千百三十二 志七郎、想定外を目にし恐怖に怯える事
「おう、アヴェナナの旦那。聞いてたのと一寸話が違うんじゃねぇか?」
恐らくはガララアイが居るであろう場所へと踏み込んだ俺達は、想定して居たのとは違う光景を目の当たりにして居た。
其れに対して真っ先に文句の言葉を口にしたのはテツ氏である。
なんせガララアイが寄生して居る木の根本には動物の死骸が有るので簡単に見分けが付く……と言う話だった筈なのに、そこら中の木の根本に普通の動物だけで無く魔物の物と思しき白骨がゴロゴロ転がって居たのだ。
「真逆とは思うが、此処等中の木全部にガララアイが大繁殖してる……なんて事は無いだろうな?」
俺も言葉を改めずに思わずそんな言葉を口にした。
ガララアイが大繁殖するには年単位の時間が必要だと言う話で、ウポポ族の戦士が此処等辺の見回りを最後にしたのは凡そ半年程前の事らしい為、その線は無い筈だ……何らかの想定外が無い限り。
「いや、骸が有る全ての木にガララアイが居る訳では無いな。例えばあの木だ、見ろ蔦が寄生して居る様子は無い」
寄生とは言ってもガララアイの変化元であるガラナは他の木に巻き付く事でその身を支える蔓植物で有り、巻き付いている木から養分を吸収する様な事は無い。
とは言え同じ場所から生えて居る以上は、同じ地面から養分を奪い合う関係に成るのは当然の事だろう。
だが魔物化したガララアイは自身の果実を目当てに近付いて来た動物を、其の異能を使って縊り殺す事で、地面に有る養分の総量を増やす事で、自分も巻き付いている木もより大きく成長したり、繁殖の効率を上ると言う事なのだと思われる。
故にガララアイが巻き付いている木にだけ死骸が有ると言うのが本来の筈なのだが、何故か今回はガララアイが居ない木を含めて満遍なく骨が散乱して居るのだ。
「いや……もしかしたら未だ生えて居ないと言うだけで、既に種が巻かれていると言う事では? だが其れだとガララアイは子孫の為に養分を他の木に分け与える知恵が有ると言う事に成ってしまうが?」
蔦の無い木にも骸が有る事を指摘した上でガララアイの大繁殖は未だだと言ったアヴェナナに対して、ワン大人が冷静な声でそう反論地味た言葉を返す。
「いや……ガララアイは確かに魔眼に似た能力を持つ魔物だが、其の様な知恵が有る様な存在では無い。だが或いは更に上級とも言える種に進化して居ないと断言は出来無いな」
植物にも感情の様な物は有る……と前世に何かで読んだ覚えが有る、確か野菜を育てる時に特定の音楽を流して居ると味が良く成るとかそんな話だったか?
他にも電極を繋いで植物の内部に流れている電気を観測して居ると、植物が喜ぶと思わしき時に流れる電気の波形や、逆に傷付いた時に観測される波形に違いが有って、其れが植物の感情の様な物だ……と言う様な話も聞いた気がする。
普通の植物ですらそうした事が有り得るので有れば、超常の異能が日常の直ぐ隣に有るこの世界なら、当然魔物化した植物が感情や知恵を持っても不思議は無い。
……この世界の産物では無く異世界からの侵略者では有るが、以前江戸の地下迷宮で戦った胡瓜の大妖は完全に知恵を持って居り、互いに言葉を交わす事すら出来たのだから、知恵を持った植物の魔物が居た所で今更驚く様な事では無いだろう。
「わふん、わう(危ないのが来る、隠れて)」
と、俺達がそんな事を話していると、急に翡翠が小さく吠えた。
今の四煌戌で有れば通常の動物ならば象や其れ以上の体格を持つ様な巨大な物以外に遅れを取る事は無いし、魔物だとしても生半可な物を相手に恐れる様な事は無いだろう。
にも拘わらず隠れろと言ったのだから、相当にヤバい存在が近付いて来ているのだろう事は容易に想像が付く。
「皆、なんかヤバいのが来てるらしい、取り敢えず隠れよう」
普通の場所で四煌戌の巨体を隠すと成ると割と手間が掛かりそうな物だが、今回の場合は周りに割と多くの木々が密集し下草も多い場所なので割と何とか成るだろう。
「えっと……先程お話に出ていた髑髏喰らいと言う魔物でしょうか? 四煌ちゃん達が鼠如きを恐れると言うのは一寸想像が付かないのですが……」
俺が言う通り身を隠しつつもそんな疑問を口にするお連だったが、其の答えは然程も待つ事無く姿を表した。
鼠如きと言うには少々所では無く大きな、向こうの世界で最大級の齧歯類とされて居た水豚等とは比べるまでもなく、火元国の鼠島と呼ばれる場所に出現する鉄鼠と言う大鼠の妖怪よりも更に大きな鼠らしきモノが足音も立てる事無くやって来たのだ。
……何だが動きは不自然だ、歩いている様には見えるが足の動きと進み具合が合って居ない。
他にも奇妙な点は幾つも有るが、一番奇怪しいのは大きな鼠の頭の上に王冠の様な金色に輝く鶏冠を持った企鵝が乗っている事だろう。
「げぇ……ありゃ畜将企鵝じゃねぇか。そら不自然な状況にも成るわ」
其の姿を見るなり嫌な物を見たと言わんばかりに吐き捨てるテツ氏。
畜生企鵝と言うのは、確か他の動物なんかを操る能力を持つ魔物だった筈だ。
そして其の能力は普通の動物だけでは無く、動物系統に区分される物ならば魔物にだろうと効果が有る物だと言う話しだった筈である。
更に恐ろしいのは将の名を頂くに相応しい知恵を持つ魔物だと言う事だろう。
想像するに本来ならばガララアイの根本だけに有る筈の骸が、他の木々の根本にも散乱して居るのは、あの畜将企鵝がそう命じて操られた巨大鼠が為した結果なのではなかろうか?
「何だあの巨大な鼠の魔物は……密林にあの様なモノが居れば、森林竜が放って置く筈が無い筈なのだが」
森林竜は人間には対処が難しい様な大きさの魔物が出現した事を察知すると、真っ先に突撃して其れを排除するのだとアヴェナナが言う。
俺達が隠れて見ているその巨大鼠は、森林竜の攻撃対象と成るには十分な大きさなのだそうだ。
獣系の魔物は当然、人間とは比べ物に成らない位嗅覚や聴覚と言った感覚に優れて居て、上手く隠れたとしても臭いなんかで普通ならば簡単に見つかってしまう筈だ、けれどもそうならないのは俺が指示するまでも無く翡翠が風を操ってくれているからである。
本来霊獣はその身に宿す精霊の権能を契約者の指示無く使う事は出来ない……と言うのが古の契約にて定められし世界の理だ。
其れは誰と契約もしていない野生の霊獣でも同じで、彼等はその身を守る為だけにしか精霊の権能を行使する事は出来ないのである。
では何故、翡翠が其れを行う事が出来るのかといえば、風を操り広範囲の臭いを嗅ぎ分ける索敵も、逆に此方の臭いを相手に嗅ぎ取られない様に風を操るのも、何方も『自分の身を守る為の行動』の範疇だからだ。
……なんというか脱法的な方法だとは思うのだが、其れに守られている部分が割と大きい為に文句を言うのも違う為、俺は其れを咎め立てした事は無い。
更に言えば幼い頃から野生だった事の無い筈の彼等だが、仁一郎兄上の所で猟犬としての訓練を受けた成果か、幾ら氣と言う超常の異能が使える様に成っても所詮は人間に過ぎない俺とは、物事に対する勘働きは比べるまでも無く違うのだ。
故に翡翠が危険だと言うのであれば、間違い無く俺達に取っても危険な相手だと断言出来る訳である。
そうして息を潜めながらも、俺は氣を高めて畜生企鵝を王冠の様に頂く鼠を良く観察してみて……気が付いた。
アレは一体の巨大な鼠では無い、無数の鼠が群れを為して固まる事で巨大な鼠の姿を模って居るのだ。
鰯なんかの小魚が群れる事で巨大な魚から身を守る様に、鼠達も群れる事で周囲を威嚇する姿を取っているのだろうか?
「……真逆、アレは全てスカルイーターなのか? 不味いぞ此れは下手に手を出せば死ぬのは俺達だ」
氣を纏う事の出来ない只人の戦士である筈のアヴェナナも、俺に少し遅れてアレが群れで有る事に気が付いたらしく、恐怖に怯えた様な表情で絞り出す様にそんな言葉を吐き出したのだった。




