千百六十三 志七郎、金銭的価値を考えボッタクリを思う事
ルドヴィーコの餐庁での夕餉を終え猪口齢糖職人との契約を終えた俺達は、取って有った宿へと戻って早々に床へと就く事にした。
猪口齢糖職人のトード氏の言に依れば、現物を見なければ正確な数を断言する出来はないが、人食い加加阿の実が全て完熟して居たとすれば、七つの実から二十五~三十枚の板猪口齢糖が作れるらしい。
其処から俺達が必要とする分の七枚……俺の身体が完治するのに一枚では足りない可能性を考慮し、更に一枚追加の八枚を現物で頂き、残った分の内四枚をトード氏の手間賃として渡すと言う事に成った。
そして残りはマリウス氏の伝手を使って売り払う事に成ったのだが、競りに掛けるにせよ、どうしても時間が掛かってしまう事も有り、取り敢えず彼が一枚当たり三万金貨で引き取ってくれると言う事に成った。
三万金貨と言うと割と途方も無い額面の様に思えるが、火元国の通貨だと十両なので、高額は高額では有るが割と稼げる額面と言う風にも思えてしまう。
ちなみに小判一枚と外つ国の金貨千枚が当価値と言うのには、金貨に含まれている金の割合と大きさに由来する物だったりする。
火元国の小判や大判は限りなく純金に近いのに対して、外つ国の金貨は結構な量の混ぜ物がされて居るのだ。
この辺の差は火元国の商売は掛け売りが基本で、小判が実際の取引で使われる事が少ない為に柔らかな純金でも問題が無いのに対して、何時でも何処でも現金払いが基本の外つ国では、金貨にも相応の硬度が求められるから……と言う理由も有るのだそうだ。
あとは単純に此方の金貨って小さいんだよね、前世の日本で言うと『一円玉』を少し厚くした位の物を想像すると大体の大きさは理解して貰えるだろうか?
価値としては金貨三枚が前世の日本で言えば百円程度の価値で有り、銀貨や銅貨は完全に小銭扱いである。
とは言え殆どの国では物価……特に食料品が向こうの世界で言う所の途上国並に安いそうで、外食では無く食材を買って自分で調理するならば銀貨一枚有れば一食でっち上げるのは然程難しい事では無いらしい。
銀貨は十枚で金貨一枚なので、日本円にすると十円未満と言う事に成るが、幾ら自炊とは言え其れで一食誂える事が出来ると言うのは驚きである。
なお餐庁で食べた献立は一人前で六百金貨だったので、味と内容から鑑みれば可也お得と言えるだろう。
んで今夜の宿で有る寝台と朝食は一人頭一泊三百金貨と、前世の日本だと地方の温泉旅館なら一泊二食付きで泊まれる事を考えると、所謂民宿の類としては割とお高い宿なのだと思う。
まぁ百戦錬磨の案内人であり『勇者』とまで呼ばれるターさんが案内してくれた見世なのでボラれて居ると言う事だけは無いだろうな。
朝食と寝台と言うだけ有ってか、部屋はゆっくりと寛げる様な作りでは無く、前世の高校時代の修学旅行で乗った寝台列車や、警察学校時代の寮を思い出す様な二段寝台が一部屋に二台有るだけの本当に寝る為だけの部屋だった。
俺とお連、テツ氏とワン大人が其々上下の寝台を使い、ターさんは隣の部屋で他のお客さんと相部屋で泊まる事に成ったが此処では其れが普通の様なので、値段と部屋が釣り合って無いな……と思わなくも無かったが、取り敢えず文句を言う事無く寝る事にした。
……そして、此の宿が決してボッタクリの類では無かったと知るのは、翌朝の事だった。
焼き立て麵麭香ばしい香りが鼻腔を擽り、意図せず腹の虫が鳴き喚く声で目を覚ます。
鎧戸の嵌った窓の隙間から日の光が差し込んで居る様子は無いので、何時も通り日が登るよりも早く起床したのは間違い無いだろうが、残って居る眠気の感覚的に普段よりも更に早い時間に目覚めてしまった様だ。
一瞬、寝直す事も考えたのだが、騒ぎ出した腹の虫が喧しくて其れも一寸難しそうである。
「随分とでけー腹の虫だな……お陰で俺まで目が冷めちまったぜ。ふぁ~……」
大きな欠伸と共にそんな言葉が隣の寝台の下から聞こえて来た、どうやら俺の腹の音でテツ氏を起こしてしまったらしい。
「しっかし……お前さん達程大食らいじゃねぇ俺でも、此の匂いは腹が減って来るな。こりゃ朝飯には絶対美味い麵麭が食えるぜ?」
農作物の殆どを輸入に頼っているワイズマンシティでは、米や麦に芋と言った炭水化物を『主食』として食べると言う感覚は無いに等しい。
精霊魔法学会を抱える学問の都市国家では有るが、栄養学を教える様な学校が有る訳では無い為に、植物=野菜か果物と言う感覚なので、麦と赤茄子汁の比萨は野菜と言う認識なのだ。
血の源流は東方大陸に有るテツ氏では有るが、産まれも育ちもワイズマンシティで有るが故に、食文化的な価値観は何方かと言えばワイズマンシティ寄りらしく、取り敢えず肉が食えりゃ満足と言うのが此の旅の間で見た印象である。
そんな彼では有るが白米の飯よりは麵麭の方を好むらしく、上の寝台から見下ろして見れば、十代半ばの食べ盛りの青年の様な顔に成って居た……うん、涎を垂らして居ないだけ上出来ってな表情だな。
「……うむ、此の香りを嗅がされて眠り続けると言うのは拷問に等しいな」
と、俺の真横、通路を挟んだ反対側の寝台の上でクワッ! と音がしそうな程の勢いで目を見開いたワン大人がそんな言葉を口にする。
どうやら彼も麵麭の焼ける香ばしい匂いに釣られて目を覚ましたらしい。
未だ夢の中に居るであろうお連を起こさない様に小声でそんな話をして居ると、少し離れた所から次々と扉が開く音が聞こえて来た。
恐らくは何処の部屋にも俺達同様に麵麭の香りに誘われ、早朝にも拘らず起き出した者達が居るのだろう。
さて……俺達はどうするか? お連が起きるのを待つか、其れ共彼女を起こしてさっさと朝飯を食いに下の階に有る食堂へと向かうべきか、うーむ。
とは言え此の段階で下に行っても未だ飯の準備が整って居ない可能性も有るし、せめて日が昇って来る頃合いまで待つ……か?
「むにゃ……もう食べられな……足りないですぅ……連お腹が空きましたぁ」
なんともベタな寝言を口にしたお連も、此の香りに誘われ目を覚ました様で、涎を垂らしたままの顔でそんな事を言いながら寝台の上でむくりと身体を起こす。
「結局全員起きてしまったな。うん、此処で腹の虫を鳴かせて居ても仕方ないし、サクッと身支度して下に降りるか」
お連がもう少し成長していれば一緒に身支度なんて事は出来やしないのだが、ワン大人もテツ氏も児童性愛の気が無いのは此の旅の間で理解して居るので、然程気にする必要も無い。
ぶっちゃけ息子さんが復活したとしても、今のお連の見た目でそう言う気分に成るとは流石に思わないもんなぁ……過度の接触が有った場合や、もう数年後だとどうなるか解らんが。
うん、こう言う事を考えている時点で、以前よりも息子さんの欲求が産まれて来てるんだなぁ……と実感するよ。
今回の旅が始まる前は、お連を相手にムラムラするとか全くもって考える事すら無く、精々が彼女と一緒に猪山藩でお汁粉を食べに行った時に風景から村々を感じた位だった。
一応は前世に性欲猿だった十代後半から二十代前半の年頃を経験して居るし、未だあの頃の様な欲望で頭が悪く成ると言う程の感覚は無いが、下半身に血が回ると男は大体馬鹿に成る生き物だからなぁ。
……もしかしてだが、息子さんが勃ち上がるのは血液が流れ込む事でそう成る訳で、その分頭の血が足りなく成って馬鹿に成るのだろうか?
自慰行為のし過ぎで馬鹿に成るなんて俗説も有ったが、少なくとも警察官採用試験の時や昇進試験の為にガッツリ勉強して居た頃は、欲求が不満して居る状態よりはスッキリしてからの方が捗った記憶が有るので、依存症とか言われる程じゃなけりゃ問題ないのだろう。
「皆起きてるのだ? 此処の宿は焼き立ての麵麭が色々と美味しいからそろそろ起きて下に降りるのだ」
そんな事を考えながら身支度をして居ると、部屋の扉を軽く叩く音と共にターさんの声が聞こえて来たのだった。




