千百六十七 志七郎、酒精を口にし悪意を考える事
いやー火酒入猪口爆弾は美味かったなぁ……今生に生まれ変わってから、初めて口にした濃い酒の入った猪口齢糖だったが全く酔いが回る気配が無かった。
前世の同じ年頃の時に向こうのお袋がおやつに隠して居た其れを食った時には二、三個で顔が熱く成るのを感じた筈なんだが……どうやら今生のこの身体は前世に比べて酒精耐性が高いのかも知れない。
俺の記憶が確かならば酒精に対する反応は大きく別けて三段階が有り、酒精が肝臓で酔素とでも言うべき物に分解され、更に其れが酢酸へと分解され、最後に水と二酸化炭素に分解されて尿として排出されると言う感じだった筈だ。
その際に必要と成るのが肝臓に含まれている酵素で、生まれ持った此れの多少が酒の強さに直結して居る……と言う様な話を前世にテレビか何かで見聞きした覚えが有るが、恐らくは俺や仁一朗兄上は其れが強く、義二郎兄上は残念ながら極端に弱いのだろう。
ちなみに旺盛な食欲と甘味に対する飽くなき渇望に後押しされた彼の如く、大量の猪口齢糖を食ったお連では有ったが、火酒入猪口爆弾に関しては三つ程で止めさせた。
二つ目を口にした時点で顔が赤くなり、三つ目を呑み込んだ辺りで既にほろ酔いと言った様子を見せて居た為に『未成年者の飲酒喫煙はダメ絶対』と言う前世で培った倫理観が、其れ以上食べるのを止めさせたのだ。
俺? 俺は二十ばかり食べたが一寸胃の辺りが熱くなって少し顔が火照ったかな? 位で、酔ったと言う感覚は全く無かった。
まぁ分量としては二つ食べたら向こうの世界からの土産に買って来た不銹鋼の折り畳みぐい呑で一杯飲んだ位の量だと思う。
そう考えるとショットで十杯は我ながら呑み過ぎの部類に入るだろうし、前世の成人した身体でも翌日に残る無茶な量だ。
其れが後に引くどころか膝に来る事すら無くピンシャンして居るのだから、この身体は可也酒に強いと言う事なのだろうと思う、まぁだからと言って未成年の内に好き好んで呑もうとは思わないがね……美味かったけど。
「いやーにしても、猪口齢糖と酒が此れ程合うとは思わなかったぜ。酒のツマミと言えば堅果の類の乾き物か、肉類が鉄板だと思ってたんだがなぁ」
甘い物は然程好みでは無いと言いつつ火酒入猪口爆弾を結構な量食って、ほろ酔い加減で湊を行き来する船を眺めて居たテツ氏がそんな言葉を口にした。
基本食料品が高いワイズマンシティだが、酒……特に麦酒の類は下手をすると水より安い値段で流通しており、自分で水を生み出す精霊魔法が使えない無い限りは、其れを口にする機会は余程幼い頃じゃなければ割と多いと言う。
実際テツ氏も物心着いた頃には、喉が渇けば麦酒を呑むのが当たり前と言う生活をして居たそうで、酔っ払う為に呑むのは火酒なんかの蒸留酒と言う感じだったのだそうだ。
んで火酒なんかを呑む際に摘むのは甘い物が選択肢に入る事は無く、ワイズマンシティでも比較的安価で手に入る堅果の類や缶詰肉何かを一緒に食べる事が多かったらしい。
「うむ……猪口齢糖の値段も嘘の様に安かったな。まぁワイズマンシティに入って来る物は輸送費や関税なんかが乗っかってるからこそ、どうしても高級な品と成ってしまうのだろうな」
なおワイズマンシティで猪口齢糖は売って無くは無いが、此処の様に専門店が有る訳でも無く、何方かと言えばワン大人の様な医師が処方する生薬の類と言う認識である。
まぁ前世の世界でもお茶も珈琲も猪口齢糖も元々は嗜好品と言う訳では無く、珈琲涅に依る覚醒作用や強心作用を期待して摂取する薬だったと聞いた覚えが有った。
特に日本に置いては茶の湯が流行り、一般庶民までお茶で一服する習慣が付いて珈琲涅に対する耐性がある程度身に付く以前は、お茶を飲んで酔っ払う事も有った……なんて事も聞いた事が有るが、此れは流石に都市伝説の類だと思うんだよな。
なんせ俺が向こうの世界で普通に子供をして居た頃だって、子供が便利屋で買った緑茶で喉を潤すなんて事も普通に有った訳だしなー、耐性云々と言うのであれば子供にお茶なんて絶対駄目! と成る筈だしなぁ。
加えて俺が愛飲して居た高良も、赤白の彼方と赤白青の此方の二大企業の何方もが、開発者は薬剤師で薬効を期待されて飲まれる薬だったと言う。
まぁ俺が産まれる大分前の時点で、そうした薬としての効能を期待する様な配合物は殆ど抜かれて、完全に嗜好品として販売されて居たが其れでも珈琲涅は普通に含まれて居た筈だしな。
世の中では珈琲涅を取らない事が健康に良いと言う『デカフェ』と言う活動も有ったと聞いては居るが、珈琲涅中毒と言う程では無い物の珈琲と高良が無い生活が考えられない程にどっぷり愛飲して居た為にそうした活動に触れる事は無かった。
とは言え流石に珈琲涅増々の『エナジードリンク』をガブ飲みする若い連中を見てドン引きした程度には、珈琲涅の取り過ぎは良くないんだろうなーと、おっさん心に思ったりもしたがね。
「猪口齢糖は暑いと溶けるからなぁ……此処アシャンティ公国も未開拓地域も、テノチティトラン王国もから西海岸側の国々も基本的に年中暑い地域が多いし、溶けない様に運ぼうと思ったら温度管理の出来る術具でも無けりゃ無理だろさ」
猪口齢糖の原料に成る加加阿は種を取り出して豆に加工してしまえば、暑さに関係無く運ぶ事は出来るが、加加阿豆から猪口齢糖を作る事が出来る猪口齢糖職人は加加阿が手に入り安い南方地域に居る事が多い。
北の方の都市国家に居るとすれば、相応の地位に居る貴族のお抱え職人だったりと言った感じで、当然ながら安売りする様な物では無く、そもそも猪口齢糖を菓子として食うと言う事自体が西方大陸では根付いて居ない文化なのだろう。
実際、アシャンティ公国周辺で生産されて居る加加阿豆の大半は焙煎まで済ませた状態で、湊に入って来ている無数の船舶に積み込まれて珈琲豆と共に南方大陸へと輸出されるのだ。
未開拓地域の北の方に有る都市国家でも加加阿の栽培はある程度されては居るらしいが、ぶっちゃけ西方大陸内では然程需要が有る訳では無く、生産国の猪口齢糖職人が作った猪口齢糖が『薬』として少量流通して居るに過ぎない様である。
ニューマカロニア公国の様に南方大陸に由来を持つ都市国家も有るが、そうした所に居る猪口齢糖職人と言うのは上記した通り貴族のお抱え職人なので、市井に猪口齢糖が大々的に出回ると言う事は早々無さそうだ。
「わ……御前様! 凄い綺麗なお船が湊に入って来ましたよ! うわぁ真っ白で丸で白鳥の様ですね!」
と、お連の興奮した声に促され丘の上の公園から湊を見下ろす。
其処には俺達が此方の大陸に来る際に乗って来た寅女王号よりは少々小さいが、見た目の優美さでは此方に軍配が上がるであろう美しい白い帆船が入湊してくる姿が有った。
「アレだけ真っ白だと、甲板磨きだけでも相当苦労すると思うのだ……」
呆れと怒りが半々程度に混じった声でそう言うターさん。
白と言うのは当然ながら汚れが目立つ色で有り、其れを真っ白のままに維持するには相応の労力が掛かる。
掃除をするのも船員の仕事の一つと言えば其れまでなのだが、未だに亜人が居たら問答無用で奴隷にする事が罷り通る南方大陸の文化を鑑みれば、その労力がどの様に捻出されて居るかは想像に難く無い。
「アレは……俺の目が確かならトニーラヴァン王国の紋章じゃなかったか? 何時ぞや学会の食堂で騒いで居た馬鹿の外套に刺繍されて居たのと同じ紋章に見えるが?」
学会内であの騒ぎを起こしたイー・ヤン・ミーと言う男は、更にワイズマンシティの街中でドン一家の若い衆に喧嘩を売って凹々にされた自業自得の馬鹿では有ったが、一対一の喧嘩の結果に立場を使って物言いを付ける様な真似をしなかった事は評価出来だろう。
まぁトニーラヴァン王国と言うのが南方大陸の何処に有るのかも解らないので、あの船がどれ程過酷な航海をして来たのかなんて事は全く解らないが、あの白さを維持する為に費やされる労力を想像すれば、良い印象を持つのは俺には少々難しい。
が、未だそうした裏側にまで想像する事の出来ないお連は、純粋に船の美しさに興奮しはしゃいで居るのを見て、咎め立てするのは違うだろうと口を噤むのだった。




