千百五十 志七郎、食文化を考え人食い加加阿と対峙する事
「残念、此処はハズレなのだ。どうやら先に実を狙って来た連中が見事に全滅してるのだ」
ターさんの案内で最初に辿り着いた人食い加加阿は、一本の木には見えず複数の細い木が密集している様な姿をしていたが、其れ等は全て一つの大きな根を共有しているので間違い無く一個体らしい。
普通の加加阿の木や実を見た事が無いので違いは良く解らないが此れが尋常な木で無い事は、根本に転がっている比較的新しい物と思しき白骨死体が如実に物語って居た。
此れは……ガラナの木が妖怪化したガララアイと呼ばれる魔物の種子を手に入れる時に聞いた『移動しない植物系魔物の見分け方』そのまんまの奴だ!
ただどうやら俺達よりも前に来た者達を相手に実は鈍器として使われてしまった様で、落ちている頭蓋は頭部を強打された事に依って大きく砕けていたし、幾つも生えた枝を見る限り実らしき物は一つも付いて居ない。
「いや、鈍器として使われたと言うのは、あの亡骸を見れば解かるのだが……その後の実はどうなったんだ?」
鞭の様に撓る枝の先に付いた硬い実は連接棍の様に、実を狙う不届き者を打ち据えると言う話で、しかも誰かを殴り殺した実は中に詰まったパルプと呼ばれる果肉が崩れてしまい猪口齢糖の材料には使えないと言う。
「ああ、強い衝撃を受けパルプが崩れた実は、枝から落ちて草食動物達の餌に成るのだ。その際に種も食われるけれども、種子は消化されずに何処かで糞と一緒に落ちて別の場所で芽吹くのだ」
多くの木の実が品種改良前から其れなりの甘さを持つのは、其れを種諸共に食べた動物の腹へと入り込み、後に種だけが消化されずに排出されて別の場所へと種の生育地を広げる為だ……と、前世の世界で受けた理科の授業で習った気がする。
故に本来の野生種の大半は果肉が少なく一寸齧っただけで種が口の中へと入り込み易い物が多いとも聞いた覚えが有った。
そうした物を人間の都合が良い様に長い時間を掛けて何代も交配を繰り返した結果、果肉部分が大きく成り種は小さく……場合に依っては完全に種の無い果実と言うのが実る様に成るのだ。
其処まで行くと種の繁栄も何も有った物では無いとも思うのだが、野生の中で淘汰されるのか人間に世話をされ人間の手で苗を作られ増えていくとどっちが良いのか……と言う話に成ってくるのだろう。
植物に限らず野良猫の様に過酷な環境でも自由に暮らせるのが良いのか、其れ共三食昼寝付きの飼い猫生活何方が良いかとか、野生の自由と家畜の平穏を比べるなんてのは、動物愛護団体や自然保護団体絡みの案件に偶に聞いた話だが、恐らく正解は無いのだと思う。
或いは人間の行いもまた自然の摂理の範疇に有る事で、そうした議論自体が無駄だと言う可能性だって零では無い。
取り敢えず少なくとも俺が死ぬ直前まで科学的根拠の無い反捕鯨活動に関しては、完全に日本を叩く為の棒としての機能しか持って居なかったな。
猫より犬派な俺としては犬を食うと言うお隣の国の文化は受け入れがたい物が有ったが、それでも他所様の食文化に文句を言う様な事はしなかった。
鯨料理も何度か食った事が有るが、部位に依って様々な味わいの有る其れは獣肉と魚肉の良いとこ取りをした様な良い物だったし、祖国の伝統食文化として守るべき物だとすら思って居た物だ。
と、そんな事を考えながらターさんの案内で次の人食い加加阿へと向かうと……
「当たりなのだ! 実がひのふのみの……七つも生ってるのだ」
実を守る為なのか先程の人食い加加阿の木とは違い、的に成るだろう生き物が近くに居ないにも拘わらず、非常に好戦的な感じで枝が風を斬る音を立てて振り回されている。
「……猪山で偶に見かける妖怪向日葵も可也好戦的な植物系の妖怪ですが、人食い加加阿は其れ以上に見えますね」
そんな様子を見て呆れた様な声でそう言うお連、此の世界で生まれ育った彼女の目から見ても人食い加加阿は一寸奇怪しい位に好戦的な魔物に見える様だ。
「アレの中に入って実の付いた枝を断ち斬り、其れが地面に落ちるよりも早く受け止めなけりゃ成らないとか……無理ゲーじゃね?」
先端が見えない程に早いと言う訳では無いが、間合いに入れば四方八方から打ち据えに来るだろう鞭の様に唸りを上げて撓る枝を見て、テツ氏も嫌そうな表情でそう吐き捨てる。
「むぅ……一本二本ならば避けたり捌いたりする事は出来なくも無さそうでは有るが、嵐の様なアレに挑むと言うのは……西方大陸の冒険者と言うのは、無謀を通り越して愚かなのでは無いか?」
幾ら一攫千金の機会と言えども命を落とす可能性が極めて高い博打に挑むのは只の愚か者だとワン大人が溜息を吐く。
アレが普通の木の枝ならばしっかりとした鎧を身に着けて居れば、多少打たれた所でどうと言う事も無いのだろうが、ターさんの言葉に依ると金属の鎧を打ち据えても折れる様な事の無い程に硬さと柔軟さを両立させた代物だと言う。
「硬くて強い木なら魔法の杖の材料や、他の術具の素材としても使えそうだな」
無謀だと言う他の面子の言葉を他所に、俺は氣を眼球に集めて動体視力を限界まで強化する事で、枝の動きに規則性が無いかを確認する……が、残念ながらアレはやたらめったらに振り回しているだけで法則の様な物は無さそうだ。
「なぁターさん、実の付いた枝だけじゃなくて他の枝も切ってしまっても大丈夫なんだよな?」
問いかけながら鎧に付いている一発で脱ぐ為の機構を作動させ褌一丁の姿に成ると、全身から氣の素を取り込み心臓の奥から湧き上がる氣とぶつけ合わせ、その反発に依って通常時とは比べ物に成らない程の氣を纏う。
錬水業を学ぶ前は激しい氣が炎の様に身体から立ち昇り、同時に周囲へと強い衝撃波を産んで居た筈だが、今は身体の周囲に無駄無く氣を巡らせる事が出来る為にそうした激しい反応は無い。
だが今の俺の身体の回りには氣を見る事が出来ない者の目にすら、見える程の濃密に圧縮された氣が、日本海流の様に激しく荒々しくそれでいて深く速く巡っているのが見えるだろう。
錬風業……裸身氣昂法で身に着けた爆氣功を、錬水業で無駄無く綺麗に巡らせる、その全力が今の状態だ。
此処まで濃い氣を練り上げるのは御祖父様との稽古の時以来で、実戦で使うのは初めてである。
錬風業と錬水業の併用自体は玉猪竜の塔で悪食粘液に襲われたストリケッティ嬢を助ける際にも使ったが、アレは今の様に全力全開だった訳では無い。
二つの業を重ね合わせた此の状態は、長く続けると其れだけでも氣脈に負担が掛かり氣脈痛とはまた違う感じの症状が出て、暫くは氣を練る事すら出来ない状態に成るのだ。
しかし今回はその危険性を承知で此の異能を使い、可能な限り短時間で実の付いた枝を斬り落とす!
「俺が突っ込んで叩き斬る! 皆は飛んだ実の確保を頼む!」
もう一段階か二段階氣を扱う技術が伸びれば、御祖父様が新宿地下迷宮で壁を打ち抜いた奥義である『魔王咆哮剣』の真似事で人食い加加阿の数えるのも面倒に成る程の枝を、纏めて伐採する事も出来そうな気もするのだが……残念ながら今は未だ無理だ。
故に自分が扱いきれるギリギリの濃度の氣を身に纏い、其れで脳と目を強化し意識加速の中へと入る。
普段纏っている氣だけでも意識加速は使えるが、其れだけだと水中で無理やり動いている彼の様に、自分自身の動きまで鈍化に成ってしまうが、今の氣の量ならば肉体の速さも加速した意識の中で自在に動ける所まで強化する事が出来るのだ。
更に刀にも氣を流し込み普通の刀でも斬鉄が可能と成るだけの鋭さと硬さを加える、魔物の素材を練り込んだ刃金で有れば恐らく鬼亀の甲羅も斬れる!
此れに加えて精霊魔法の補助も使えたら良かったのだが、其れをやると間違い無く氣脈痛か魂枯れを起こしてしまうだろう。
氣脈痛なら爆氣功の様な強力な氣で無理やり治す事も出来るのだが、自力でやるのは割と厳しいし、今後の成長に期待と言う事で今回は無しだ。
そうして氣に依る強化を限界まで纏った俺は、吹き荒れる枝の嵐の中へと踏み込むのだった。




