千百二十五 志七郎、雄の目覚めを感じ血が滾る事
お連に手伝って貰い一日掛けて全身を伸ばした俺は、翌日の朝から久々に武芸らしい武芸の稽古を始める事にした。
当初はアヴェナナ氏の斡旋でウポポ族の中でも同年代の、未だ戦士としての試しを受けていない者達と手合わせをしたのだが、残念ながら密林最強の部族の少年達とは言え、前世の大半を荒事と過ごした俺相手では氣を纏う事も無くあしらう事が出来る程度でしか無い。
「良いか、此れが現実だ。ウポポ族は密林にて最強! 等と謳って居ても外界を見渡せば、我々には想像だにしない様な強者や魔物は沢山居る。今ならば未だ俺が勝つと断言出来るが、彼が俺の歳になる頃には恐らくは勝てないだろう」
しかしアヴェナナ氏もソレは重々承知の事だった様で、密林最強と謳われる部族の少年達に、外の世界には俺の様な強者が幾らでも居ると言う事を実感させ、世界の広さを説きたかった様だ。
「俺やターに憧れ目標としてくれるのは光栄な事だが其処で立ち止まるな。密林の中では最強の戦士と言われて居る俺やターを超え、此の志七郎も超えて広い世界の中でも最強と呼ばれる様な漢を目指して日々の鍛錬を積むのだ」
要するに俺との手合わせは、俺が身体を慣らす為の物で有ると同時に、野球少年達を打席に立たせて、職業野球選手の投球を体験させる様な物と言う事の様である。
「「「「「はい!」」」」」
ちなみに『今ならば未だ俺が勝つと断言出来る』とアヴェナナは言ったが、アーマーンとの戦いと彼の体幹の立ち具合を見る限り、技量は恐らく五分五分位で体格の差で彼の勝ち、但し氣をぶん回せば此方の勝ちは揺るがない……と言うのが俺の見立てだ。
まぁ部族最強の戦士として少年達を鼓舞する彼の顔を立てて、そんな事は口に出したりしないし、向こうから勝負を挑まれない限りは立ち会う積りも無いがね。
と、そんな感じで無手での手合わせを終えた後は、鞘に入れた儘の刀で素振りでもしようかと思った時だった。
「いやー、朝から精が出るねぇ。流石は火竜列島のおサムライ、確か此方で言うなら土地持ちの貴族様に当たるんだっけか? たぁ言え、俺達見たいな雑草育ちだって武勇じゃぁ決して負けやしねぇけどな」
眠そうに欠伸をしながら鞘に入った大剣を担いだテツ氏が、俺の目から見ても可愛いと思えるウポポ族の女性を連れて稽古場へとやって来た。
ウポポ族は所謂黒色人種に区分される民族の様で、日に焼けた者とは比べ物に成らない位に黒い肌をして居る。
色白である事が美人の条件の一つとされて居る火元国では、恐らくは受け入れられないだろうが、前世の世界で様々な人種の者達を映画なんかで見て来た俺には、テツ氏が連れている女性の容姿が好ましい物と見えたのだ。
整った顔立ちなのは当然として、恐らくは天然物であろう癖毛の黒髪を短く刈り込んだ頭に、アルテ夫人と比べれば華奢と言えるだろうが前世の感覚からすれば『良く鍛えられた運動家』の様な引き締まった体型をして居る。
そして何よりも彼女を魅惑的に見せているのは、無駄な肉が無く僅かに浮いた腹筋とは裏腹に、たわわに実った母性の象徴だろう。
ソレを皮で出来た胸当てと下履きだけと言う扇情的とも言える格好で晒して居るのだから、男ならば思わずその谷間に目が行くのは仕方が無い事の筈である。
……いや、今生に生まれ変わってから、俺がそうした感想を抱いたのって前世の好みド真ん中だったストリケッティ嬢に対してだけだよな?
眼の前の彼女よりもたわわな物をお持ちだった礼子姉上と一緒に風呂に入っても、こんな風に視線が引かれる様な事は無かったし、もしかしたら息子さんが多少なりとも元気に成った事で俺の中の雄が目覚めかけて居るのだろうか?
だとすれば昨日の柔軟体操の際に、お連の体温が心地良い物と感じられたのと同時に、気不味い物にも感じられたと言うのにも説明が付く。
「……お前様?」
そんな俺の視線の先に気が付いたのか、お連が冷たい物を感じさせる笑みを浮かべて此方に声を掛けて来たので、慌ててテツ氏へと目線を切り替える。
「俺も此のロコモコを正式に女房として貰い受ける事に成ったし、冒険者のままで世帯を持つなら強いに越した事ぁ無いしな。一丁軽く手合わせ……どうだ?」
どうやらテツ氏とアヴェナナ氏の妹さんとのお見合いは上手く行った様で、ロコモコと呼ばれた彼女と結婚する事に成ったらしい。
「新妻の前で恥を掻かせるのは忍びないのですが……本当に闘るんですか?」
俺の目算ではテツ氏は決して弱くは無いが、ターさんやアヴェナナ氏と同等の技量が有ると言う程でも無い。
純粋な腕力だけを比べる例えば腕相撲や重量挙げの様な勝負ならば、良い所だとは思うが技量の面まで含めれば恐らく一段落ちる。
其れでも度胸と体力と言った前衛を務める戦士として最も重要な部分は、十分に持ち合わせて居るのはアーマーンとの戦いで見て取れた。
「はっ! 幾ら子供とは言え、冒険者組合からサムライの名乗りを許されて居る奴相手に勝てるなんざぁ鼻から思っちゃ居ねぇよ。生命の掛かって無い状況ならばこそ、格上の相手と積極的に闘わねぇと何時まで経っても強く成れねぇじゃんよ」
その答えを聞いて俺はテツ氏を侮って居た事を少し反省する、所詮は犯罪組織の紐付き冒険者で、多少実力は有るにせよ彼の心根は破落戸の類に過ぎない……と、心の何処かで思っていたのだ。
だが彼は一端の冒険者として、そして一人の戦闘者として、更には所帯を持つ夫として、高みを目指す心意気の有る良い青年だった、此れは俺の目が偏見で曇って居たと言うしか無いな。
「氣を全力でブン回すと勝負にすら成らないし、魔法を交えれば周りにも迷惑が掛かりそうだから、剣士としての俺だけで闘うが其れでも良いなら御相手仕る」
俺の様な子供に縛りを設けられれば、彼としても腹が立つだろう、けれども双方に利の有る稽古にするならば此の線が落とし所だと思う。
「ソレで構わねぇ。んじゃ此の硬貨が地面に落ちたら勝負開始だ」
二間程の距離を取り、互いに鞘に入ったままの剣を構えると、テツ氏はそう言って硬貨を一枚跳ね上げ……地面に落ちた瞬間、テツ氏は迷う事無く一歩踏み込んで大剣を唐竹割りに振り下ろした。
俺はソレを右足を引いて身体を斜にする事で紙一重で躱すと、蜻蛉に構えた刀を彼の首へと目掛けて振り下ろす。
が、流石に簡単には勝負は決まらない、テツ氏は振り下ろした大剣を引き戻すのでは無く、ソレを地面に置いた儘で前転する様に前へと飛び、俺の一撃を躱した上で剣を再び肩の上へと担ぎ直したのだ。
「流石に其の手は定石だし喰らわねぇよっと!」
大剣を相手取る場合、振り下ろしの後の隙を狙うのは極めて当たり前の行為で、囲碁で言う定石、将棋で言う定跡と同等の扱いを受ける程に一般的な対応なので、其れに対する応手もまた定石と呼べる物がしっかりと編み出され、テツ氏は其れを身に着けて居たらしい。
そんな事を口にしながら繰り出された二撃合目の攻撃は、技術と呼ぶ程の物は一切感じられない大振りの薙ぎ払いだ。
但し厚く重い大剣で繰り出される其れは、鞘に収まったままとは言え当たれば只では済まない危険な物で有る。
刀で受け止める事で相手の動きを止めると言う選択肢が一瞬脳裏をチラつくが、氣を込めずに其れをした所で俺だけが吹っ飛ばされる結果に成る事は想像に難く無かった為、無難に大きく後方へと飛び退り其れを躱す。
振り抜いた大剣に振り回される事無く、再び元の肩に担いだ構えに戻って静止する事が出来る辺り、テツ氏はしっかりとあの剣を使い熟して居ると言う事だろう。
体格の差と得物の長さの差は、事前に見立てた技量の差を埋めるだけの物が有る様で、俺は久々に生命の掛かって居ない純粋な勝負に血が滾る感覚を覚えたのだった。




