千百四十八 志七郎、果実を口にし禁じ手に手を出す事
「「酸っ!?」」
たわわに実った妖精の珈琲の実をを枝から削ぎ落とす様にして、掌一杯に採った俺とワン大人は一粒口にするなり、声を揃えてそんな声を上げた。
珈琲の実は一粒一粒が然程大きく無い上に、実の大きさに対する種の比率が多く、果肉の量は本当に少ししか無い。
しかしその分と言う事なのか妖精の鱗粉で成長促進が掛かって居るにも拘わらず味が結構濃い……但し其れは甘味では無くエゲツナイと言いたく成る程の酸味だったのだ。
向こうの世界の日本で酸っぱい物の代表としてよく上げられて居た檸檬や梅干しが、可愛らしいとすら思える程の酸味を感じ口を火男の面の様に窄めてしまう。
此れに匹敵する酸っぱさは前世の記憶の中から探して見ると、一番近いのは俺が子供の頃に某製菓会社から発売された眠気覚まし用として酸っぱい粉を纏った檸檬味の飴が有ったが……多分アレよりも更に酸っぱい様に思えた。
その飴を想像した所為と言う訳では無いのだろうが、酸味が過ぎ去った後から一歩遅れて甘味が口の中へと広がって行き、二度と食べたく無いと思わせた酸っぱさが嘘の様にもう一つ食べようかな? と思わせる。
「あはは、妖精の珈琲の実の味はどうなのだ? 此処等辺で取れる普通の珈琲の実は酸味と甘さの均衡が取れているから其処まで酸っぱいとは感じないのだけれどもね」
過去に此れを食べた事が有ると言うターさんが、俺達の反応を見て悪戯が成功した小僧の様に笑いながらそんな言葉を口にする。
聞けばテノチティトラン王国では余り盛んでは無いが、他の未開拓地域に近い都市国家では外貨獲得の手段として珈琲の栽培を奨励して居る所が割と多く、そうした場所にも行く事の有るターさんは普通の珈琲の実を食べた事が有るのだそうだ。
「お前様、大丈夫ですか? お水飲みますか? 先程の説明では歳の数の倍食べるんでしたよね?」
俺達の反応を見たお連がおろおろとした様子で革で出来た水袋を差し出して来るが、
「いや大丈夫だ、酸っぱいのは最初だけで少ししたら甘く成ってきたから」
「うむ、此の酸味は悪く無い……寧ろ良い、私はこう言う酸っぱい物が大好きでね。ワイズマンシティでは新鮮な果実の類は中々手に入らないからな、此の機会に他の酸っぱい果実も食えるだけ食って置くのも良いかもしれん」
俺は酸っぱい物は嫌いと言う程苦手では無いが、ワン大人は寧ろ大好きだった様で此の旅路の間、殆ど表情を崩さず厳しい顔をしていた彼が満面の笑みを浮かべて居た。
「酸っぱいものが好きなら人食い加加阿を狩りに行くついでにグラナディーヤも採って食べるのだ。時期的にそろそろ食べ頃に成る場所が有った筈なのだ」
グラナディーヤと言うのはこの辺りで取れる果実の一つで、ターさんが知る限り最も酸っぱい食べ物らしい。
「此処にもグラナディーヤは生えて居るが、其れでは駄目なのか?」
女王様がターさんにそう問うが、
「何時だったか忘れたけれど……此処のグラナディーヤを食べた事が有るのだが、水っぽいだけで甘味も酸味も殆ど無い感じで正直美味しく無かったのだ」
残念ながら濃縮された酸味は全く感じられず、水分補給には良いかな? と言う様な味だったのだそうだ。
と、そんな話をして居る外野は置いておいて、俺とワン大人は二粒目の妖精の珈琲の実を口にする。
「ありゃ……さっきのが特別酸っぱかったって事か? いや、舌が麻痺して居るだけだな」
今度は先程の様な舌を刺す刺激は全く感じる事は無く、最初から僅かな甘味と爽やかな果実の風味口から鼻へと抜け、後から珈琲らしい渋みだけが口の中に残る。
うん、見た目からさくらんぼと名付けられて居るが、味的には完全に別物だな。
三つ四つと食べて行くと腹の中がぽかぽかと温まる様な感覚と共に、目と頭が冴えて来るのを感じる……此れは多分珈琲涅の効果だろう、前世に徹夜で捜査を続ける際によく飲んでいたエナジードリンクを飲んだ時の感覚に良く似ている。
そうか……珈琲は果実にも珈琲涅が含まれ居るんだな。いや、俺の記憶が確かならガラナ飲料やお茶の類にも珈琲涅は含まれて居た筈だし、濃度の多少は有れども珈琲涅と言うのは実は割とありふれた物質なのか?
そんな事を考えながら二十粒を数え、そろそろ食べるのを止めようと思った時だった、下腹部……いや息子さんに間違のいない違和感を感じたのだ。
ウポポ族の薬湯の様に睾丸を画鋲で刺した様な痛みは感る事は無く、寒さに縮こまった陰嚢が風呂上がりの其れの様に緩んだ様な気もする。
欲求が不満する程に欲望が溢れ出す……と言う程では無いが、間違い無く俺の中に雄としての欲が産まれて来たのを感じたのだ。
「おお、此れは……過ぎ去りし二十代を思い出させる此の衝動……確かに此れを若い者が口にしたならば辛抱堪らんと成るのも解かるな!」
どうやらワン大人も俺と同じ様に雄としての衝動を感じて居る様だが、鍛錬を積んだ武芸者である彼はそうした欲に飲まれる様な事も無く、見事な自制心で己を抑え込んで居る様である。
前世の俺は未だ息子さんが元気を失う前に命を落としたので余り実感が湧かないが、年老いてソレが使い物にならなく成ると一気に老け込む男性の話は割と聞いた事が有る。
逆にモノが駄目に成って尚も助平心を失わず、性的嫌がらせを繰り返す爺に成る者も居たりするので、其の辺は割と個人差が有るものなのだろう。
生まれ変わる前の俺……隠神剣十郎と言う男が何方の性質だったのかを知る術はもう無いが、多分此の身体は……猪河志七郎は前者の方だ。
なんせ息子さんに元気が巡る感覚を覚えると同時に、心臓の奥の氣が溢れ出す場所、即ち『魂』の在り処が一段階強く脈動する様に成ったのである。
つまり睾丸が健全化した事で男性内分泌物が分泌される様に成った事で、身体が一気に成長期に入ったと言うのも間違いないのだろうが、其れと同じ位『男としての魂』も強化された様なのだ。
『髪は女の命』なんて表現が有るが、息子さんこそ……いや助平心こそが『男の魂』と言っても過言では無いのかもしれない。
だからこそ息子さんが元気を失う事で助平心を失った男は活力を失い、老いて尚も助平心溢れる性的嫌がらせ爺は年甲斐も無く元気を保つ事が出来るのだろう。
村々むらむらムラムラ……未だ完全に身体の調子を取り戻したとは言い難い筈の俺では有るが、気を抜くと脳裏に玉猪竜の塔で見てしまったストリケッティ嬢の艶姿がチラつく。
健全で健康な身体を持って居た前世の俺、其れも十代後半から三十代に掛けての精力漲って居た頃ですら感じた事が無い程の煩悩が身体に漲って居るのだ。
「……キンじ手、自主規制拳」
幾ら妄想の類だとしても現実に存在して居る人物を汚す様な真似をするのは好みでは無い……故に俺は前世に読んだ漫画で目にした禁じられた秘拳を繰り出す。
其れは己の拳で己の息子を規制する危険な技だ!
此の技の骨は玉を叩かず竿だけにしっかりと拳を当てる事である。
耐え難い……けれどもギリギリ耐えられる痛みに煩悩に染まっていた脳味噌が澄み渡って行く。
「お、おい! いきなり何してんだよ! 其処はヤベェだろ!」
自分の其処に被害を受けたと言う訳でも無いのに内股に成って其処を庇う様な姿勢に成ったテツ氏が驚きの声を上げた。
どうやらターさんも同じ様な恐怖を感じた様で同様に防御体制を取っている。
此れは『男にしか解らない痛みだ』なんて表現が前世の世界の創作で良く見たが、ぶっちゃけ股間は男女問わず内臓が外部に露出した急所で、其処を蹴り上げる所謂『金的』は殺し合いでも無けりゃ使っちゃ行けない禁じ手だ。
「うむ……無茶では有るが、其れをするのも仕方ないだろうな、老いたる此の身ですら色欲が溢れて止まぬのだ。未だ若い少年ならば過激な手で規制するのも仕方有るまい」
ただ一人、同じ物を口にしたワン大人だけが理解を示す様に両腕を組んで頷いたのだった。
今週末は遠征が必要な用事が入っている為、次回更新は6月24日月曜深夜以降と相成ります
ご理解とご容赦の程宜しくお願いいたします




