千百五十八 志七郎、高級料理を食らい舌鼓を打ち続ける事
配膳された皿の上に乗っているのは、生のままの鮪と烏賊を刺し身の様にして、ソレに湯がいた陸蓮根と若玉蜀黍が添えられた、和の要素を感じさせる物に見えた。
火元国から遥か遠い南方大陸にも生の魚介類を食べる食文化が有るのか? と思いながら肉叉を突き刺し口へと運ぶと、ソレが間違いだと言う事に気付かされる。
此れは刺し身の様な完全な生では無い、もっと大きな塊の烏賊と鮪の表面をしっかりと焼き、炙り肉で言う所の『火の通った生』な状態に仕上げた上で、その外側を削ぎ落として提供して居るのだろう。
その証拠と言う訳では無いが、何方も口に入れるとほんのりと温かく、生の刺し身よりも甘味や旨味がより濃く感じられる。
「此れ……凄く贅沢なお料理ですね」
俺と同じく只の刺し身では無い事を理解したらしいお連が端的な感想を口にした。
火が通った表面の部分だって通常ならば立派な可食部だろうに、ソレを削ぎ落として提供すると言うのだから、確かに贅沢の極みと言われても仕方の無い料理である。
前世に読んだ日本酒作りに関する本で、本当に旨い日本酒を作る為には酒造りに向いた米の表面を大きく削り、芯の部分だけを使って仕込む必要が有ると読んだ覚えが有った。
米と言う物は芯の部分に酒の旨味や香りの素と成る物が多く含まれて居り、外側に行けば行く程にソレを抑制してしまう脂質が含まれていると言う話だった、故に削れば削る程に寄り良い酒に成る、つまり糠として切り捨てる部分が多い程に贅沢な酒に成ると言う訳だ。
日本酒の最高峰と言える区分である純米大吟醸と呼ばれる酒は、米の五割以上を……半分以上を削り捨てて造ると言うのだから贅沢と言う他無い。
今俺達の前に有るその料理が純米大吟醸程に、多くの『無駄』を削り捨てて作った物かどうかは解らないが、鮪は兎も角烏賊の方は余程大きく分厚い個体で無ければ、此の様な調理で提供する事は出来ない筈だ。
前世の世界でも大王烏賊と言う全長が十米近い大きさにも成る烏賊が海には生息して居たが、その身は小便臭く塩辛い為に全く美味い物では無いと言う話だった。
と成ると此れは少なくとも前世の世界に普通に生きて居た大王烏賊とは別種の巨大で分厚い烏賊の切り身から作った料理だと言う事だろう。
普通に考えて此れは恐らく普通の烏賊では無く、区分としては魔物と呼ばれる類の物を使っているに違いない。
鮪は普通の物でも此位の大きさの料理を造る事の出来る物も居るのだろうが、この世界には一部の例外を除いて『強い魔物は強い程に美味い』と言う法則が有る為に、烏賊が魔物ならば釣り合いを取る為に鮪も魔物を使っている可能性が高いと思う。
……まぁ、口から光線が出そうな程の旨味の塊と言う訳では無いので、魔物素材を使った料理だとしても、その強さはそこそこと言った所の物だとは思うがね。
「汁物、将軍宿借の甲殻汁です」
お、此れは完全に魔物素材を使ったと明言したな、将軍宿借と言うのは将軍の名の通り無数の配下を連れた宿借軍団の首領格の魔物で、大きな個体だと十米を超える者も居る巨大な宿借である。
甲殻汁と言うのは甲殻類を殻や頭ごと香味野菜と炒め、白葡萄酒に魚の出汁なんかと共ににじっくりと煮つめ、其れから全てを纏めて粉砕して丁寧に裏漉しし、生凝乳を加えて仕上げた汁物だ。
前世に一度だけ高校の修学旅行で行った京都の宿泊施設で食べた仏蘭西料理の完全献立で、海老のソレを口にした事が有るが……此れは、うんヤベー位に美味い。
宿借を使った甲殻汁だと言うから蟹味噌に近い味を想像して居たのだが、此れは何方かと言えば海老の其れに近い味わいに感じられる……無論、前世に食ったソレとは比べ物に成らない濃厚な旨味が凝縮された汁物だが、口の中に残り続けるしつこさは無い。
汁物が配膳された時点で、匙で食器を打つ音や啜る音を立てたり、食器を持って直接口を付けて飲むのは作法違反だと注意して置いたが、どうやら彼女も上手く飲んで居る様だ。
「ぬぅ……将軍宿借は東方《龍鳳》大陸でも比較的一般的な高級食材だが、殆どは丸ごと煮るか蒸すかしてから解体して肉や味噌を食ったり、可食部だけを料理に使ったりするが……此れは殻からも旨味を抽出して居るのだろうな」
甲殻汁と言う料理自体を始めて食べるらしいワン大人は、知っている食材が未知の調理法で提供されて居る事に、感慨深い物を感じた様で一口一口じっくりと味わう様に匙と口を動かして居る。
「宿借って食えるのか……ワイズマンシティでも浜辺を探しゃ小せえ奴はそこそこ見かけるが、食うって言う発想自体無かったわ」
同じく海辺の街で有るワイズマンシティ出身のテツ氏は将軍宿借と言う魔物自体然程馴染みの無い物だった様で、普通の宿借が食材に成り得る可能性を口にしていた。
「普通の宿借も東方大陸では良く食べられている食材だな。と、言うか鳳凰武侠連合王国に置いて、毒の無い物ならば殆ど何でも食べる食文化が根付いて居るからなぁ。猫や犬に蛇辺りは他の大陸では余り食べないと聞いて驚いた物だよ」
其れに対してワン大人がそんな言葉を口にする、聞けば鳳凰武侠連合王国が成立する以前の東方大陸北部を支配して居た帝国は、圧政に依って多くの者が食べる物を選ぶ事が出来る様な状況では無かったらしい。
『苛政は虎よりも猛し』と言う言葉が示す通り、過酷な政治は虎よりも凶悪な者も多い魔物の害すら凌ぐ程の被害を人々に与えるが、其れ故に武侠達は立ち上がり帝政を打倒したのだが、其れと同時に様々な他所の土地では食べない物を食べる食文化を産んだと言う。
『四つ足の物は机と椅子以外は何でも食べる』なんて冗談は前世の世界の某大陸国家でも言われて居たが、どうやら此方の世界でも其の辺の事情は然程変わらないらしい。
「麵麭です、此方の牛酪をお使い下さい。汁物の残りを付けても美味しいですよ」
そう言って各自の席に配膳された麵麭は、所謂仏蘭西麵麭と言われて想像するあの長い棒状の『バケット』と言われる物を一口大に切り分けた物が皿の上に皆は二枚、俺とお連には十枚乗っていた。
汁物の皿を麵麭で拭って食べるのは、日本人的な感覚だと意地汚い様にも思えるのだが、正式な晩餐でも認められた作法の範囲である。
先ずは牛酪を付けて一枚食べて見るが……うん、堅いし一寸パサ付いて居て口の中の水分が持って行かれる感じがするが、小麦の風味がしっかりして居るし穀物の甘味が濃厚な牛酪に全く負けて無い。
日本人の好む柔らかいフワフワ食感の麵麭とは違うが、此れは此れで間違い無く美味い……其れに旨味の爆弾である汁物を吸わせれば、
「やば、美味」
思わずそんな声が口を突いて出る。
硬めの皮を噛みちぎり咀嚼した事で少々顎が疲れて来たが、まぁ鯣を齧るのに比べりゃどうって事は無い。
「魚料理、斬鉄鮃の小麦粉焼きです」
新宿地下迷宮でも戦った斬鉄鮃を此処で食べる事が出来るとは思わなかった。
其れにしても斬鉄って西方大陸語でもまんまザンテツって発音するのな。
小麦粉焼きは仏蘭西料理と言えば『舌平目の小麦粉焼き』と言っても過言では無い程に有名な一品だろう。
ちなみに舌平目はヒラメと名が付いては居るが、生き物の区分としては鰈の仲間らしい。
前世の世界では一般的に鮃は高級魚で鰈は大衆魚と扱われているが、恐らくは高級料理店で使われる事の有る舌平目が大衆魚では宜しく無いとか、其の辺の理由で名付けられたのではなかろうか? 知らんけど。
うん……此れも、パリッと焼かれた表面を歯が突き破ると、中から濃厚な潮の風味と柔らかな魚肉の旨味が口いっぱいに広がって美味い。
肉刀と肉叉に苦戦するお連を微笑ましく見ながら、俺は続けて舌鼓を打つのだった。




