千百二十九 志七郎、才能を感じ修練を約束する事
「うみゃ! 此れすんごくうみゃ! 中々やるじゃないか人間!」
ワン大人の指導の下でお連が作ったスパイスガゼルの香辛料炒めは、ネフェルミウの舌にも合った様で、うみゃうみゃと騒がしく鳴きながら皿に顔を突っ込んでガッツイて居た。
香辛料の効いた少し辛めの肉炒めは、前世の感覚で言うならば四川風炒めとか言われる奴だろう……最も日本で食べられて居る四川風と、中国本土の四川省で食べられて居る料理では辛さの度合いが比べる事も出来ない程に差が有るらしい。
なんせ日本で激辛挑戦料理とか言われる程の辛さが四川省では基本的な辛さで有り、日本の其れは現地人からすれば超甘口と言う事に成る程だとか……。
「美味い! こら美味い! お連は本当に料理の天才なんじゃないか? 幾らワン大人の指導が良いとしても、本人の腕が無けりゃこの味は出せないだろ!」
当然、未だ辛い物に対する耐性が低いお連が作った物なのだから、その辛さは火元《日本》人向けの優しさ仕様である、其の為俺からすると……とても米が進む!
いやマジでお連ってば、本の数日前から料理を始めたとは思えない程に美味い物を作るんだよ。
料理ってのは調理法通りに作れば、概ねその調理法を記した者が意図した通りの味に成る物で、丁寧に手間を掛けて作れば『美味い物』が必ず出来る物だ。
対して料理が下手な者と言うのは、手間を惜しんで色々な部分で手を抜いたり、不器用で有るが故にどうしても丁寧さに欠けてしまったり……と何らかの原因が必ず有る。
味覚障害とかそうした病気が原因だったりする場合も有るが、其れは其れで治療を受けたり自分と他人の味覚の差を認識する事で改善する場合も有ると聞く。
兎角、調理法通りに作った『普通に美味い』を超えて、其処から更に先の『とても美味い』や『凄く美味い』と言った所にまで踏み込む為には天性の勘とでも言うべき物か、長年掛けて培った経験の何方かが必要に成る物である。
つまり……この短い期間で此処まで美味い飯を作れる様に成ったお連は、食神の加護を受けた睦姉上程では無いにせよ、料理に関しては天才の類だと言って間違い無いと言う訳だ。
「うむ……食材をバラす際に包丁等を使わず、素手で引き千切るやり方はどうかと思うが、其れでも美味い物に仕上がっている以上、彼女に料理の才が有ると言うのは間違い無いだろうな」
「……なんて? え? お連って包丁も使わずに料理して居るの?」
「いやーすげーよなー、こう……ガシって掴んでムリムリムリって引っ張ったら、肉と骨が綺麗に外れてんの。アレが氣の力って奴なのか? 流石に素であんな真似はこんな小さな女の子に出来る筈無ぇしなー」
と、テツ氏もお連が素手でスパイスガゼルを解体し、調理する所を見ていたと思わしき感想を口にする。
「お母様やお栗小母様は包丁も使ってましたけど、お晴御姉様やお雨ちゃんもちゃんこを作る時には包丁を使わないんだよ……って同じ様に素手でお料理してましたよ?」
ああ、成程……昔の力士がちゃんこを作る際には、包丁を使う事無く食材を手で引き千切ったり、握り潰したりして居たと言う話をどっかで読んだ覚えが有る、つまり熊爪家は『包丁の無い家庭(物理)』だった訳だ。
でも待てよ……『ちゃんこ』言えば一般的に『鍋料理』を想像するのは、そうした荒っぽい調理方の方が短時間で具材に味が染みるからだと言う話だった筈。
それに対して炒め物の類なんかでは、可能な限り食材の大きさを揃える事で火の通りにムラを作らないのが骨だと聞いた事が有る。
その事を考えるとお連の行った素手での調理と言うのは、今回の料理には不向きな方法の筈なのだが……其処を含めて料理の才能と言う事なのだろうか?
「なんにせよ美味いなら其れが正義だにゃ。とは言えちゃんこにゃ四つ足は使わないって話じゃ無かったかにゃ?」
ヘソ天で寝っ転がりぽんぽこりんっと膨らんだ腹を擦りながらネフェルミウがそんな口を挟む。
ちゃんこに四つ足を使わないと言うのは、四つ足を食う事を忌避する仏教の影響……と言う訳では無く、相撲の取り決めでは手を地面に付いた時点で負けと成っている為、前足が地面に付いている四つ足は食うべきでは無いと言う縁起担ぎが有るからだ。
其の為、ちゃんこ鍋といえば『魚』か『鶏肉』と言うのが一般的に成った訳だ。
「あー、そーですね。確かに四つ足を使うならちゃんこの作法に拘る必要無かったですね」
前世に鶏の半身揚げなんかを食べた事が有るので、鶏肉であれば刃物無しで解体するのも不可能では無いと何となく理解出来るが、大きな動物を素手で解体し、一口大に千切り分けると言うのは其れは其れで一種の技術な気がする。
けれども……まぁ、刃物と言う文明の利器が使えるならば使うに越した事も無いだろう。
「もしかしてお連は包丁使った事が無いのか?」
彼女が得意とする得物は鉞と鍬で、刃物といえば刃物では有るが、刀や包丁と扱いの点で共通する部分は割と少ない武器と言える。
「はい、お料理は先日ワン先生に習うまで、全くした事が有りませんでしたので、包丁も使った事は無いです。其れにワン先生の包丁は一寸怖くって……」
お連がそんな言葉を口にしたので、俺はワン大人に目線をやって視線だけで尋ねると、彼は荷物の中から鞘に収まった分厚く重そうな中華包丁を取り出して見せた。
……火元国の包丁は火元刀の技術が使われた斬り裂く包丁だが、彼の手に有る其れは何方かと言えば叩き斬る事を目的とした鉞にも良く似た性質の物だ。
それでも体全体でブン回す鉞と、腕だけで振り下ろす中華包丁は、やはり感覚として違う物なのだろう。
「うん、ワイズマンシティに戻ったら、火元国の包丁が有る筈だから、そっちで一緒に練習しようか」
俺も言う程に料理の経験が多いと言う訳では無いが、前世の世界での調理実習は勿論経験して居るし、此方の世界に生まれ変わってからは自分で蕎麦を打ったりとそれ相応に練習はして居る。
その経験から言って、刀の習熟と包丁の習熟には全く関連性が無いとは言い切れないと思うのだ。
包丁を扱うのに一番重要なのは、迷わない事と必要以上に恐れないと言う事で、そしてそれは刀を扱う上でも全く同じ事が言える。
「ちゃんこ式の料理法も決して悪い物じゃぁ無いと思う、実際この肉炒めは凄く美味いしな。けれども包丁も使える様になろうな、出来るのにやらないのと出来ないのじゃぁ、天地程の差が有る訳だからな」
前世の感覚で言うならばお連の歳で包丁を扱わせるのは少々早い様な気もするが、成人と看做される年齢が向こうよりも早く、平均寿命も圧倒的に短いこの世界なら早過ぎると言う事も無いだろう。
ぶっちゃけ包丁よりも圧倒的に危険で物騒な鉞なんて物を日常的にブン回して居るのだから、刃物の危険性なんて事は既に十分以上に理解して居る筈だ。
「私の包丁よりも、彼女の鉞の方がずっと危険で怖いと思うのだが……まぁ感性と言うのは人其々と言う事なのだろう」
ワン大人も俺と同じ様な感想を抱いて居たらしくそんな言葉を呟いた。
「まぁ難しい事は良いからさっさと食っちまおうぜ、冷めたら脂が固まって味が落ちちまうぞ?」
生まれも育ちもワイズマンシティなテツ氏では有るが、ドン一家の身内である以上は、その源流は恐らく東方大陸にある。
其の為、彼は米を主食とする国育ちでは無いにも拘わらず、おかずと米飯を合わせて食うと言う事に慣れて居る様である。
「確かに、美味い物は美味い内に食うのが獲物に対する礼儀と言える。生命を奪った以上、其れを無駄にする事は許されない」
故にこの中で米飯を食べ慣れて居ないのはアヴェナナ氏だけだが、彼はそう言うと俺達が渡した米飯に肉炒めを乗せて一緒に匙で掬い取って食い続けるのだった。




