千百二十 志七郎、美食で飛んで薬湯でトブ事
さて、お次はカリカリ焼きとやらだな……見た所単純に塩と胡椒らしき香辛料を振っただけの炙り肉の様な物だが、一口齧った瞬間一瞬意識がトンだ。
「コレやべぇ……お連、此れを食べる時には気をしっかり持て、トブぞ」
どっかの職業摔角者の様な感想しか出て来ない程の圧倒的な旨味の暴力が口内を襲ったのである。
トロトロ焼きもヤバい位に美味かったが、カリカリ焼きと比べたら旨味が脂で希釈されて居るとすら思える程に、凝縮された旨味の塊を食べている彼の様な味わいなのだ。
しかもカリカリ焼きと言う名の通り、表面はカリッサクッとした歯触りなのに決して硬いと言う訳では無く、軽く噛むだけで程よい感じに肉の繊維が解けて行く。
にも拘わらず噛めば噛む程に旨味が後から後から尽きぬ泉の様に溢れ出て来るのだから、自分の出した唾液で溺れそうに成る……と言う表現が割と誇張では無く、飲み下すのに手間取る程なのだ。
そうして暴力的なまでの旨味の塊を咀嚼し嚥下した所に、飯を放り込めば……再び意識が飛びそうになる。
此れ使ってる香辛料の中にヤバい麻薬とか入って無いよな?
飯が普段の十倍美味いと感じるのだ、米を主食とし米に合う食べ物を追求し続けて来た民族である火元人に取って、飯が美味くなるおかず程に好まれる料理は無い。
「お前様、此方のお肉のお刺身も凄いです……端ないですけれども連、お小水を漏らしそうに成ってしまいました」
震える声でそんな言葉を口にしたお連の言う通り、生姜と大蒜の香り漂う生肉にも箸を付ける。
頬張って噛み締めた瞬間、脳裏に無限の星々が輝く宇宙が過ぎり、堅果の様な物が見えたかと思った瞬間、其れが弾け飛んだ。
心臓の奥から込み上げて来る強い熱、此れは間違い無く氣の素となる魂力が溢れて来ている証拠である。
何故美味い飯一つでそんな現象が起こるのかは解らないが、間違い無いのは此の食事の結果として、俺の氣がまた一段上の段階へと登り順調に人間を辞めつつ有ると言う事だろう。
前世に俺が子供の頃テレビで放送されて居た麻薬撲滅を訴える宣伝に『覚醒剤やめますか? それとも人間やめますか?』と言う宣伝文句が有ったが、方向性は違えどもその言葉が何となく理解出来てしまった気がする。
前職での所属である捜査四課と言う仕事柄、麻薬の類を目にする機会は割と有ったし、其れで身を滅ぼした者も両手両足の指を足しても未だ足りない程に目の当たりにして来た。
故にそうした代物を使う危険性は重々承知して居たし、間違っても手を出そうなんて事は考えた事すら皆無である。
仕事上の精神的圧迫は可也高い職場だったのも間違いないが、俺は趣味だったネット小説を読みその世界に浸ったり、剣道の稽古を行う事で其れを解消出来て居た為に酒や麻薬に色事なんかに溺れる様な事も無かった。
そんな俺の理性を一瞬で消し飛ばす圧倒的な美味さの暴力は、魂の階梯を引き上げる程の衝撃を与えたのだ。
気が付いたら目の前の皿も茶碗も見事に空だった。
もしも俺が物事に対する反応が激しい性質の人間だったなら『美味いぞー!』と言う言葉と共に口から氣砲を吐いて、川中嶋藩の城をぶち壊して居たかもしれない。
其れ位に衝撃的で、無我夢中で平らげてしまったのだ。
「むぅ、東方大陸には生食の文化は無いが故に少々尻込みしてしまったが……ええい! っ!? うーまーいーぞぉぉおお雄々!」
そんな俺達の様子を見て、生肉を食う事を躊躇って居たワン大人が目を強く瞑って其れを口にすると、一瞬の後に偉大なる料理の皇や活人拳の頂点を思わせる声で咆哮を上げる。
「口に合った様だね。其処まで大袈裟に喜ばれると作った甲斐も有ったってものさね」
俺達の反応に気を良くした様子のアルテ夫人が、食後のお茶代わりなのか黒い炭酸飲料と思しき物が入った木の酒杯を俺にだけ渡してくれた。
「あと此れはウチの族長様からの差し入れだよ。アンタの息子が元気になる様に特別に調合した薬湯だってさ。此れは女の子や元気な男が飲む様な物じゃぁ無いらしいからアンタだけが飲むんだよ」
そんな言葉に興味を引かれた様子のワン大人を尻目に、俺は氷の浮いた酒杯に先ずは鼻を近づけ香りを嗅いで見る……此れは!?
「高良!? 間違い無い!」
複雑な香辛料が組み合わさった甘い香りは、前世の世界で生きて居た頃に毎日1.5リットルペットボトルを一本は開けて居た其れと酷似した物だった。
此方の世界にも、火元国にも高良は有る……が、其れは駄菓子屋で売ってる粉ジュースの様な安っぽいな物しかお目に掛かった事は無い。
けれども此れは……其れとは比べ物に成らない程に高貴な香りがする。
「ゴッ……ゴッ……ゴッ……ぷはぁ! ……ゲフッ!」
期待に胸を膨らませて其れを口へと運び一気に煽ってげっぷを出す。
安っぽい高良とは違う香り高い其れは、向こうの世界で大々的に流通して居た赤と白の高良とも、俺が愛飲していた赤白青の高良とも違うが……此れは此れで美味い!
朝稽古の後に飲んだガラナも十分美味かったが、この高良と比べたら月と鼈位の差が有る様に思えるのは好みの問題だろう。
と、そんな事を考えていると、飲んだ時には酒精の類は全く感じなかったのに、顔に血が登って頬が熱を帯びて来るのを感じる。
此れは薬湯としての効能が出ていると言う事か?
いや……確かに本の僅かだが息子さんがムズムズする様な、前世の幼い頃に感じた事の有る感覚が有る。
「くっ!? 痛っ!?」
直後に襲う一寸洒落に成らない痛み、その場所は息子さんの更に中核となる二つの秘宝だ。
一瞬息が止まる程の痛み、激痛と言う程の物では無いが場所が場所だけに我慢なんかする事は出来なかった。
「ぬ!? 大丈夫か少年! 何処だ、何処が痛む!?」
俺の状況に対して医者らしく素早く動いたのは当然ワン大人だ。
「金玉が……金玉を刺す様な痛みが……」
股間を押さえて蹲る俺に対して、ワン大人は股間を蹴り上げられた時にそうする様に腰を後ろから叩く。
「真逆、たった今飲んだばかりの薬湯がもう効能を発揮したとでも言うのか!? 丸で霊薬の類じゃないか!」
瞬時に傷を治す事が出来る霊薬なんて物が有る此の世界でも、普通に調合された生薬の類が即座に効果を発揮する事は無い。
其れを成す事が出来るのは鬼や妖怪の様な魔物の素材を含めて調合する事で、霊薬にする必要が有るのだ。
錬玉術を『不自然な技術』と忌避する精霊信仰の民も、古来より伝わる製法に依る霊薬は普通に使うらしいので、もしかしたら今飲んだ強壮高良とでも言うべき物にも、何らかの魔物素材が使われて居て霊薬と成っている可能性は有る。
「アルテ夫人! 彼が飲んだ物には一体どの様な物が入って居たのかね!?」
俺が飲んだ其れがどう言う素材を使って、どんな製法で調合された物なのかを聞いても効果や効能を逆算する事が出来る程、薬学に精通しては居ないが恐らくワン大人であれば、其れも知る事が出来るだろう。
「お前様! しっかりしてください! 連を置いて逝かないでください!」
お連が心配した様子で蹲った俺の背中に縋り付き悲壮な声を上げるが、其れに対して反応している余裕が無い。
つか、生まれ変わってから……いや、前世でも此処までの痛みを感じた記憶は無いぞ?
場所が場所だけにそうそう被害を負う様な事の無い部分なので、痛みを味わう経験が少なかったと言うのも有るだろう、けれども皆無だったと言う訳でも無い。
高校で受けた体育の授業で柔道をやった時だが、柔道部の奴と乱取りした時に相手が仕掛けて来た内股と言う技を中途半端に躱し損ねた事で、振り上げた脚が大事な所を痛打した事が有ったのだ。
「っぐ! がぁっ!?」
曾祖父さんに竹刀で防具の上から面を打ち込まれて悶絶した事は何度も有ったが、それとはまた別の方向性の痛みで悶絶した覚えが有る。
「お前様! お前様!」
懸命に呼びかけて来るお連の声を遠くに聞きながら、俺は意識を手放すのだった。
今週末も少々遠出をする予定が入っている為、次回更新は四月22日月曜日深夜以降となります
お待たせして真に申し訳有りませんが、ご理解とご容赦の程宜しくお願い致します




