千百二十八 志七郎、食文化を考え夜警を気にする事
ネフェルミウと言う名の猫又? 猫妖精? を助けた俺は、愛でろと言う彼? 彼女? の言葉を半ば無視して晩飯の準備をしてくれている仲間の下へと戻った。
「うわぁ! 可愛い猫さんですね、お前様! こんな綺麗な猫さんは猪山では見た事有りません!」
自分の身体よりも大きいのでは無いかとすら思わせる大きな中華鍋を焚き火の上で振っていたお連は、俺が戻ったのを見るなり満面の笑みを浮かべてネフェルミウに対してそんな感想を口にする。
「ほら見なさい、あの人間の雌はニャーの美しさを一目で理解したにゃ。やっぱりお前の感性が何処か奇怪しいんだにゃ!」
其れに対して鼻高々な様子で二本足で立ち上がり踏ん反り返るネフェルミウだったが……
「ふむ……確かに陰り一つ無い純白の毛皮は美しいと称して間違い無い。けれども余り肉付きは良くないので美味そうでは無いですな」
等と言うワン大人の言葉を聞いて、俺の足を盾にする様に陰へと隠れしがみつく。
「ワン大人、多分貴方が言っているのは龍虎料理と言う奴の話なんだろうが……俺は人の言葉を話せる生き物は余り食う気はしない。鬼や妖怪の類で食用にされる奴の中にも言葉を解するモノが偶に居るのも事実では有るけどな」
龍虎料理と言うのは前世の世界に置いて大陸の一部で食されていた『蛇』と『猫』を使った料理の事である。
飽く迄も俺個人の意見では有るが、その土地の食文化として根付いて居る物であれば、何を食うかはその土地の人々の自由で有り、医学的に問題が無いならば他所様が文句を付けるのは筋違いだと思うのだ。
例えば日本の直ぐ隣に有った半島の国では、少なくとも俺が死ぬ前までは間違い無く『犬食』の文化があった。
犬は多くの文明文化が生まれる以前から、人と共に有った相棒とも言える動物で有り、愛玩目的や職能目的で世界中で飼育されてきた動物なので、其れを食うのは残酷極まりない……と言うのが世界的な世論だったと記憶して居る。
けれども少なくとも鯨を食う事で非難を受け、其れを真正面から否定して来た日本は、彼らの其れを否定しては成らないと思うのだ。
同様に竜虎料理に関しても、日本人の感覚で言えば完全に下手物の類と受け取るしか無いにせよ、其れを食う人々を否定するのは違うと思う。
そして……そうした理由から俺は食人文化に関しても、医学的に問題無いのであれば、限定的に認めるべき……と言う立場だ。
罪の無い人を殺して食う……なんてのは当然論外として、不慮の事故や病気なんかで亡くなった人を食う事で供養すると言う様な文化を持つ民族が居るなんて言う話を聞いた事が有るし、そう言うのは『有り』だと思う。
とは言え其れは飽く迄も『自分達の物差しで人様の食文化を否定するな』と言うだけの事で、何を食うのかなんてのはその国の法律と文化そして医学的な問題を鑑みて個人個人が判断するべき事では無かろうか?
「無論、冗談だ。私は何方かと言えば愛猫家なのでね、蛇は兎も角、猫は食べる事はしないよ。と言うか肉食獣は基本的に肉の臭みが強いから余り美味しい物では無いからな。まぁ他に食う物が無い状況ならば醤濃い目で無理やり食える物に仕立てるがね」
冗談と言いながらその目が全く笑っていない辺り、その言葉の通り他に食う物が無ければ彼は迷う事無く食うのだろう事は容易に想像が付く。
でもまぁ……確かに飢え死にする位ならば、食いたく無い物でも喰わざるを得ないだろう。
日本でも戦後の貧困の中で狗肉を食った、なんて話も曾祖父さんの友人辺りから聞いた事も有るしな。
「にしても……こんな所になんだってこんな綺麗な猫が居るんだかな? いや猫は人が居る所なら何処にでも居るってのは聞いた事が有るけどな」
喰われると怯えガクブル震えるネフェルミウを呆れた様な表情で見ながら、テツ氏がそんな疑問を投げかける。
「知り合いに秘境探検が楽しいって聞いて来て見たのにゃ。他所の世界に遊びに行くのも良いかと思ったんだけど、この世界にも此処の様な秘境と呼べる場所が有ると知って探検しに来たのにゃ」
……猫と鴉は比較的自由に異世界へと渡る事が出来ると言うのは、俺自身が界渡りをした際に『旅猫』の二つ名を持つ紗蘭や、川中嶋藩の商人猫又のマーちゃんの助力を得た事で良く知っている。
故にネフェルミウが秘境探検と言う趣味の為に、異世界へと行くなんて事は何の不思議も無いし『猫の裏道』と呼ばれる異次元空間とでも言うべき所を通れば、何処へでも行けるのだからこんな場所に居るのも不自然では無い。
「実際、此方に来て見た事の無い植物や動物を色々と見たにゃ。あの目玉見たいな果実とか多分なんかの薬効が有りそうだし、上手く使えばこの世界は未だまだ発展する余地が有ると思ったのにゃ」
尻尾が二股では無く七本だったり三本だったりと見る度に本数が変わるネフェルミウは本当にどんな妖怪なのだろう?
狐は歳を経て行く内に尻尾の数がどんどん増え、其れに比例して妖力が増す……と言うのは前世の世界で読んだ伝承の類に有った話だが、猫も其れは同じなのかどうかは解らない。
ただまぁ……世界の発展とか大それた事を口にしてる辺り、只の市井の化け猫と言う事は無いだろう。
外つ国ではどうかは知らないが、少なくとも火元国では人に化ける事が出来る様に成った動物は、普通に人と結婚し人と同じ様な権利を持つ事が出来る。
もしもそうした制度を取っている所が他国にも有れば、ネフェルミウが支配者層の配偶者や其れに近い立場で、政に関わっていると言う可能性も零では無いだろう。
猪山藩に居るおミヤだって本人望まないから政に携わる事は無いが、彼女が何かを言えば藩主である父上だって無下にする事は出来ない筈だ。
取り敢えず自称・世界一美しい猫と言う其れも、妖力の類で無理やり他人を魅了する様な物では無い様だし、一寸自己陶酔症を拗らせただけと言う事なのだろう。
「……ジャガーがこんな所まで出てきて居るとはな。恐らくは先日の河馬鬼達の影響だろう。今夜の野営場所は少し考えなければ成らないな」
引き締まった表情でアヴェナナがそんな事を呟く、聞けばこの辺りはウポポ族の縄張りで、豹の様な毛皮に高値が付く獲物は、早々に狩られる事に成る為に豹の方が姿を見せる事は少ないのだそうだ。
狩猟民族で有り食う為に殺すのが日常であるウポポ族も、金銭的な理由での狩りを全くしないと言う訳では無いらしく、黒豹の様な希少価値の有る獲物は若い戦士を中心に確実に狩るのだと言う。
ついでに言うならば、此処はウポポ族の集落から歩いて一日程度の場所な訳で、割と広い行動範囲を持つ豹が此処に出ると成ると、集落に居る子供達が襲われる可能性も有る為、防衛という意味でも狩らなければ成らないのだそうだ。
前世の世界で『人を襲った熊は再び人を襲うので絶対狩らなければ成らない』と言う話を聞いた事が有るが、此れは他の肉食獣にも当て嵌まる事だそうで、野生動物と比べたら鈍くて弱い人間と言う生き物は狩り易い獲物らしい。
其の為『人が弱く食べ易い』と学習した獣は種を問わず確実に仕留めねば成らないのだ。
逆に『人間に手を出せば痛い目に会う』と理解した獣は、そう簡単に人の前に姿を表す事は無く成っていくそうで、此処等の豹もウポポ族の縄張りへと踏み込んで来る事は然う然う無い筈なのだと言う。
「先程、君に打ん殴られて痛い目に会い、人を恐れる様に成ったならば良いが、其れでも懲りずに我が部族の縄張りに踏み込んで来る様ならば、近い内に若い戦士達に狩られる事に成るだろう。だが其れまでは野営の際に気を付けないと危ないぞ」
まぁ夜は四煌戌を呼んで彼等の嗅覚に警戒を任せる事が出来るだろうし、彼が言う程の危険は無いだろう……と、俺はその時はそんな風に思って居たのだった。




