千百五十九 志七郎、氷菓を食らい肉を貪り野菜を平らげる事
「氷菓子、麝香甜瓜の氷菓子です」
透明な硝子の皿に盛り付けられた橙色の氷菓子は、前世の世界で其れを扱う店で使われる取り匙と同じ様な物が使われている様で、他の者達の皿には二山、俺とお連の皿には五つの山が出来て居た。
其れを氷菓子を食べる為に用意されて居る小ぶりの匙を使って切り分け掬い上げ口の中へと放り込む。
うん、美味い……けれども此れは前世の世界でも普通に売られて居るのと然程変わらない感じで驚く程に美味いと言う程では無い。
いや、此れと同じ位に美味い氷菓子を火元国で食べるのは難しい事は流石に理解して居る。
精霊魔法が一般的では無い我が国では氷菓子の類を食べようと思えば、人に混ざり生活して居る雪女と言う女性妖怪の能力が必要不可欠である。
そうした彼女達も多くの場合、水をただ凍らせて其れに砂糖水を掛けた『スイ』と呼ばれるかき氷が一般的で、この氷菓子の様に果実を丁寧に加工した様な代物を作れる職人は居ない。
火元国の南の方に有る根子ヶ岳近くの茶店で食べた『しろくま』と言うかき氷には、練乳や季節の果実だけで無く果実の砂糖水漬け何かが使われて居たが、アレは向こうの世界出身の家安公が伝えた物だと言うから例外中の例外だろう。
其の辺の事を考えれば、前世の世界で市販されて居る氷菓子と遜色無い程の氷菓子を、恐らくは手作りして居るだろうこの見世の菓子職人は相当の腕前な筈だ。
実際、此れを口にした俺とターさん以外の三人は、其れまでの料理と同様に可也の衝撃を受けた様子で、匙が止まらないと言わんばかりの勢いで食べ進め……お連は喉の奥が冷えて頭が痛そうな素振りをして居るが……て居る。
此れは恐らくはターさんは過去にこの見世へ足を運んで同等の物を何度も食べて居るが故に、俺は前世で同等以上の氷菓子を食べた事が有るが故に、言っては悪いが『慣れている』からだろう。
美味いのは間違いないのだが、都内で女子高生に人気の伊式氷菓店辺りへ行けば、これ以上に美味い氷菓は食べれたと思うんだ。
まぁ一口に氷菓子と言っても『米式氷菓』も有れば『伊式』も有るし、今回出された『仏式氷菓』も有る。
其々別の技術や違う副食材が使われていたり、含まれる乳成分の量の違い何かが有るから、単純にどっちが上とか比べるべきではないが……此れに関しては完全に『科学技術の差』なのだろう。
「肉料理、クレタ島アルデバラン牧場産金毛牛の牛腰肉の蒸し焼き、枇杷汁掛けです」
ただ……此れは食事の〆を飾る甘味と言う訳では無く、魚料理の次に出される肉料理を舌を再起動した状態で食べる為の物なので、美味すぎても良くないのだと思う。
実際、鉄板では無く白い磁器の皿で供される氷菓子の其れよりも淡い橙色の汁が掛かった肉料理はとても美味そうだ。
前世の日本人も今生の火元人も料理と言えば基本的に『飯のおかず』なので、甘い汁の掛かった肉と言う物に抵抗が有る者が少なく無い。
けれども向こうの世界でも此方の世界でも外つ国に目を向けたなら、果実と肉を合わせた料理と言うのは決して珍しい物ではなかったりする。
比較的身近で解り易い例が日本だと賛否両論有った『酢豚に鳳梨』だろうか?
アレは味付け的な意味も然ることながら、肉を柔らかくする目的で入れられるのだと聞いた覚えが有る。
他にも狩猟が盛んな地域では、狩猟肉を頂く時には獲物が暮らす場所で取れる果実を汁に使う事が多いと言う話も有った。
俺も北海道に出張へ行った際、地元の刑事に案内されて蝦夷鹿肉を提供する店で食事をした事が有ったが、その時に出されたのも余市産の葡萄で作られた汁と葡萄酒と言う組み合わせだったのを覚えている。
他にも焼き肉の付け汁に林檎なんかの果実が使われて居たりもした筈だし、果実と肉の相性は可也良いと言う事なのだろう。
そんな事を考えながら、左手に持った肉叉で肉を固定し、右手の肉刀で一口大に切り分けようとして肉の柔らかさに驚かされた。
しっかりと手入れされた肉刀の斬れ味が良い事も有るのだろうが、何等かの工夫に依る物か其れ共肉自体の質の良さに依る物か、殆ど抵抗らしい抵抗を感じる事も無く肉刀が肉に食い込みあっさりと切り裂いたのだ。
慎重に肉叉に刺さった肉片を口の中へと移動させ、一噛みすると……肉が溶けた。
いや……何の歯応えも無かった訳では無い、しっかりと噛み締めた感触は間違い無く有った。
けれども其れすらも一瞬の事で、あっさりと肉の繊維が崩れ中に含まれた肉汁の多さも相俟って、本当に溶けた彼の様に錯覚させる程の食感だったのだ。
喉を通る際も肉の塊を呑み込んだと言うよりは、旨味の凝縮された汁物を呑んで居るのかと思える程に抵抗無く、するりと食道を落ちていくのが解る。
こうなるともう止められない止まらない。
肉を優雅に切るのももどかしく、そのまま塊の肉を肉叉で持ち上げ噛み千切りたい衝動に駆られるが、此の見世で其れをするのは明らかな作法違反で有り、お連の手本と成るべき俺がして良い行為では無い。
落ち着け……落ち着け《Be Cool》……と自分に言い聞かせながら、俺は其の儘可能な限り優雅な作法に従って、肉を切り分け口へと運ぶ。
若干手を動かす速度が魚料理の時より速く成って居る程度は見逃して欲しい。
「うめ……うめ……うめ……」
此処までの料理も可也の水準だったが、この肉料理は主菜として圧倒的な存在感を放つ一皿で有り、恐らくは此処の料理長の必殺料理なのだろう、結果……テツ氏の語彙が死んで居る。
「……お代わりお持ちしましょうか?」
そんなテツ氏の様子を観て、女性給仕さんがそんな言葉を投げ掛けて来るが、なんとなく嫌な予感がしてしまうのは何故だろう?
「ああ……いや、此の後も未だ料理が出るんだろ? なら此れだけで腹を満たすのも違うだろうし、大丈夫っす」
えーっと、俺も完全献立を提供される様な店に行った事は無く、こうした形式の食事は学生時代の友人や同僚の結婚披露宴なんかで、略式の其れを食べた事が有るだけなので、此の後に何が出てくるのかは解らないが、残っている料理は然程多くは無い筈だ。
「……残りは生野菜に乾酪、甘味の後に珈琲で〆だった筈だ。腹具合と相談して食べれる様ならばお代わりを頼んでも良いのでは無いか?」
亀の甲より年の功と言う事か、ワン大人が指折り数えながらテツ氏に提案する。
へー、南方大陸料理の完全献立ってそう言う流れなのか。
「んー、やっぱ良いわ。此れだって二人前有る訳だろ? 其れに美味い物を食い過ぎると帰ってから元の食生活に戻るのが辛くなりそうだしな」
三人よりも多い五人前の肉を出された俺とお連は、二人の会話に口を挟む事無く黙々と肉刀と肉叉を動かし皆に遅れない様に食べ進め……殆ど同時に皿の上の物を平らげた。
「生野菜、季節野菜の盛り合わせ、料理長の特製汁を添えて」
小玉赤茄子、薄切りの胡瓜、山盛りの乳草、千切りの青椒と黄青椒、其れ等に掛かって居るのは綺麗な桃色の汁だった。
パッと見ただけでは味の想像が付かない不思議な汁だが、生野菜用の肉叉で少しだけ掬って舐めて見れば、迷姉酢と思しき酸味に加熱した赤茄子特有の旨味、そして無数の香辛料が混ざった複雑な風味が感じられる。
単体ではただ其れだけとしか解らない汁だったが、用意された野菜と共に口へと入れれば……うんヤバい、此れもさっきの肉料理に負けて無い程の美味い。
いや、衝撃度で言えば肉料理の方が圧倒的に上なのだが、野菜自体の持つ味わいを汁が引き立ててまくって居るのが解るのだ。
恐らく野菜の質自体は礼子姉上が作った清浄野菜の方が上なのだろうが、料理としての完成度は間違い無く此方の方が上である。
肉料理程夢中に成って貪り食うと言う感じには成らなかったが、其れでも十分に早い手の動きで俺は生野菜を平らげたのだった。




