千百五十二 志七郎、竜の王と対面し戦術を考える事
「ようこそ、世界の果てからの稀人よ。貴殿等があの忌々しき魔獣を討ち倒してくれたが故に、我は再び此の密林に君臨する事が出来る、我の吐息がその礼に成ると言うならばお安い御用と言う物だ」
人食い加加阿の素材を一纏めにして、四煌戌の背に積んだ俺達は再びスー族の集落へと戻って来た。
そして族長殿の案内で森林竜達の王である霊獣ケツアルコアトルと面会を果たしたのだ。
どうやら俺達がガララアイや妖精の珈琲の実に人食い加加阿なんかを採りに行っている間に、アーマーンに手酷く傷付けられた傷も癒えた様で、巨大な蛇の様な所謂『東洋竜』が塒を巻いた姿のままで歓迎の言葉を口にした。
見た目の印象としては某国民的漫画で七つの玉を集めて呼び出される竜から角を取っ払って、毛の代わりに羽毛が生えて居る姿を想像してもらえば大体合って居るだろう。
そんなケツアルコアトルは人の言葉を話す事が出来るらしく、西方大陸語圏産まれでは無い俺達にも聞き取り易い、極めて綺麗な発音で人語を口にする。
……喋る東洋竜ってだけで、某漫画の印象が強く湧くのは多分気の所為では有るまい。
ちなみにケツアルコアトル以外の森林竜も大きさは違えど大体同じ様な見た目だそうで、西方大陸では可也珍しい類の竜種なのだそうだ。
密林に生きる精霊信仰の民達に守護神と崇められる森林竜達は、他の個体も人間の言葉を理解する事は出来るのだが、こうして言葉を発して会話する事まで出来るのは王で有り霊獣であるケツアルコアトルだけだと言う。
なお西方大陸に生息する西洋竜の類だと、霊獣で無くても拙いながらも人語を解する種も居るらしいので、其の辺はまぁ種族の差の範疇なのだと思われる。
「ではケツアルコアトル様の甘い吐息を賜る、スー族の者以外に此れが授けられるのは極めて異例な事、故に皆心して頂戴するのだぞ」
スー族の長でありケツアルコアトルに仕える神職の様な役割を担うスー族長が、そう言ってから大きな丸太から削り出したであろう重そうな木の器を恭しくケツアルコアトルの前へと差し出した。
するとケツアルコアトルは其の器に向かって大きく口を開くと……
「ウゥ……おぇぇええ」
なんとも言い難い声を出しながら、白い粘液の様な物を吐き出した。
其の絵面は日本神話で素戔嗚尊が八岐大蛇にしこたま酒を呑ませて、ヘベレケになって嘔吐して居る姿にしか見えず、今ならケツアルコアトル討ち取れるんじゃね? と思ってしまう……やらんけど。
「と言うか、今からアレを飲む……のか?」
テツ氏が嫌そうに顔を顰めてそんな言葉を口にする、まぁ無理も無い。
幾ら身体に良いと言われても、どう見ても嘔吐物にしか見えない其れを飲めと言われて抵抗が無い方が奇怪しいと言える。
ただ……俺にはスー族長が置いた器から漂う微かに酒精の匂いが混ざった甘い香りには覚えが有るのだ。
「お前様……此の匂いって多分、甘酒ですよね?」
同じ結論に思い至ったらしいお連が其の答えを口にする。
恐らく前世の日本でも今生の火元国でも普通に生活していれば、一生に一度も其れを口にした事が無いと言う者は殆ど居ないだろう。
大晦日に神社へと二年参りに行けば蕎麦と一緒に販売されていたり、場所に依っては無料で振る舞われて居たりする事も有るし、三月三日の桃の節句……所謂雛祭りには比較的度数の高い白酒の代わりに子供は甘酒を呑む習慣の有る地域も有った。
男兄弟しか居なかった前世の隠神家で育った俺だが、地域の子供達が集まる文字通りの駆け込み寺だった親友の家では、近所の子供達を集めた雛祭りの宴会の様な物が毎年行われており、其処で出されて居たのもやっぱり甘酒だった。
起源を辿れば戦国時代辺りに行き着くと言うあの寺では、かなり昔から同様の催しをしていたらしく、戦前は子供にも甘酒では無く白酒を出して居たそうだが、甘酒を振る舞う様になったのはやはり時代の流れと言う物なのだろう。
其れに以前読んだ酒の歴史に付いて書かれた本に、縄文時代辺りには酒作りの際に女性が噛んだ米の飯を吐き出して発酵させた『口噛み酒』や『美人酒』等と呼ばれる物が有ったとも書かれて居たし、その類と思えば理解出来なくも無い。
森林竜はケツアルコアトルに限らず此の甘い吐息を、幼竜を育てる為に吐くと言う話だったが、恐らくは様々な植物と一緒に食べた物の中で炭水化物の類を、専用の吐息嚢とでも言うべき器官に溜め込み発酵させて居るのだろう。
「森林竜の吐く甘い吐息は幼竜の食餌としても使われるが、其れ以上に重要なのは戦闘中に武器として吐き出した際の効能だ。他者を傷つける為に吐かれた其れは眠りを齎す不思議な効果が有るのだ」
スー族長曰く、森林竜が密林に出現する大型の魔物にそう簡単に負ける事が無いのは、甘い吐息の威力も然ることながら其れが齎す『睡眠』の悪影響が可也強いから……らしい。
前世の頃には余り遊ぶ事の無かった電子遊戯だが、今生で此方の世界に持ち込んだノートPCに入れて貰った幾つかの大人向けの其れで少し遊ぶ様に成った其れの中では、精々敵の手番を数度潰す程度の効果しか無い物が多かった。
しかし現実の世界での戦闘に置いては、ほんの一瞬相手から視線を切る事すら大きな隙であり、殺し合いの場であれば其れだけの隙を晒せばあっという間に命は儚く散る。
大型魔物同士の戦いでも恐らく其れは同じで、甘い吐息を吹き付けられ睡眠状態に陥った時点で急所を守る様な事は出来なく成る為、後は首なり心臓なりの致命傷に成る場所を食い千切るとか、その長い身体で締め上げるとか好きな方法で料理出来ると言う訳だ。
ケツアルコアトルがアーマーンに遅れを取ったのは、恐らくは何時も通り甘い吐息で眠らせてから仕留めると言う戦術を取ろうとした所で、王河馬鬼が何等かの形で介入し不意打ちでアーマーンの反撃を貰ったと言った感じなのではなかろうか?
電子遊戯では無いがもう一人の親友に付き合って多少齧ったトレーディングカードゲームなんかでも、ハマれば強いが引きが悪いと何も出来ずに終わるデッキなんてのも有ったし、一つの手に居着くのは戦闘に置いては完全な悪手と言える。
武術の世界でも秘技や奥義なんて呼ばれる様な技は、決まればあっさり勝負が付く様な強力な技術だが、其れに拘り過ぎる余り逆に手が狭まって総合的に見ると弱く成る……なんて話は割と良く聞く話だ。
必勝の型を持つ者は確かに強いのだが、其れが居着いて一つの型に囚われてしまっては駄目だと言う事だ、一つの型に陥った者は其れを破られた瞬間に他の手が無いと言う状況に陥る訳である。
『奥義は基本の中に有り』と言う格言も前世に読んだ格闘漫画で見た覚えが有るが、此れが正鵠を射た表現で特別な技に拘るのではなく、基本と成る技を極めたと言える程に磨き上げて其れ等を組み合わせる事こそが、本当に強くなる唯一の道と言えるだろう。
霊獣は知恵有る獣だがやはりその存在は飽く迄も獣で、彼等が使う武術等と言う物は基本的に存在しない……格闘技を修めたゴリさんがやはり例外枠なのだ。
必殺の型を持つ獣であるが故に、其れを破られた時が脆かったと言う事なのだろう。
しかし霊獣であるケツアルコアトルは恐らく今回の経験を活かして、同じ轍を踏む事は二度と無い筈だ。
「さて……此の盃で一杯掬って呑むが良い。此れは妖精の珈琲の実なんかとは違い、女性が呑んでも身体に良い効果しか無いでな。恩人達皆で分け合ってのむのだぞ」
どうやらケツアルコアトルが器に吐き出し終わった様で、其れを持ったスー族長が人数分の盃を手に此方へとやって来た。
前世の世界でも甘酒は『飲む点滴』と言われる程に豊富な栄養価を誇る飲み物だ。
森林竜の甘い吐息も恐らくは同様に優れた栄養価を持つ飲み物なのだろう、そう判断し尻込みするテツ氏やワン大人を尻目に、俺とお連は盃へと手を伸ばすのだった。




