千百十七 志七郎、稽古怠る事無く新たな技の萌芽を目にする事
「此処が甘い! 此処に隙が有る! 力は中々……いや歳の頃と女児だと言う事を鑑みれば凄まじいと言えるが、其れにかまけて技を蔑ろにするのは頂けん!」
スー族の集落を出発しウポポ族の集落へと移動した俺達は、テツ氏のお見合いと密林の危機を救った英雄に対する歓待の為に数日此処に滞在する事に成った。
そんな中でも俺達は日々の稽古を欠かさないのだが、先日の戦いでたった一撃を持って河馬鬼打ち倒したワン大人の『瀟湘発勁掌』と言う技に興味を持ったお連が彼に稽古を付けてくれる様に頼み込んだのだ。
彼女の無手での流儀は相撲で有り、その戦闘体系は組技や投技の多くは『柔よく剛を制す』と言う言葉に相応しい物も有るが、打撃の類は『力こそパワー!』と言わんばかりに力任せな部分が多い。
ワン大人の使う湖沼瀟湘拳と言う流派は、その名の通り湖や沼の様な足場の悪い所で戦う事を前提とした武術だそうで、中国武術を題材にした創作なんかでよく見る『震脚』と呼ばれる強い踏み込みを用いず腰の回転で威力を出すのが特徴だ。
正直、ワン大人の様な大の大人がお連の様な少女を相手に、互いに合意の上で尚且つ十分に手加減して居るとは言え、殴る蹴るの暴行を行っている姿は、個人的には極めて遺憾なのだが、彼女がその技術を習得したいと言うのであれば止めるのは無粋である。
「だが、その力を活かして湖沼瀟湘拳を扱う事が出来れば十割の威力を相手の体内にぶち込む事が出来る。私の流派は元来、身体能力に劣る者が無理やり魔物を討伐する為に編み出された物だからな。強い者が使えばその分強く成る」
前世の世界では武術と言う物は、生まれ持って高い身体能力を持つ者に対して、弱い者がどうにか抗う為に編み出し体系化した物だと言う歴史が有ると聞いた覚えがあった。
そんな事を考えて俺がパッと思い浮かぶのは琉球に伝わる唐手や伯剌西爾のカポエイラなんかだ。
前者は薩摩藩の武士に対して武具を持たずに反抗する為に発展したと聞いた事が有るし、後者も奴隷達が反乱を企てる為に手枷を付けた儘で戦う技を編み出したのが起源だとか聞いた覚えが有る。
向こうの世界の友人が持っていた漫画でも『弱者同士で工夫したらいい』等と、傲慢極まりない台詞をブチかます圧倒的な天才的強者が居たが、生命のやり取りの場ではアレも割と真理なんだよなぁ。
鬼や妖怪が持つ圧倒的過ぎる暴力や妖力の前では、小手先の技はあっさりと薙ぎ払われてしまう。
其れでも生きる為に抗わなければ成らないからこそ、この世界の住人達は武を学びそして発展させて来たのだ。
俺も只黙ってお連とワン大人の稽古を見ている訳では無く、雲耀の太刀を目指して素振り稽古に励んで居る。
本当なら立ち木打ちをしたいのだが、ウポポ族の集落は草原の中に有る為、丁度良い木を用意するのに手間が掛かるので諦めたのだ。
「其方の御仁達も只見ているだけでは詰らぬでしょう。宜しければ軽く一手手合わせ等どうですかな?」
鞘が飛ばない様に紐で括った刀で素振りしながら、横目でお連とワン大人の稽古を見ていると、大人は俺達を遠巻きに見ていたウポポ族の若い戦士と思しき者達にそんな言葉を投げ掛けた。
「ウポポ族は密林にて最強。とは言え貴殿の技が我等には無い物だと言うのは、先程その幼子に稽古を付けていた姿を見れば理解出来た。技を盗まれる事を恐れないのか?」
ワン大人に声を掛けられた部族の戦士は、少しだけ困惑した様な表情でそんな言葉を口にする。
恐らくはウポポ族だけで無く未開拓地域に住む精霊信仰の民達は、其々が独自の戦闘体系を持っており、其れ等を交流させて発展させる事よりも、自分達の優れた技術を秘匿する事を優先するのが当たり前な文化なのだろう。
「技を盗む……大いに結構! 技の交流は新たな技を産み、新たな技が生まれれば其れを破る為にまた新たな技が産まれるのだ。そうして武は洗練されより強い魔物を討伐する技が生まれていく。武の発展は医の発展と同じなのだよ」
新しい技が出来れば其れを破る為に新しい技が産まれる……其れを只管に続けるのが武の洗練と継承で有り、新しい病気が見つかれば其れを治す為に新しい治療法を産み出す……其れが医療の発展なのだとワン大人は言う。
その視点は武術家で有り医者でも有る彼らしい表現と言える物だった。
そもそも『技を盗む』と言う表現が良くないのだと俺は個人的に思うのだ。
『技に著作権は無い』と言うのは、前世に友人宅で読んだ格闘ギャグ漫画の中で使われた台詞だが、良い物は良いと認めて参考にするのは何処の世界にもよく有る話である。
大工さんなんかの職人の世界でも『技は見て盗め』と言われたり、料理の世界でも『味を盗む』なんて表現が使われたりするが、元と成る物に対しての敬意が有れば其れ等の行動は非難される様な物では無い。
なのに『盗む』と言う字面の所為でその行為が悪だと断定されて居る節が有るのが問題だと思うのだ。
勿論、著作権法で守られている物を完全に丸っと盗むのは、違法行為で有る以上は悪だと断定されても仕方無いだろう、けれども『パクリ』と『パロディ』や『オマージュ』『リスペクト』と言った物は別物では無いだろうか?
……まぁ流石に『法に触れなければ何をしても良い』とまでは思わないし、道義的にやったら駄目と言う一線は有るとは思うがね。
つかワン大人の言う通り、武術と言う物は代を重ねる毎に洗練されて行き、新たな流派産まれて行く物だろう。
俺の剣術も前世に学んだ警視流の色が最も濃いとは言え、更に元を辿れば曾祖父さんから学んだ示現流の影響も可也強い筈だ。
そしてその示現流も天真正自顕流と言う流派が源流の一つに有り、天真正自顕流も更に辿れば天真正伝香取神道流と言う流派に行き着くと言う。
そも警視流自体が明治維新後に十の流派を統合して創られた流派で、その中の一つに示現流も有るのだから、影響が出て居て当然と言える訳である。
「東方大陸では複数の師に師事して幾つかの流派を学び、其れを混ぜ合わせる事で己の流派を産み出すのは、割と普通に行われている事だ。私は医者である事が本業で有るが故に湖沼瀟湘拳の無手武術のみに絞ったがね」
ワン大人曰く彼は本業である医術を学ぶ為に多くの時間を費やして居た為、武術は本当に最低限自衛が出来る程度にしか修行をして来なかったのだと言う。
……河馬鬼と言う割と上位の魔物を一撃でブチ殺せる程の技量が最低限の自衛力と言うのは、東方大陸が其れだけ危険だと言う事の証左なのだろうか?
「……成る程、確かにアヴェナナもターと勝負をしてから一気に強くなったと聞いた。俺達も貴方と闘えば今よりも強くなれるかもしれない。ならば一時の恥を恐れて勝負を挑まぬ方が恥と言えるな」
掌に拳を打ち付け闘争心を露わにしたウポポ族の青年が、ワン大人に向かって歩み寄る。
「ウポポ族の戦士コマコマリンだ、一手御指南願おう」
「湖沼瀟湘拳師範、ワン・タン。有意義な手合わせとしよう」
二人は互いに名乗り合った後に、構えを取って二間程の間を置いて向かい合う。
誰かが合図を出す事も無く視線が合った瞬間から自然に勝負が始まった。
実戦に合図は無い……と言うのは鬼や妖怪の様な魔物との戦いが日常の此の世界では当たり前の事なのだろう。
二人は無言で二合撃三合撃と拳と蹴りを交え、ただ黙々と性行為よりも濃密な交流を繰り返し、獰猛な笑みを浮かべて互いの技を見せ合う続けるのだった。




