千百十九 志七郎、見せられない物を見て脂の旨味を堪能する事
早朝稽古をして居た集落外れの場所から、朝餉が用意されて居ると言う集落の中心に有る広場へと移動した俺は、取り敢えず両手でお連の目を覆う事で彼女にその惨状を見えない様にした。
いや火元国でも豚鬼や馬鬼なんかの人型の鬼を食う食文化は有るが、其れだって基本的にきっちりと捌いて枝肉にしてあるから、食人行為を連想させずに済んで居るが……其処で調理されて居たのは河馬鬼の姿焼きだったのだ。
大きな口から木の棒を突っ込んで尻へと抜けた其れを軸にして、火の上でじっくりと回しながら焼いているその姿は、食人部族に囚われた人間が丸焼きにされて居る姿にしか見えない。
「え、えっと……お前様? 目隠しされると何が起こっているのか分からないのですが?」
唐突な俺の行動に戸惑う様子は有るものの抵抗する様な素振りは見せないお連に、其れは其れで不味いんじゃぁ無いか? と疑問が首を擡げるが……取り敢えず今は置いておく。
「アレはお連が見るべき物じゃ無い、見て良い物じゃ無い。他所様の食文化に文句を言うのは無作法だと言うのは間違いない事実だが、アレは流石に君の様な年若い子が見ちゃ駄目だ」
人型の魔物を食材として食うのは、此の世界ならば何処でもやっている事だし、まぁ仕方の無い事だろう。
けれども今俺の目の前で作られている物は絵面が駄目だ、グロ的な意味で十八禁な奴だ。
いや、まぁ普段から大蛙だのなんだのを鉞でズンバラリンとぶった斬って、騎獣となる熊の子の食餌として与えている娘に何を言う……と言う話なのかもしれないが、人の形をした物をそのままの姿で調理するのはやっぱりアカンと思うのよ。
「済まない、我々は何処か別の場所で朝食を取りたいと思うのだが、何処か良い場所は無いだろうか?」
俺の反応に同意見らしいワン大人は、頭痛を堪える様に指で眉間を揉みながら、案内してくれていたコマコマリンの妻にそんな提案をする。
「ん? ああ! そうか北の文明人に取ってアレは割と不味い絵面なんだっけか。済まないねぇ、此処暫く無かった大猟祭りで皆浮かれてて、そ~言う事にちっとも気が回らなかったよ」
お連に目隠しをして居る俺と、ワン大人の言葉に彼女は直ぐ何が問題だったのかを察すると、自分達が住んでいると言う竹を編んで建てられた物と思しき小屋へと案内してくれたのだった。
割と衝撃的な調理現場を目の当たりにした事で、出される料理がどんな物かと戦々恐々としながら待つ事少し、幸い俺達の前に置かれたのは河馬鬼の姿焼きがドーンと置かれる様なヤバい代物では無かった。
とは言え出されたのは豚の角煮に良く似た肉の塊を煮込んだ物と思しき料理に、恐らくは先程の姿焼きから切り出されたのであろう肉の焼き物、それから馬刺しの様な感じで切られた生の肉……と、野菜類一切無しの肉料理だけの食事である。
ウポポ族は狩猟民族で農耕の類は一切行って居ないとは聞いて居たが、真逆此処まで肉料理一辺倒とは思わなかった。
そんな偏った食生活でも彼等が健全な肉体を維持出来て居るのは、ガラナやレモネードアントのレモネードの様な飲料で維他命の類を補って居るからなのだろう。
「河馬鬼は皮が頑丈で高く売れるから、外してから煮たり焼いたりするのが普通なんだけどね、今回は量が多過ぎて全部外してると肉が傷んじまうから、仕方無く今日食べる分で処理が間に合わない奴は丸焼きにしてたんだよ」
料理を運んできてくれたコマコマリンの妻であるアルテ夫人が発したそんな言葉から始まった話に依ると、ウポポ族でも人型魔物の姿焼きは流石に日常的な姿では無いらしい。
特に河馬鬼は此処等辺では以前から割と良く出現する魔物の一種で、その扱い方は代々受け継がれてきて居り、硬い外皮を綺麗に剥がして素材にする手法なんかはしっかり有るのだと言う。
河馬鬼の外皮は丁寧に処理すれば、殆ど加工する事無く全身を覆う鎧を作る事も可能な素材なのだそうで、森林竜の鱗を使った鱗鎧と並んで、ウポポ族の戦士が身に着ける鎧の一角に成っているのだそうだ。
けれども今回は一度に取れた量が多過ぎた為に、綺麗に皮を剥ぐ技術を持った年配の者達の手が回りきらず、折角の獲物を完全に腐らせるよりは其の儘丸っと焼いちまえ! と言う事になったらしい。
河馬鬼の外皮は熱に対してもある程度の耐性が有るが、完全に熱を遮断出来ると言う訳では無いらしく、外皮が炭化するまで丸焼きにすると内部までしっかり火が通った上に、皮の強度も失われて簡単に食べる事が出来る様に成ると言う。
「此のトロトロ焼きはそうやって作った物で、此方のカリカリ焼きは綺麗に皮を剥がしてから焼いた奴だよ。んで此方の生肉はカリカリ焼きを作る時に出る端材にジンジャーとガーリックのソースを絡めた物さね」
成る程、角煮の様な物が丸焼きで、此方の焼き物と刺し身は丸焼きに成っていたのとは別の河馬鬼の肉な訳か。
「生姜と大蒜のお汁で頂くお肉のお刺身! お前様、コレ絶対ご飯に合う奴です!」
山盛りの麦飯が盛られた木の丼と箸を手にしたお連が快哉の声を上げる、彼女が手にしている飯は俺が此方の大陸に来てから研究し続けている『炊飯魔法』を使って此処で炊いた物だ。
知恵有る獣である霊獣に宿る精霊の権能を持ってすれば『はじめちょろちょろ中ぱっぱ、じゅうじゅう吹いたら火をひいて、ひと握りのワラ燃やし、赤子泣いてもふた取るな』を再現するのは然程難しい事では無い。
問題は意思無き権能の塊である下位の精霊に命じて、其れを自動化する事が出来なければ成らないと言う点なのだが、下位の精霊とは一切契約していない俺には其処から先の研究に貢献出来ないで居る。
……まぁ四煌戌や焔羽姫の権能を借りれば、十分美味しいご飯は炊けるので、俺個人としては今の状況でも全く問題無いと言えば無いんだけどな。
と言う訳で、いざ実食!
なお火元国同様にお米を主食としている東方大陸出身のワン大人にも、ご飯はおすそ分けしてある。
「美味ぁ! 脂がトロットロなのに全然しつこく無い。 え? コレ塩振っただけなの? 嘘だろ、旨味の塊みたいな味してるぞ?」
トロトロ焼きの名の通り脂がトロトロに溶けていて肉を噛んでいると言うよりも、旨味を凝縮して抽出した汁物を飲んでいる様な気分に成る。
「うむ、コレは美味い。良く出来た小籠包の様だ」
ワイズマンシティに有る高級鳳国料理店である帝王餐庁での豪華な食事にも慣れている筈の、ワン大人ですら一口で唸らせる此の味わいは河馬鬼と言う魔物がどれ程危険な存在なのかを端的に教えてくれている様に思えた。
此の世界に出現する魔物は極一部の例外を除いて『強い奴程美味い』と言う法則が有る、どう言う理屈でそう成るのかは分からないが、逆説的に言えば美味い魔物肉はそれだけ強かった可能性が高いと言う事も言える訳だ。
河馬鬼は身の丈六尺程の河馬が直立した様な魔物で、武器は金棒だったり槍や剣だったりと様々な物を使い、衣類や防具の類は一切身に付けて居ない。
けれども生半可な刃物では斬る事も突き刺す事も出来ない程に強靭な外皮を持つ故に、倒すとなると目や口の様に外皮に覆われていない部分を狙うか、外皮の防御力を超える威力で無理やり押し切るしか無い極めて厄介な魔物である。
俺達の様な氣功使いならば得物に氣を込める『斬鉄』と呼ばれる技を使えば、斬って斬れない事は無いし、ワン大人が見せた様に体内に被害を通す打撃が扱えれば倒せない相手と言う訳でも無い。
ではウポポ族の戦士達がどうやって河馬鬼を仕留めて居るのかと言えば、二、三人で組み付き地面に引き倒し口を無理やりこじ開けて喉の奥に槍を突き立てると言う方法だと言う。
目玉を貫いて脳を破壊すると言う方法でも良いと思うのだが、河馬鬼の目玉は乾燥させてすり潰して水に溶かすと目の病気に効く目薬に成る為、出来るだけ綺麗な状態で取り出したい物なのだそうだ。
錬玉術で作る霊薬は駄目だが、簡単な加工で作る事の出来る古来の製法での霊薬は精霊信仰の民的には有りだと言う事らしい……その線引が何処に有るのか今ひとつ理解出来ないまま、俺はカリカリ焼きにも箸を伸ばすのだった。




