千百三十五 志七郎、勧誘を受け黒い労働を思う事
「そー言えば、ネフェルミウ様は神様なのに何故黒豹に追いかけられていたのですか?」
俺が火炎爆弾を増産して居る横でお連が、ネフェルミウ……様? にそんな事を問いかける。
「そりゃにゃーは有給使って下界に来てるからにゃ。休暇中に神としての権能を使う訳にゃいかねーのにゃ」
曰く世界樹の神々は、世界樹に接続する事で様々な事象を書き換える権能を持つが、ソレを業務以外で使う事は一部の例外を除いて禁止されて居るのだと言う。
「中には仙人時代の様に、休暇中でも私用で世界樹に接続する不届き者も居なくは無いが、にゃーは仮にも世界樹運営委員会の長と言う役職に居る神だからにゃ、取り締まる側が守らない規則なんざぁ誰が守るちゅー話だわにゃ」
マンチカン立ちで肩を竦めてそう言う神々の中でも割と上位の役職に就いているらしいネフェルミウ様。
休暇中の神様が世界樹に接続してその権能を使う事が許されるのは、人類には手を出す事の出来ない様な、世界の危機を認識した場合だけに限られており、例え自分の生命が危機に瀕して居ても勝手な判断で世界樹の権能を使う事は許されないのだそうだ。
「まぁ……にゃーが休暇中にくたばったとしても、異世界から来た魔物に喰われたんじゃ無けりゃ、多分上司が世界樹の権能で蘇生してくれる筈だにゃ」
あの時ネフェルミウ様を追いかけて居たのは、間違い無く此の世界で産まれて生きている動物だったらしく、もしも喰われたとしても世界樹の権能を使えば『死んだ事自体を無かった事』に出来るらしい。
とは言え『死んだ』と言う魂に刻まれた記憶が消える訳では無い為、痛い物は痛いしソレが消える訳でも無い為に本気で文字通り死ぬ程痛いのだそうだ。
「前にも二回死んだ事が有るけど、冗談抜きで死ぬ程苦しいんだよにゃー。いや死ぬ時の痛いも結構厳しいけれど、蘇る時も途中で死んだ時の状態を経由して巻き戻すから、結局二回死んだのと同じ位痛いんだよにゃー」
世界樹の権能で寿命の軛から解き放たれ神仙はそう簡単に死ぬ事は無い筈なのだが、ネフェルミウ様は今の運営委員長と言う役職に就く前は、戦神や軍神に武神と言った神々が此の世界を守る為に戦う戦場を駆け回り伝令を担う神だったらしい。
そうした立場故に異世界の神々や魔物に攻撃されたり、捕らえられ拷問を受け死んでしまう様な事も有ったと言う。
そんな中で不幸中の幸いだと言えたのは、ネフェルミウ様の死体が異世界の存在によって喰われる様な事が無かった事だ。
戦う神々によって遺体を回収された後、上司に当たる神々が世界樹の異能を使って蘇生させる事が出来たらしい。
「二回目に死んだ時はエゲツナイ拷問の末に死んだからにゃ、蘇る時にもう一回同じ拷問を受ける様な痛みを味わったし、普通に喰われる程度の死に方ならまぁ軽いもんにゃ。にしても異界の奴等はこんな綺麗なにゃーを躊躇無く拷問するんだから野蛮だよにゃー」
ファサッと前髪を掻き上げる様な素振りで自分の容姿の良さに酔いしれるネフェルミウ様。
なんでも『ネフェルミウ』と言う名前は『美しい猫』と言う意味だそうで、神と成った際にその名に相応しい美しさを手に入れたのだと言う。
「でも世界樹の権能を使わなければ良いのですよね? 神々の戦場は兎も角、黒豹が相手ならばネフェルミウ様が昇神する前から持って居る妖力なんかで対抗すれば良かったのでは無いですか?」
確かに……お連の言う通り、世界樹の神としての矜持から神の権能を使う事は出来ないとしても、猫又或いは猫妖精と呼ばれる様な猫系の魔物としての異能を使えば何とか成った筈である。
「……にゃーは其の手の異能は持って無いのにゃ。にゃーの両親は仙人でにゃーも産まれて然程も立たない内から世界樹に不正接続して遊んでたのにゃ。んでそんな子供が下手糞な技術で不正接続なんかしてりゃ当然、神様達に捕まるんだにゃぁ」
父は当時の猫の王で母は当然其の妻である猫の王妃だったが故に、両親は猫又として優れた妖術を様々使いこなし、仙人としても卓越した技術で世界樹の神々に知られる事無く、不正接続を日常的にしていたのだそうだ。
けれどもそんな両親の間に産まれたネフェルミウ様は、禄に自身の妖術を磨く様な事もせずに、遊びで世界樹に接続し色々な悪戯をしていたらしい。
結果として当時の世界樹運営委員会に其の罪を咎められ莫大な賠償金を支払うか、其れ共昇神して馬車馬の如く働き続けるかの二択を迫られたのだと言う。
本来は昇神するには世界樹に接続出来ると言うだけで無く、神に成るに相応しい何らかの功績が必要に成るのだが、当時は六道天魔に絡む動乱で神の手が減って居り、猫が持つ世界を渡る権利を権能とする事で『伝令神』と成ったのだ。
「下積み時代は割とキツかったにゃ。今とは違って有給を取るなんて言えば上司からガッツリ詰められるし、残業代だって満額出る様な事は無かったし、寧ろ残業隠しが常態化してたしにゃー」
……おおう、何と言う真っ黒な労働環境、残業隠しって事は所謂『サービス残業』が罷り通って居たと言う事か。
世界樹に不正接続して居る仙人達は、世界樹の動作状況をある程度把握する事が出来る為、神に成るとそうした酷い労働環境の中に放り込まれる事を察して居り、昇神を望む者は今に比べても圧倒的に少なかったらしい。
「ただでさえ神の手不足が深刻なのに、昇神を望む者が少なけりゃ、神の手不足が解消する訳がねーのにゃ。んだからにゃーの前任だった運営委員長が『働き方改革』を推し進めてやっと昇神する者がある程度増えたのにゃ」
残業代は満額出る様に成り、年度毎に付与される有給も貯まり過ぎて消滅する分は必ず消化する様に綱紀粛正を徹底した結果、過労死する神々は減り昇神を望み研鑽を積む人類も増えた。
それでも尚、神の手不足は未だ完全に解消したとは言えない程に、神々の仕事と言うのは激務なのだと言う。
「そんな訳で世界樹は若い神の成り手を大募集中なのにゃ。んだからお前等も精進して色々な功績を上げて、にゃーと契約して神様に成ってよ!」
今の話を聞いて神様に成りたいと思う者が居るだろうか?
前世の世界の日本で労働基準法の適用外だった公務員は、部署に寄って程度の差は有れど何処も彼処も大体は『予算』と言う壁に阻まれて真っ黒な労働を強いられて居た物だ。
ネフェルミウ様がさっき言った『取り締まる側が守らない法律なんざぁ誰が守るちゅー話』と言う言葉に集約される様に、労働基準法を遵守させる立場の労働基準監督署と其処に務める労基官自身が糞真っ黒な労働を強いられているのだから冗談にも成らん話である。
人手不足は俺の前職である警察でも割と深刻で、報道機関が大きく取り上げる様な重大事件には大きく人手を割いて捜査を行うが、事件性が……と言うか情報の価値が低いと報道機関が判断した案件は其の儘迷宮入りが当たり前だった。
未成年者の行方不明事件だって、単純に家出なのか其れ共誘拐の様な事件なのかの判断はそう簡単に出来る様な物では無く、特別捜査本部を設置して対応する事が出来る様な案件は本の一握りに過ぎなかった。
日本の刑事裁判の有罪率が九割九分と極めて高い水準に有る事が日本警察の有能さの証明……の様に言われて居たが、警察が捜査し送検しても検察が有罪にするのが難しいと判断した案件は容赦無く不起訴に成った結果の数字でしか無い。
世界的に見て比較的治安が良いとされて居る日本ですら、碌に捜査もされずに迷宮入りとして処理される事件は山程有ったのだ、日本よりも圧倒的に事件件数が多く警察官に相当する立場の者が少ない国ではどの程度の捜査が行われるかは押して知るべし……。
ましてや世界樹の神々と言うのは、殆ど無限湧きに近い異世界からの侵略者と戦いながら、此の世界の自然環境の管理やら、数え切れない程の生命の死と誕生を管理したり、友好的な異世界との外交等と言う重責をも担う激務が目に見えている仕事だ。
「神様に成れば不老不死は勿論の事、好みの森人を侍らせたり、三人までなら神に成れなかった配偶者の寿命を延ばして無限に近い余暇をイチャコラして過ごしたりも出来るにゃ! 今なら追加でにゃーを愛でる権利も付けちゃう!」
不老不死や嫁さんと永遠に睦まじく生きる権利と言うのは確かに魅力的かもしれないが、最後の奴は要らないだろう……と、俺はお連とネフェルミウ様の会話を聞きながらそんな事を考えつつ、必要な分の火炎爆弾を調合したのだった。




