝説』『独り軍隊』『一郎だからしょうが無い』と数多くの二つ名を持つ男です!」
父上の解説を受け取ってアナウンサーがそう煽る、一郎翁はそんな状況でも全く臆した様子なく声援に手を振り応えつつ、立ち並ぶ武具を検分している。
「今日この大観衆の門前で立会う二人、それは彼の愛弟子と息子。この立会の勝者こそが彼の持つ数多の伝説を継ぐ男、と言っても過言では無いでしょう! それにしてもこの決闘場、無数に立ち並ぶ武器、武器、武器! これは一体どういう趣向しょう?」
うん、俺もそれが聞きたかった、この古太刀と言うアナウンサー、中々良い所を突くな。
「うむ、通常ならば武具の用意まで含めて本人の実力とするのが通例。じゃが清吾は一郎が引退して以来、ワシの護衛役と藩武芸指南役を任せており、それらを用意する時間が無かったのじゃ」
武具を作る為の素材を狩り集め武装を整える、コレは鬼斬り者ひいては武士として当然の嗜みであり、財力や権力に任せて身の丈に合わない装備を身に纏えば、嘲笑の対象にすらなり得る。
だが父上の言うように役目を与えられている者は、素材を集める時間も取れず先祖伝来の武装を使い続ける様な事もしばしばある事である。
「自身で用意した武具を使わせるならば義二郎が圧倒的に有利、かと言って親や先祖から引き継いだ武具の使用を認めれば今度は清吾が圧倒的に有利となってしまう。故にこの度は双方とも武具の持ち込みを禁止とした」
義二郎兄上は嫡男ではない為、猪河家の先祖が集めた装備を引き継いで居る訳ではない、だが鈴木清吾は鈴木家の嫡男で一郎翁は一応隠居の身、一郎翁が現役時代に手にした全ての武具を引き継ぐ立場に有る。
「それならば、同格の武具を双方に持たせれば良いのでは?」
ああして様々な武器を用意する手間やコストを考えれば、そのほうがずっと手軽な筈だ。
「そこは勝負を面白くする為の仕掛けじゃよ。あそこには名刀と呼ぶに相応しい物から、竹光まで様々な物を用意してあるのじゃ」
「それでは実力では無く運で勝負が付いてしまう事も有るのでは? 運も実力の内とは言いますが、流石にそれはあまりにも……」
「武具を見定める目も実力の内じゃよ、見る者が見ればそれらの区別は簡単に付く。むしろそんな間抜けな負け方をする様ならば猪山の男とは言えぬ」
手に取らずともしっかりと見定めれば俺でも見抜く事は出来るだろう、だが決闘の最中にゆうゆうと検分する事など出来ず、状況によっては一瞬で見極めねばならない。
正直言って俺にはそんな事が出来る自信は全く無い。
「あの中から良い武器を戦闘中に見極めるって、かなり難易度が高いと思うのですが……」
一緒に決闘場を眺めている仁一郎兄上にそう問いかけると
「……家でも若手でそれが出来るのはごく一部だろう、少なくとも俺には無理だ」
そんな答えが返ってきた。
「だが父上のお考えは理解できるぞ、アレが我が藩では当たり前と虚言を弄する事で、他所を牽制する心積もりなのだろう」
この衆人環視と言い、武具乱立と言い、武士の面子と言うだけでは随分と過剰だとは思うのだが、それほどまでに回りを牽制しなければならないのは、何故だろうか。
「これ以上余計な揉め事を増やさぬ為だ。今年は父上も家臣達の多くも国元へ帰るし、江戸屋敷に残すのは若手ばかりの筈、俺や義二郎が必ずしも屋敷に居るとは限らん。お前は兎も角、母上や睦に手を出されては事だからな」
なるほど、確かに猪山藩の武名が高まれば、それだけ安全度が高まると言う事か……。
今回の一件で結構色んな所から恨みも買っていそうだし、義二郎兄上に敵わないからと女子供をターゲットにして憂さ晴らしと言う事も有り得るのか。
「さて、そろそろ賭札の販売は終了間近ですが、現在の賭け率が此方に届いております。現在の賭け率は五対三対二、五対三対二、鬼二郎が優勢です。この掛率をどう見ますか?」
と、アナウンサーが話題を変えた、どうやらそろそろ二人が入場する刻限が近づいているらしい。
「うーむ、そうじゃのう。義二郎の武勇はある程度江戸でも有名じゃが、清吾の奴が成した功績はまだ知られておらぬ、その所為ではなかろうかの?」
「鈴木清吾の功績ですか?」
「そうじゃ昨年中清吾を武者修行に出して居ったのだが、その最中にな安達太良山山麓、安達ヶ原に築かれた鬼の砦を単独で落としておる。その武勇は決して義二郎に引けを取る物ではないぞ」
「なんと! 皆様お聞きになったでしょうか? 『あの一郎』の息子と言うだけの『七光』では無く、単独で鬼の砦を潰す程の武勇! 偉大過ぎる父親の光ばかりが強い彼の、強さの一端が今明かされました!」
……父上もそうだが、このアナウンサーも煽るの上手いな。
と言うか、父上これ解っててやってるよな? 今の一連の会話を聴いて、賭札売り場が再度混雑し始めている。
この賭けの胴元は我が藩の中間達だ、賭けられた金額の全てが払戻しに振り分けられる訳ではなく、多少成りの手数料――所謂『寺銭』が取られて居る筈だ、そしてその上がりの一部は我が藩に上納されるのだろう、父上が売り込みをする事は理解できなくも無い。
それにしたってやり方が随分と露骨過ぎやしないだろうか?
そんな事を考えていると、不意に半鐘を叩く音が当たりに響き渡ると、賭札を買い求める喧騒が、期待と不安を孕んだざわめきに変わり、やがて静まり返った。
「おっと、此処で賭けの締め切りを告げる半鐘が叩かれました! これより最終賭け率の集計が行われます、集計結果を待って勝負開始! それでは! 両者入場です!」
興奮を煽るアナウンサーの声に、観衆の怒声が再び湧き上がる。
「乾の方角より入場しますは、猪山藩藩主猪河家次男! 『鬼二郎』猪河義二郎だぁ!」
言葉と共に打ち鳴らされる太鼓の響き。
乾とは北西の方角の事だ、正方形の決闘場その北西側コーナーが義二郎兄上の陣地と言う事だろう。
だが一郎翁が入場した時もそうだったが、決闘場の回りには花道など用意されておらず只管人集りが広がっている。
どうやって入場するのか? そんな疑問は直ぐに氷解する事になった。
「うぉ!」
「痛てぇ!」
「俺を踏み台にしたぁ!?」
そんな叫び声が俺達の左手から上がったのだ。
観衆の頭上を、文字通り頭の上を走り抜け、兄上が姿を表したのである。
普通ならば兄上の様な巨漢が頭に乗ったりすれば首の骨が折れる、しかもただ乗っただけでは無く走り抜けているのだ、蹴り足の衝撃も相まって致命傷を与えるには十分な筈だ。
だが兄上に踏まれた者達は本気で痛がっていると言うよりは、驚きで声を上げただけのようだ。
「続きまして巽の方角より猪山藩家臣鈴木家嫡男! 『七光』鈴木清吾ぉぉぉぉ! ってあれ?」
観衆の度肝を抜くには十分な兄上の入場に対してどんな入場を見せるのか、そんな期待とは裏腹に東南側のコーナーには既に鈴木の姿が有った。
「どうやら、観衆に紛れて縄張りの側に居たようじゃな」
どうやって入場したのか、それを端的に解説した父上の溜息混じりの言葉と共に、白けきった沈黙がその場を支配した……。




