千百三十六 志七郎、怯えを飲み込み卑劣を覚悟する事
野生の獣と言う物は体格の大きさだけで無く、身体に染み付いた血の臭い等の体臭なんかで、相手を格上か格下かを判断して居る所が有るらしい……と、言うのも、
「わふ……くぅん?(どうしても……探さなきゃ駄目?)」
あの髑髏喰らいの群れを改めて四煌戌達に命じた際に、三つの首の中でも特に臭いに敏感な翡翠が、そんな渋る様な声を上げたのだ。
「何だどうした? 彼奴等がお前達よりも格上の肉食獣だとでも言うのか?」
兜の下に被った聞き耳頭巾のお陰で彼の言っている事が明確に理解出来た為に、無理やり命令を聞かせて強行する様な事をしなくて済んだのは幸いと言って良いと思う。
「ばふ、わうわう、わおーん(ちっこい奴の群れもヤバいけど、其れ以上に彼奴等と一緒に居た奴が、ヤバすぎるんだ)」
そんな言葉から始まった翡翠の言に拠れば、髑髏喰らいは確かにヤバい魔物では有るが、其れ以上に問題なのは鼠の群れに王冠の様に乗っかっていた畜将企鵝だと言う。
俺が調合した火炎爆弾を複数同時に使えば髑髏喰らいを倒し切る事が出来るのは、世界樹に住む神で有るネフェルミウ様の目から見て太鼓判を押して保証する事が出来るそうだ。
だが問題に成るのは此の密林と言う土地が、野生の動物や魔物の補充に事欠かない立地だと言う事である。
幾ら将の名を冠する魔物とは言え火炎爆弾を二つも三つも食らえば、多分倒す事は出来るだろうが、翡翠が危惧して居るのは一緒に居るあの大量の鼠の群れの中へと自分を移動させる事で、肉壁に依る防御が間に合う可能性が全く無いとは思えないと言うのだ。
もしもそうなった場合、爆弾で髑髏喰らいを殲滅した直後に、後方から畜将企鵝に操られた豹なんかの群れが波状攻撃を仕掛けて来ると言うのが怖いらしい。
「んーでも畜生企鵝の被害って大体は群れが異常に大きく成り過ぎて、傘下の連中を人里離れた場所で食わせられなく成って来てから起こる物だって、前にどっかの賢神が報告を上げてた気がするにゃ?」
ネフェルミウ様曰く、畜将企鵝は良い意味でも将としての器を持つ魔物だそうで、自分の旗下に入った物は余程切羽詰まった状況にでも成らない限り見捨てる事は無く、同時に人類の領域に手出しする危険も辨えて居るのだそうだ。
けれども其の土地の動物や魔物達をドンドン指揮下に置いて行く上に、群れの中での不和を許さないと言う性質も有る為に、肉食獣が草食獣を食うと言う自然界の食物連鎖が崩れ、何時かは飢えた肉食獣に依る暴走が始まるのだと言う。
最初期に草食獣の群れを従える様に成った畜将企鵝の場合には、群れを狙う肉食獣を旗下に入れる事は少ない為に、超が付く程の大規模な群れに成る事も有るが、その場合でもやはり制御しきれなく成ったり、近場の餌を食い尽くして暴走に至るらしい。
人里近くに湧いた場合には奴等の『統治』に依って、人類に対して一時的に被害が減る事も有るが、結局は群れの破綻から暴走に至るのだから兎にも角にも此の世界の住人に取って非常に迷惑極まり無い魔物だと言う事だ。
「単体の魔物として見るなら然程強いと言う訳では無いそうだが、確かにこう言う野獣が何処にでも居る様な場所に湧くと厄介では有るかもにゃー」
……思い出した! 畜将企鵝って義二郎兄上が義腕を作る際、素材を集める為に倒した魔物の一体で、数えるのも面倒臭く成る程に巨大な群れを作って居り、兄上達が倒さなかったら近隣の町や村なんかに大きな被害が出ていたと言う話だった奴だ!
その時に戦いに付いて詳しくは聞いて居ないが、義二郎兄上と豚面に望奴の三人でも割と苦労したと言う話なので、甘く見て良い相手では無いだろう。
なんせ望奴は俺よりも上手な錬玉術師であり、火炎爆弾よりも威力も効果範囲も遥かに勝る猛火爆弾や爆炎爆弾は勿論の事、更に上位で未だ調合法すら理解出来ない業焔爆弾や炎獄爆弾なんかも作る事が出来るのだ。
炎獄爆弾は実物を目にした事すら無いが、智香子姉上の話では『対軍』と言う区分の術具で、戦場で使えば敵軍を一発で殲滅仕切る事も十分可能な威力と効果範囲を誇ると言う。
恐らくは前世の世界で日本に落とされた二発の原子爆弾程では無いとは思うが、其れに近いであろう『戦術兵器』と言って間違い無い物と言えるのでは無かろうか?
まぁ流石に獄炎爆弾なんぞを使えばその土地を治める者が黙っては居ないだろうから、使っても業焔爆弾までだろうけど……其れにしたって此処の様な土地で使えば森林火災待った無しだ。
ちなみに火炎爆弾も立派に火種には成るが、その効果範囲は大凡五十畳程で柔道の試合場とほぼ同じ広さだと思えば間違い無く、威力を落とした『水の雨』の魔法で十分鎮火可能な範囲である。
与える事の出来る被害的には、食人鬼級の大型の魔物を一発で仕留めるのは少々苦しいが、三つ四つ一気に投げつければ凡そ十秒以内に倒す事は出来るだろうと言った感じだ。
髑髏喰らいはその体格に似合わぬ危険な攻撃力を持っては居るが、生命力の方は身体相応程度の物らしいので、用意した火炎爆弾を不意打ちで使えば殲滅仕切る事が出来るのは間違い無い。
ただ問題は翡翠が言っている様に、万が一にも畜将企鵝を仕留め損ねた時の対応だ。
「んなもん考えるだけ時間の無駄だろよ。俺達の中で一番早く判断が出来る坊主以外で爆弾打ち込んで、頭を倒し切れて無けりゃ、お前さんが氣全開で突っ込んで叩き切れば良いだけじゃね?」
すると俺とネフェルミウ様の会話を横で聞いて居たテツ氏が、呆れた様な表情を浮かべて割と脳筋な解決方法を提示して来た。
……確かに、氣に依る意識加速と感覚強化を併用すれば、火炎爆弾の焔の中で生き残っているモノを見分けた上で、其れを叩き切る事は不可能では無いだろう。
氣の力に任せたゴリゴリの脳筋戦術では有るが、まぁ有りか無しかで言えば有りと言える。
「火元人は正々堂々を重んじ過ぎるのが欠点だな。その言葉は元々『正々の旗を邀むかうる勿なかれ、堂々の陣を撃うつ勿れ』と言う兵法から来た言で、卑怯卑劣を是とする訳では無い物の正道だけでは勝てぬと言う警句だぞ?」
更に俺に対してワン大人が言って含める様な口ぶりでそんな言葉を投げかけた。
体育系の催しなんかの選手宣誓で必ずと言って良い程出てくる言葉である『正々堂々』と言うのは元々は、軍旗や陣形が整った軍隊を指す言葉で、そうした相手に攻撃を仕掛けても勝てないから止めておけ……と言う様な言葉が語源だと言う。
其処から転じて『態度や行動が正しく立派な姿』と言う風に意味合いが変わって行ったのだそうだが、他の大陸に比べて正々堂々を重んじる方である東方大陸出身のワン大人から見ても火元人の正々堂々を尊び過ぎる様は少々行き過ぎの部類に入るらしい。
「火元国の場合、武の原点とも言えるお相撲の時点で『変化』を嫌う風潮が強いのが、正々堂々こそが正しいと言う気風に成った原因なんじゃぁ無いでしょうか? なんせお相撲は古事記にも書かれて居ますからねぇ」
ワン大人の言葉を受けて相撲の稽古を欠かさないお連が物申す。
なお此の世界の『古事記』は前世の世界で読んだ覚えの有る『日本誕生の神話』では無く、世界樹の神々が定めた『天網』と呼ばれる『法律』を、火元国に由来する神々が捕捉し現地で運用し易い様に改定した文書の事で有る。
『言葉の通じる相手と闘う時には互いに名乗り合う』とか『挨拶前に仕掛ける不意打ちは一回まで』なんて言う戦闘の作法も古事記に記された法で有る以上、其れを守らずに卑怯な真似をすれば当然の如く『天罰』が下るのだ。
一応、火元国を出れば古事記に依る縛りは消えるのだが、火元国出身ながら外つ国で活躍する様に成った元鬼切り者の冒険者は、長年の習慣から其の手の習慣が消える事が無く、外つ国の人々を『凄く失礼な野蛮人』と見てしまう事も多いらしい。
「……まぁ魔物相手に失礼も何も有ったもんじゃ無いし、素直に不意打ちで爆弾ぶっ放して、俺が止めを刺すのが鉄板っぽいな」
俺は溜息を一つ吐いてから、改めて翡翠に骸骨喰らいの捜索を命じたのだった。




