千百四十 志七郎、別れを思い違和感の塊を目にする事
そんなこんなで無事にガララアイの種を手に入れた俺達は、ウポポ族の集落へと帰り着いた。
道中でネフェルミウ様は、
「有給が終わるから帰るにゃ。流石に最終日は部屋でゴロゴロして翌日の仕事に疲れを残さない様にするのにゃ。今回はおみゃーをにゃーの魅力でメロメロに出来なかったけど、おみゃーの事を気に入ったからまた休暇が取れたら遊びに行くのにゃ」
と言って世界樹へと帰って行った……のだと思う。
なんせ相手は猫系統の存在だからな、其の辺の木の陰に姿を消したかと思えば、其の儘『猫の裏道』と呼ばれる少しだけ位相のずれた空間を利用して移動するのだ、追いかけるのは不可能である。
……なんで最初、黒豹に追っかけられてたんだあの神様? いや、黒豹も猫系統の動物だから猫の裏道に逃げ込んでも其の儘追いかけられる可能性が有るのか?
まぁ兎にも角にも、ネフェルミウ様が姿を消す寸前に俺に向かって投げ接吻をしつつ片目を閉じると言う肉体言語を見せた理由が本気で解らない。
俺は前世の頃から猫が嫌いと言う訳では無いが猫より犬派だったし、今現在も実家に居る猫又女中の皆さんの子供や親戚の子だと言う猫達を可愛がるよりも、四煌戌をモフる方が楽しいまで有る。
其の為、今回の邂逅でも神で有るネフェルミウ様よりも四煌戌をモフり倒して居り、あの方に対しては割と塩対応だったと思うんだ。
なのに『また来る』とか言い出す程に気に入られた理由が全く解らず割と怖い。
相手は世界樹の頂点に可也近い地位と思わしき『世界樹運営委員長』様だ、もしかしたら俺が大分前に火元国の神々の頂点だと言う浅間様に命じられた『死神さんの真名探し』に関して何か思う所が有ると言う可能性も考えられる。
なんせ死神さんは世界樹の神々が此の世界から追放した此の世界出身の神様……らしいからなぁ。
俺を此の世界へと転生させた理由が、あの世の上下関係から来る何らかの命令と言う可能性も有れば、死神さん個人の復讐心から何らかの陰謀を企てていると言う可能性だって零じゃぁ無い。
前世の曾祖父さんが死後死神として昇神したと言うのも、界渡りの前後で耳にした覚えも有るし、異世界大戦の駒として扱われる未来は嫌だなぁ……。
「おーい、長老様が薬湯調合の準備が出来たからって呼んでるぞー」
と、アヴェナナ氏宅の軒下で、太陽の光から隠れながらそんな事を考えていると、ウポポ族の少年が俺を呼びに来た。
前回俺の息子さんを覚醒させてくれた薬湯を調合したのはウポポ族の族長で、今回の薬湯を作ってくれているのは長老と、別の人の手に依る物で有る。
ウポポ族の族長と言うのは前族長が亡くなるか、死が避けられないと判断された状況に成った時、一番強い戦士が次の族長に成ると言う風習が有る為、必ずしも族長が優れた薬湯の作り手とは限らないと言う。
対して長老と呼ばれる者は、純粋に一番永く生きているウポポ族の老人の事で、多くの場合自らの健康に気を使い長寿を得られる様に薬湯を常飲する事が出来る薬湯作りの名手なのだそうだ。
今の長老は更に錬玉術では無い『土着の霊薬』作りの知識も持つ薬師でも有ると言うのだから、ガララアイの様な貴重で取り扱い難易度の高い素材を加工して貰うのにこれ以上無い人選と言えるだろう。
「ああ、有難う。直ぐに行くよ」
呼びに来てくれた少年に礼を言ってから、立ち上がり事前に指定されていた長老が住む住居へと向かった。
今回は前回と同様に……いや其れ以上に劇的な変化が身体に現れる可能性を考慮して、数日は寝込む事を前提に長老とワン大人が協力して準備に当たってくれているのだ。
ぶっちゃけ意識が無い状態で丸一日過ごすだけでも、水分補給とかそっち関係で割と危険だからな。
ワン大人は蒸留水に溶かすだけで簡単に作れる点滴の材料と、機材を此の旅に持ち込んでくれたお陰で、其の辺の心配がほぼ無いと言うのだから本気で有り難い限りである。
……当初の予定では、俺の錬玉術に依る霊薬作りを見て盗むのが一緒に旅をする対価って話だったが、此処まで恩が積み重なってしまうと其れだけじゃぁ絶対に足りないから、何か別の方法でしっかりと御礼はしないとな。
俺が寝込んで居る間、テツ氏はウポポ族の戦士達と共に狩りへと出掛け、お連はワン大人の指示を受けて看病してくれる事に成っている。
テツ氏はまぁウポポ族から娘さんを嫁に貰うのだから、彼等と交流を深めて置くに越した事は無いし、然程迷惑を掛けたと思う必要も無いだろう。
お連には本当に掛けなくても良い苦労を掛けて居る気がするので、後からしっかりと何らかの方法で労ってやらないと駄目だよな……勿論、彼女が望む様な『早期妊娠』とは別の方法で。
そんな事を考えながら歩いて居ると、あっという間に長老宅へと辿り着く。
ウポポ族は百世帯、千人に届かない程の小さな部族では有るが、集落の有る草原の土地はその人口に対して可也余裕が有り、どの世帯も割と大きな家に住んでいる。
その中でも可也大きい部類に入るのが長老宅だ、コレは長老として敬われていると言う事も有るが、其れ以上に長老が薬師としての役割を担う為に此処が『病院』に近い施設として扱われている事も有り、他所より大きな家に成っているのだろう。
「失礼しまーす」
入口に掛かって居る縄暖簾の様な物を手で押しのけながら、中へと入ると其処には幾つもの寝台が並んでいる光景が広がっており、前世の感覚で言う病院の其れでは無く、何方かと言えば野戦病院と言う方がしっくり来る様な有り様だった。
とは言え、其処に並ぶ寝台の上には誰が寝ている訳でも無く、命の選別 が行われている様な切羽詰まった状況が展開されて居る訳でも無く、ただ単純に幾つもの寝台が同じ部屋に寿司詰めで成らんでいると言うだけだ。
コレ衛生的に大丈夫なのか? と警察病院にお世話に成った部下の見舞いなんかで、多少なりとも前世の世界の医療現場を見た事の有るからそんな疑問も湧くが、向こうの世界でもとある有名な看護師が環境改善するまではこんな感じだった筈なので仕方無いのだろう。
「イッヒッヒ、よく来たねぇ坊や。此処まで強力な霊薬を調合する機会なんざぁ早々無いからね、年甲斐も無く張り切っちまったよ」
そんな言葉で俺を迎えてくれたのは、腰が曲がって尚も身の丈六尺有るワン大人に見劣りしない、高身長且つ筋肉質な『お前の様な婆ァが居るか』と突っ込みたく成る人物だった。
……正直皮の胸当てと下履きを装備して無ければ、彼女が女性だと断言する事は出来なかったと思う。
ウポポ族の男性は成人の儀式以降、基本的に股間に動物の角を使って作った下着を身に付けているし、女性は女性で皮の胸当てと下履きしか身に着けないから、服装で性別の判定が確実に出来るんだよな。
幾ら女性の服装をしていたとしても、火元国で着られている様な着物やワイズマンシティの洋服なんかだったなら、オカマの可能性すら疑ったと思う。
男女共に強い事を尊ぶウポポ族の女性だし、彼女も若い頃は相当強い女戦士だったと言う事なのだろう……薬師としても有能だと言う事を考えると、文武両道に優れた『ウポポ族にとっての良妻』だったのではなかろうか?
「さて……んじゃまぁ始めるとしようか。お若いの、あんたは外の世界の医者だと聞いている、ならば霊薬にも一家言有るとは思うが、此処ではアタシの流儀に従って貰うよ」
そんな事を考えている間にも、長老さんは俺に処方する霊薬? 薬湯? の下拵えを終えたらしく、ワン大人に対してそんな言葉で釘を刺す。
「心得て居りますとも……私の仕事は貴方が処方した霊薬の効果が出て、彼の身体に変化が出てからの事ですからな」
それを鷹揚な態度で受け取ったワン大人を見て、長老は一つ頷くと『魔女の大鍋』としか言いようの無い物に刻んだ材料を入れ始めるのだった。




