千百六十二 志七郎、言葉の混沌を考え職人と顔合わせる事
良質な珈琲と其れに合わせる為だけに作られた最高の猪口齢糖との婚姻関係に、吐息を口から吐き出す事すら勿体ないと感じる程の口福を味わっていると、女性給仕さんとは別に三人の人物が此の食卓へとやって来た。
「お久しゅう御座いますスー族の勇者よ。本日は当店へお越し頂きまして真に有難うございます。残念ながら特別貴賓室は本国から来訪された御貴族様が使用為さって居る為にご案内出来ませんでしたが、料理の方は其れと同等の物を作らせて頂きました」
純白のコックコートにコック帽と全く同じ装いの三人だが、最初に口を開いたのはその中でも少し年嵩の行った口髭を蓄えた男性だった。
見た目の印象だけで言うのであれば、前世の世界の欧州で長靴の様な形をした国に起源を持つ赤い帽子の配管工が主人公の日本企業が作った電子遊戯の彼を、六十代位まで老いて良い感じに恰幅が良くなった感じ……と言えば伝わるだろうか?
「暫くぶりに寄らせて頂いたけれども、相変わらず此処の料理は最高だったのだ。経営者兼料理長の腕も然ることながら、配膳係の動きも洗練されて居て寧ろ以前よりも良く成った様にも思うのだ」
そんな言葉を掛けつつ立ち上がると、差し出された手を握り返すターさん。
どう言う繋がりが有るのかは解らないが、どうやらターさんは此の見世に取っては、南方大陸の貴族と同等に扱うべき賓客と言えるらしい。
「紹介するのだ、彼は此の見世の経営者兼料理長のルドヴィーコ・マリウス氏なのだ。んで此方が菓子職人のミス・バウザーで、其方が今回会いに来た猪口齢糖職人のミスター・トードなのだ」
ターさんの紹介に其々が俺達全員に向かって軽く会釈をして行く……が、
「勇者ター、申し訳無いがウチは南方大陸料理を扱う見世なのでね、菓子職人と猪口齢糖職人と呼んでくれないかね? トードに会いに来たと言う事は……人食い加加阿でも仕留めて来たのかな?」
一通りの紹介が終わった後、ルドウィーコ氏は敢えて不快そうな表情をして見せた上で、そんな言葉を口にしてからニヤリと笑みを見せてそう言った。
普通に会話は西方大陸語で話して居るのだが、専門用語は料理の起源で有る南方大陸語に拘りが有るらしい。
……前世の世界の日本と言う国は、様々な国から入って来た外来語を、殆どそのままの語感で取り入れる事も有れば、日本語に馴染み易い形に改変した和成語を使ったりと、思い返して見ればとことん混沌な言語だよな。
今日の献立の中に有った食後の菓子のシュークリームも、仏蘭西語で玉菜を指す『シュー』と英語の凝乳の合成で作られた和成語で、『シュー・ア・ラ・クレーム』が本来の仏蘭西語での呼び名らしい。
俺がくたばる頃には既に洋菓子職人を指す言葉として『パティシエ』と言う言葉は、日本でも割と定着していた感が有るし、『ショコラティエ』と言う言葉も聞いた事が有る。
……火元国も外つ国の物を取り入れた際には、其れに漢字を当ててそのまま取り入れている感じは有るので、鎖国の様な政策を取っていない以上は、其の内向こうの世界並の混沌とした外来語と和成語のチャンポン麺が出来上がるのだろう。
ちなみに菓子職人のミス・バウザーさんは二十代前半位の金髪碧眼の白人女性で、コックコートの上からでも解るメリハリの聞いた我儘身体は、同じ厨房で働く男性諸氏を惑わせて居るのではなかろうか?
対して猪口齢糖職人のトード氏は、身の丈五尺にも満たない小さな男性で、帽子の端から覗く細長く尖った耳から察するに草人族なのではなかろうか?
……南方大陸帝国では人間至上主義が国是で有り、人間以外の人類を亜人と呼んで蔑み、後ろ盾の無い者ならば力尽くで奴隷とする事も罷り通って居ると聞いて居るが、此の都市国家では相応に扱われていると言う事なのだろうか?
「そうなのだ、なんと七つも無傷の人食い加加阿の実が手に入ったのだ。其れをミスター・トードに猪口齢糖に加工して欲しいのだ。我々が必要として居るのは七人分だから、余る分に付いては料理長の伝手で捌いて欲しいのだ」
人食い加加阿の猪口齢糖は滋養強壮だけで無く割と強い媚薬的効果が有る為、身体に問題が有る俺は兎も角、未だ幼い少女に過ぎないお連に食べさせるのは少々早すぎる。
其の為、今回此の猪口齢糖を口にするのは俺以外だと、テツ氏とその妻に成ったロコモコ嬢の夫婦と、テツ氏の兄貴分夫婦、そしてターさんとその奥さんのジャネットさんの夫婦と言う事に成る訳だ。
「人食い加加阿の実が七つとは……其れは大商いになりますな。其れは確かに勇者ターが態々此方側へと北の冒険者達を案内する訳です」
マリウス氏は此の街一番の餐庁を経営して居るだけあって、南方大陸の貴族にも伝手が有るそうで、人食い加加阿の猪口齢糖を大枚叩いてでも欲しがる者にも心当たりは有るらしい。
「時期的にそろそろ良い感じに発酵が進んでいる筈だし、明日の午前中にでも持って来ようと思うのだが……此の仕事受けて貰えるだろうか?」
「私としては見世の為にも、伝手有る貴族の方々の為にもお受けしたいと思いますが……此ればかりは職人の判断が第一でしょうな。トード、お前の手で七つもの加加阿を処理仕切る事が出来るか?」
腕を組み難しい顔をしたマリウス氏は少し考え込む様な素振りを見せた後に、職人へと判断を振る。
「やりますよ、やらせて下さい。職人としての自分を頼って遠くからやって来た人を無下にするようじゃぁ職人の名折れって奴ですよ。其れに下世話な話には成っちまいますが、相応の御礼も期待出来る仕事ですからね」
職人としての矜持を持ち出した上で、更に金銭に執着する様子も見せつつトード氏はその仕事を請け負ってくれると口にした。
聞けば彼は南方大陸で奴隷の両親の間に生まれた、生まれついての奴隷なのだそうで、マリウス氏の実家で使用人の更に下で使役される立場だったと言う。
マリウス氏の実家は南方大陸でも有数の餐庁だったが、双子の兄が跡継ぎとして見世を任される事に成ったので、実家を出て此方の大陸で独立した見世を構えたのだそうだ。
家を出る際に実家から持たされたのがトード氏で、彼が南方大陸に居続ける限りは、奴隷の身分から開放される事は有り得なかったのだが、西方大陸に渡った事で天網の縛りに拠って一定の金額をマリウス氏に支払う事で自分を買い戻す事が出来る様になったらしい。
「南方大陸に住んでた頃は、亜人……いや他の人類が奴隷なのは当たり前だと思ってましたが、此方に移って来てから見世を立ち上げる前に色んな街を見て、色んな価値観に触れて人類至上主義が絶対正しいとは思えなく成ったんですよ」
南方大陸でも亜人奴隷は相応の財産で有り、余程の事が無ければ無体な扱いを受ける事は無いらしいが、奴隷と言う立場のままでは恋愛や結婚なんかに色々な制限が付けられるのが普通だと言う。
実際にトード氏の両親は、互いに色恋の結果結婚した訳では無く、マリウス家の財産としての奴隷を一代で終わらせ無い為に、態々女性の草人の奴隷を探し夫婦……と言うよりは番にする為に買い足したのだそうだ。
そうして産まれたトード氏の兄弟姉妹は、実家の餐庁で下働きをさせられている者は未だましで、母親と同様に他所の奴隷と番う為に売りに出された者も居ると言う。
奴隷の売買は世界樹の神々が定める天網に依って基本的に禁止されて居る筈だが、南方大陸では過去の歴史に絡む問題で亜人の人権が基本的に認められていない為に、そうした扱いが普通に行われているのだ。
けれども外の世界を知ったマリウス氏は、トード氏を可能な限り早く奴隷の身分から開放する為に、少しでも多く稼げる仕事が出来る様に……と猪口齢糖職人の修行をさせたと言う。
なおトード氏とハウザー嬢は恋仲だそうで、彼が奴隷の身分から開放され次第、結婚する予定なのだそうだ。
「そう言う事なら、金銭を報酬にするんじゃ無く、作った猪口齢糖の権利の一部をトード氏の物にすると言う契約はどうだろうか? 売って銭にするも良し、結婚後に夫婦で食べるのも良しって感じでさ」
人食い加加阿の猪口齢糖は、その時その時で需要が大きく変動する品物で、基本的に競りで取引される為、相場として大体幾らと言う金額が無いらしい。
故に手間賃を俺達が出すよりは、現物の取り分を設定する方がより良い物を作ってくれるのでは無いかと考え、俺はそんな事を提案したのだった。




