百十四 対決! 鬼二郎と出世魚 その一
「お煎に金平糖、麦酒に高良いかがっすか―」
「賭札購入締め切りは両者入場前まで! 現在の賭け率は六対三対一! 鬼二郎の圧倒的優勢だぁ!」
「おう! ゴルァ! てめぇ誰に断ってここに見世だしてんだ! ウチはお上にショバ代払ってんだ! タダ乗りなんぞしたらタダじゃ置かねぇぞ!」
「ちょいと! 清吾、鈴木清吾の勝札を十両分頂戴! 大穴じゃないの!」
「余は分けに十両じゃ。あの一郎の息子と弟子、どちらも甲乙付けがたい」
「高額投票が入ったぞ! これで賭け率は四対四対二だ! まだまだ鬼二郎の優勢だぁ!」
絶え間なく響き渡る的屋や博徒の叫び声、ここは江戸城南門前の広場だ。
普通、野試合や果たし合いは河原や神社など人気のない場所で、人知れずひっそりと行われる。
それは両者の面子の為である。
見た者が居なければ勝った側は勿論、負けた側とて『相手が卑怯な手を使った』などと言い掛かりや負け惜しみを流布出来るし、証人が居なければどうとでも言い繕う事も出来る。
良くも悪くも面子を保つ為の保険的な意味合いも有ってか立会人すら置かない事もあるのだそうだ。
だが今日のこの闘いについては、そう言った面子を大事にして秘匿する訳にはいかない。
義二郎兄上が勝ったならばまだしも鈴木が勝った場合、勝負の行方を秘匿すれば兄上に負けた連中が挙って八百長だ何だと騒ぎ出し兼ねない。
でもだからと言ってこれ程賑々しい状況を作らなくても良いのではないだろうか!?
城門前の広場は江戸中の武士どころか、その傘下の兵達が整列して余る程の広さがある、そこに丸太と縄で作られた巨大な、一対一で闘うには巨大過ぎる決闘場が設けられ、その回りには黒山の人、ひと、人……。
数えるのが馬鹿らしく成るほど膨大な人数が江戸中から集まっている様だ。
「幾らなんでも人、集まり過ぎじゃないですか?」
そんな中決闘場の北側、城門との間の真正面特等席とでも言うべき場所に俺は仁一郎兄上と共に居た。
「……そうか? 馬比べ場も何時もこんなものだぞ? 今日は他の催しは無かった筈だしな」
江戸の街には前世とは比べるまでも無く娯楽が少ない、自分が巻き込まれたのでなければ喧嘩どころか戦争すらも娯楽とするのが人間である、さらにはその結果を巡って博打まで有るとなれば、この人出も異常という程ではないのだろう。
「確か賭博は禁止されていたと思うのですが、こんな大々的にしかも城の前でやらかして良いのですか?」
この賭博を仕切っているのは、我が猪山藩の中間達、松五郎とその子分たちである。
俺の記憶が正しければ幕府も賭博を禁止していた筈だ、この博打の元締めがわが藩の手の者だと言う事は明らかであり、それが問題視されれば間違いなくお咎めは家にも振りかかる。
「別に博打を禁止する法度は無いぞ。禁止されているのは江戸市中で勝手に賭博場を開く事だ。今日はしっかりと幕府に届け出をして許可を得ているから問題無い。それを言い出せば馬比べ場も禁止と言う話になってしまう」
そういえばこの火元国の法律は前世の日本に比べれば随分と緩いのだった、法に明記されていない事はほぼ全てが裁く人間の裁量で決める事が出来るのだ、その権限の最上位で有る幕府、上様の許可が出ている以上、誰が文句を言う事も出来ないと言う事か。
「……お前は賭札を買いに行かなくて良いのか? そろそろ締め切りだぞ?」
……賭博が許可されているのはまぁ良いが、年齢制限すら無いのはどうだろうか。
「いえ、俺は別に賭博を好むって訳じゃないですし……」
むしろ取り締まる側の人間だった事もある俺はそれを楽しもうとは考えられなかった。
博打で身持ちを崩した人間だって腐る程見てきたのだ、自分でそんな場所に踏み入れようとは思えない。
とはいえ、掛け云々は別としても勝負の行方が気にならないと言えば嘘になる、兄上の言葉通りならば決闘場の準備もそろそろ終わるということだろう。
今回の決闘場は地面に打ちたてた丸太にロープを貼って内外を分けただけの簡単な物だ。
だがその中へと目をやれば、俺の目から見ても普通ではないと思える点が幾つかある。
まずはその広さだが一片が約20メートル程の正方形、剣道の試合場が一片10メートル前後だった事を考えるとかなり広い様に思える。
さらに一目で見て解る特徴として、試合場一面に鞘にすら収められず剥き身のまま立ち並ぶ無数の刀や槍の数々だろう。
それがどういう意図で用意された物かは今ひとつよく解らないが、俺が闘う立場だとすれば正直邪魔以外の何物でも無い。
しかしこの舞台は父上の指示で用意された物だったはず、となればどちらかに優位な場を作るとは思えない。
「兄上、あの武器は……」
そう疑念を俺が口にしようとした時だった。
「ヘィヘィヘィ! 会場の皆様方、大変お待たせいたしました! これより始まりますは世紀の大決闘! 猪山藩が誇る次代の英雄『鬼二郎』こと猪河義二郎と、あの『一郎の息子』鈴木清吾の対決だぁ!」
高らかに打ち鳴らされる太鼓の響きと共に、それに負けないよく通る声が上がる。
「なお本日の実況は幕府広報方所属、古太刀 一刀斎が、解説は本日の主催者、猪山藩藩主猪河四十郎様でお送り致します。猪河様、よろしくお願いします」
と、声の出処を探してみると丁度俺達が居るのとは反対側、南側に設置されたアナウンス席らしき場所に言葉通り父上の姿も見える。
「うむ、よろしく頼む」
決して大きな声を上げている様子は無い、だが父上のその声も距離が有るとは全く思えないほどクリアに耳へと届いて来た。
「まずは皆が知りたい事から聴いていきたいと思いますが、此度は御方の御息女、礼子姫の婚約者を決める闘いだと巷で話題と成っておりますが、その白羽の矢が立ったのが他家のご子息では無く、自藩の家臣と言うのはどういう采配でしょう」
古太刀と名乗ったアナウンサーらしき男は、全く臆する事無くそんな事を口にした。
その問が下手をすれば、兄上に負けた者達の対面を潰しかねない、場合によっては藩同士の合戦の火種ともなり得る危険な発言だ。
「うむ、事の発端は礼子に持ち込まれた縁談の相手が義二郎に勝負を挑んだのが始まりでの。おっと流石に相手が誰かと言うのは秘密じゃ……」
恐らくは事前に打ち合わせされたやり取りなのだろう、父上は言い淀む事無くそうあっさりと返答を返す。
その内容は一応相手に配慮している様だが、殆ど包み隠さずと言えるレベルだ。
「これ、良いんですか?」
「……むしろ公然の話とした事で、他所からの横槍を防ぐ一手だ」
兄上の解説に拠れば、こうしてぶっちゃける事で『勝負の結果に対して物言いをつける』=『義二郎兄上に負けた奴』という図式を作ったのだと言う。
「義二郎が勝てば何の問題も無いが、清吾が勝てば余計な事件を招き兼ねないからな」
こうして牽制しておけば、もしも試合後に清吾が闇討ちだのに有ったとしても、相手はそれをもって勝者で有ると声高に主張するのは難しく成る、そう言う事らしい。
「興味深いお話、誠に有難うございました。それではそろそろこの試合の立会を務める人物を紹介したいと思います。『鬼二郎』の師匠にして、鈴木清吾の父! あの! あの! 『あの一郎』の入場です!」
その言葉と共に歓声が一際大きく成った、いやそんな生易しい物ではない、先程から打ち鳴らされている太鼓の音すらも掻き消す様な、地響きの様な怒号が当たりを埋め尽くす。
だが決闘場の回りは蟻の一匹すら這い出る隙間が無い程に人に埋め尽くされている、前世の世界のプロレスやボクシングのリングの様に花道が用意されている訳ではない。
一体何処から来るのだろう、そう思ったその瞬間。
「わっはっは! 俺、推参!」
そんな叫び声と共に俺達の頭上を跳んで行く黒い影、それは間違いなく何処かに逐電していたはずの一郎翁だった。




