百十 志七郎と七柱の神様の事
俺達猪山藩の面々が大鳥居を潜ったのは昼も近くなっての事だった。
本来で有れば鳥居の真ん中は神様の通り道なので人はそこを避けて潜る、と言うのが仕来りなのだが余りにも混み合いすぎる正月だけは、そのまま真ん中を通っても咎められないと言う話である。
だが、それでも鳥居を潜る際にはしっかりと一礼して真ん中を開けようとするのは、信心深いと言うのもそうだが、神様が実際に存在する世界だからだろうか?
そんな訳で俺や睦姉上も鳥居の前辺りまで来た所で兄上の肩から降ろされ、周りがするのと同様に深く頭を下げてから境内へと足を踏み入れる。
白い玉砂利の敷かれた道を、逸れない様に睦姉上の手をしっかりと握り歩いて行く。
「ししちろー、迷子にニャらニャいように手を離しちゃ駄目なのニャ」
姉上は姉上で俺が迷子にならない様にと気を使っている様で、繋いだ手を強く握り返してきた。
だがこの場合逸れる恐れが有るのは当然俺ではなく睦姉上だ。
好奇心旺盛な彼女の事、ちょっと眼を離した隙に家臣達の囲みを抜け他藩の団体に紛れ込まないとも限らない。
幸い兄上の肩から降りた俺達の身長では回りを歩く者達に遮られ、見えるのは人の背中と足だけである、そうそう彼女の気を引く事も無いだろう。
こういった雑踏で何が怖いかと言えばやはり迷子と人攫いだ、スリや置き引きなんかにも注意を払う必要は有るだろうが今日は武士達の参拝日、そうそう不心得者が出るとは思えない。
「姉上こそ勝手に何処かへ行っては駄目ですよ。この人混みでは探すのも並大抵の事じゃないですから」
フンスッと得意そうに鼻を鳴らす姉上を見上げ、そう言い返しながら流れに遅れぬ様足早に歩を進めるのだった。
幸い誰一人逸れる事無く、俺達は無事『猪河家 天蓬大明神』と掲げられた鳥居の前へと辿り着いた。
初祝の時同様鳥居の前に皆が整列する、そして大鳥居の時同様真ん中を開け一礼して一人また一人と鳥居を潜り抜ける。
俺も家族に続いて鳥居を潜り、そこから続く道を歩いて行く。
前回感じた様な耳が痛く成るほどの静寂は無く、皆の玉砂利を踏む音や息遣いが聞いて取れる。
そして社が見えた、だがそこに有ったのは前回の様な綺麗だけれどもほんの小さな社ではなく、明らかに大きな社が建っていた。
それは常成らぬ事らしく、ざわりと皆が動揺するのが解った。
「驚かせてしまった様だな……今年はワシだけでは無く、他の神々も加護の子を見たいと言うでな。ほれ、そんな所に突っ立って無いでさっさと来るが良い」
その言葉は何処から聞こえてきたのだろう? あたり一面に響き渡る様な感じでその声が聞こえた場所が解らなかった。
だが言葉の内容を考えれば、その声を発したのは恐らくあの社に鎮座する神様だろうことは察しが付いた。
それは父上や他の者達も同じだったのだろう、父上は皆を振り返り一つ頷くと改めて社の前へと歩を進める。
そして賽銭箱に懐から取り出した小判の束を投げ入れようとした所で、
「ああ、良い良い! 今年は良い。旧年は功績点が特に多かったのだ、賽銭どころか釣りが出るほどだ」
と、再び声が聞こえそれを制止した。
それに対して父上は一瞬、考える様な素振りを見せた後、二度頭を下げ二度手を叩き、そして改めて深々と頭を下げそのまま動きを止める。
当主で有る父上が二礼二拍手一礼をしたのを確認し、家族と家臣達が続けてそれに習う。
「苦しゅうない、一同の者面を上げよ」
その言葉に従い顔をあげると、そこには物音一つ立てる事無く七柱の神々が姿を表し静かに座っていた。
その装いは千差万別でむしろ共通点を探す方が難しい程だったが、皆一様にして一目で神で有る事が理解できる存在感というかオーラの様な物が感じられる。
七柱の神を代表するかの様に一歩前に立つのは毛皮の衣を纏ったマタギの様な風貌の神様だ。
「猪山の衆、旧年はよう頑張った。糞狐が居らん中生き屍と殺り合い、犠牲者を出さなかったと聞いた時には、ほんに誇らしく思ったぞ」
「これは天蓬様からお褒めの言葉を頂けるとは……、恐悦至極に存じます」
そう言って頭を下げる父上に習い皆が揃って頭を下げた、どうやらあの神様が我が猪山藩猪河家の氏神である天蓬大明神様の様だ。
「なに今年はワシだけでは無く、貴様の子等に加護を与える神々が皆こうして集まったのだ、ワシ如きで至極に至っては恐れ多いという物じゃ」
そう言う天蓬様は少し意地悪そうな笑みを浮かべていた。
「我が愛しき子仁一郎。昨年の優駿は残念な結果でしたが、貴方のその歳を考えれば十分な結果です、腐る事無く精進しなさい」
そう兄上に声を掛けたのは、恐らくは絹で織られたと思われる純白の衣を纏った頭に大きな鹿の角を持つ女神様で、彼女は獣神 鹿角媛様、全ての四足動物の母で有る女神だと言う。
「勇敢成る我が愛子義二郎。正直昨年の貴様は俺様がわざわざ出向いて褒める程には功績を成しておらぬ。だが数日後に控えし大一番を超えれば、貴様はまた一段強く成るであろう。俺様を打倒できる程強く成る日を待っているぞ!」
厳めしい飾り一つ無い無骨一辺倒の鎧姿で雷の様な声を上げたのは、武神 誉田様、自らを倒せる者を育てる為に武芸と刀を火元の民に与えた神だそうだ。
「何時も良い作物を奉納している事、誠に感謝しておるぞ礼子よ……。其方の祝事、上手く纏まる事を願っておるぞ」
綺麗な白い髪の老婆、杖を付いてもなお立っているのもやっとと言った風情のヨボヨボなのは、農神 豊稲媛様、火元の神々の中でも最も古い神の一柱である。
「智香子……、私は他の者の様にお前を褒める為に来たのでは無い。お前はもう少し思慮深く行動する事を覚えよ……、我が加護の子が粗忽者では我を信仰する者達にも悪い影響が出るやも知れぬ……」
眉間に深い皺を寄せながらそう苦言を呈するのは、賢神 須賀原様、腰まである流れる様な漆黒の髪と一度見たら忘れられない様な美貌の男性神だ、神様としてはかなり若い方で、今現在仙人から昇神した一番最後の神様らしい。
「同じ賢神と言っても、格差があるもんじゃな。あちらに比べワシの加護厚い信三郎はよう学んで居る、最近はちと武に偏りがちではあるが、文武両道大いに結構、その調子で励めよ」
須賀原様に説教をされている智香子姉上を横目で見ながら、そう意地悪そうに笑うのは頭の天辺だけがツルリと禿げ上がった白髪の翁、節榑立った木の杖を持つその姿は仙人を絵に書いた様だ、彼は賢神 八心様、火元国の神々の長老だ。
「幼いながらに良い腕良い舌をしておるらしいの、睦よそなたならば遥か深き料理の深奥へとたどり着くこともできようぞ……善き哉善き哉」
福々しい丸い顔で睦姉上の頭を撫でているのは、食神 得瓶様だ。
料理人達の守り神として古くから信仰されて来た神様の一柱ではあるが、最近……江戸幕府が開かれて以来力を付けてきた神様である。
神々は自分達が加護を与えている兄姉達に対してそれぞれが思い思いに言葉を掛けていたのだが、少し待つとそれも一段落した。
そして彼等の視線が一斉に俺を見定める。
「此奴が彼の方の加護の子か……」
「幼いながらに良い目をしていますね……、あの方の好みそうな眼差しですこと……」
「歳の割りに鍛えられておるのぅ、だが幼い内に鍛えすぎてはいかんぞ、背が伸びなくなるからな」
「好き嫌い無くなんでもしっかりと食べにゃアカンよ、どんな事も身体が資本、よう食べてきっちり大きく育ち成せぇ」
「賢しげな面構えをしておる、粗忽な姉を見習う事無く文武満遍なく学ぶが良い。どんな知恵も知識が無ければ生まれぬからな」
「学問も大事じゃが、野山自然から学ぶ事もたくさん有る、机の上の学問だけで無く全ての事から学ぶと言う事を忘れてはならんよ。頭でっかちの理屈倒れではせっかくの学問も意味を成さぬからな」
「よく食べ、よく寝て、よく学べ。幾ら前世があろうとお前の身体はまだまだ子供なのだからな」
皆が口々にそう俺に言葉を掛けて来た、どうやらこの場に居る神様達は浅間様から下された命に付いて少なからず知っているようだった。




