千百十六 志七郎、報酬を交渉し予定を立てる事
何はともあれ一仕事終わったならば、先ずは依頼主の所へ行って、報告するのが筋と言う物だ。
其れをする前にウポポ族の集落へ向かってテツ氏のお見合いと言う訳には行かない訳である。
「おお! ター! 良くぞ無事やり遂げてくれた! ケツアルコアトル様の傷も癒え始めたが故に、あの化け物に勝利した事は解って居たが……お前も皆様も五体満足な様で本当に良かった」
スー族の集落へと戻ると、出陣前には会う事の出来なかった族長のスー氏が満面の笑顔で出迎えてくれた。
「……そして、アヴェナナとウポポ族の戦士達もウチの部族の若い者達が無礼を働いたにも拘わらず、隔意を持たず密林の平和の為に戦ってくれたのだろう? 流石は密林最強を名乗るに相応しき誇り高い部族よな」
アーマーンの呪いに依って傷が癒えない状態に成っていたケツアルコアトルが回復し始めた事で、討伐された事は事前に伝わって居た事は理解出来るが、その戦いにウポポ族の戦士達が参戦していた事はどうやって知ったのだろう?
「ケツアルコアトル様は密林に住む全ての森林竜の王、例え病床にあろうとも彼等の見聞きした事の多くは彼の御方の耳に届くのだ。まぁ私の契約して居るショロトル様が其れを私にも教えてくれるのだがね」
そんな疑問に対してスー族長はあっさりとネタバラシをしてくれた。
聞けば彼の契約して居るショロトルと言う霊獣は巨大な犬の姿をしており、ケツアルコアトルとは古くからの主従関係に有る存在なのだと言う。
スー族長がシュロトルと言う霊獣を様と敬称を付けで呼んで居るのは、彼等精霊信仰の民に取って精霊を宿し其れを操る霊獣と言う存在は人間よりも上位の存在だと言う認識かららしい。
「我等スー族が金銭で出す事の出来る報酬は決して多くは無い、だがだからと言って恩人に何の御礼もせずに返す程我等は礼儀を知らぬ民族でも無い。故にケツアルコアトル様から寝所に有る生え変わりの鱗を持てるだけ持っていって良いと言う許可を戴いて置いた」
通常の森林竜の鱗は物理的な硬さに加えて、火と風そしてその複合属性である雷に対して強い抵抗力を持つ素材だと言う。
そして霊獣であるケツアルコアトルの鱗は更に水の属性が加わり、複合の方も雲属性に氷属性、更に三種複合属性の消属性に対しても可也の抵抗力を持つ素材なのだそうだ。
アヴェナナ氏が纏う深緑の鱗の鎧が通常種の鱗を使った物で、ターさんが装備して居た虹色にうっすらと光る鱗の鎧はケツアルコアトルの鱗を使って作った物である。
金銭での依頼料として一人頭金貨一万枚と言う、此方の大陸基準で言うならば決して安くない額面が冒険者組合を通して支払われる様に手続きはされて居たが、敵対した相手の事を考えると決して割に合う額面では無いらしい。
其れ故にスー族長はケツアルコアトルの抜け落ちた鱗を追加の報酬として俺達に持ち帰る様に提案して居るのだ。
「鱗だけですか? 爪や牙の生え変わり分なんかが有れば其方も頂戴したいのですが……」
でも其れだけだとスー族からの持ち出しは金貨で支払われる分だけじゃね? と、思うかもしれないが、竜の素材と言う物は武器や防具の素材としてだけで無く、霊薬を調合する為の薬種としても可也貴重な物で、少量でも持ち出せれば一財産に化けたりするのだ。
ちなみに森林竜の鱗は単純に砕いた粉を傷口に振り掛けるだけで高い止血効果が有るそうで、綺麗な鱗は防具に欠けた鱗は装飾品に加工し、其れ等に使えない物は薬として使うのが精霊信仰の民に取っては当たり前の事だと言う。
「ケツアルコアトル様の寝所に落ちている生え変わりの物であれば、今回に限り持ち帰っても構わない。ただ其の為にケツアルコアトル様を傷付けて引き抜く様な真似は許されない」
幾ら鱗に比べて爪や牙が貴重品で、換金価値が比べ物に成らない程に高いとは言え、其れをすれば間違い無くスー族だけで無くウポポ族を含めた密林中の部族を敵に回す事に成るだろう。
更に言うならば此処まで連れてきてくれた案内人役のターさんの顔も潰す事に成る為、言われずとも絶対にそんな真似はしないのだが……世の中には目先の欲に目が眩む馬鹿も居るので態々警告したと言う感じかな?
「ああ、父さん。彼等にはそうした物だけじゃぁ無くケツアルコアトル様の甘い吐息も分けて下さる様にお願いしてもらえないか? 彼等が此方に来たのは私からの依頼だけで無く強壮剤の類を手に入れる為だったそうなんだ」
ターさんがそう言うと、スー族長は片眉を上げて軽く驚きを表しつつ俺達を見回してから、
「未だ未だそうした品が必要な年頃には見えぬがのぅ? 其れに若いウチから薬の類に頼る癖が付くと余り宜しく無いぞ?」
と下世話な笑みを浮かべてそう言葉を返す。
年齢的には今回の面子の中でも最年長のワン大人辺りでも、未だまだ息子さんが現役を引退するには少し早いと言えるだろうし、スー族長の言う通り薬に頼るのは少々早いと言えるかもしれない。
「俺の息子さんが先天的に役立たずでね、此の儘大人に成ると許嫁の彼女が困るんで、其れを改善するのにそうした効果の有る物の中でも、特に効果が高い食品を多く取る様に医者に言われているんだ」
軽く肩竦めてそう言うと、スー族長は『正直すまんかった』と書いてある様な表情を浮かべ
「流石にケツアルコアトル様の吐息は直ぐに差し上げる事は難しいだろう。回復し始めたとは言え、完全に身体が元通りに成るまでには、あの御方の生命力を持ってしても一ヶ月は掛かる。それまで待つ事が出来るのであれば頼んでは見るがな」
前向きに検討してくれると解釈出来る言葉で返事をくれた。
「妖精の珈琲の実を食べたり、ガララアイや人食い加加阿を狩りに行く予定も有るし、ウポポ族の集落も訪ねる事に成るので一ヶ月後にまた此処に来るのは十分可能なのだ」
妖精の珈琲は種子を焙煎し珈琲豆として扱っても当然美味いらしいが、息子さんを元気にする作用が有るのは、果肉部分である珈琲の実と呼ばれる食べ物で、此れは現地でしか食べられない品だと言う。
前世の世界でも嗜好品としての珈琲は世界的に流通して居たが、珈琲の実を其の儘食べる事が出来るのは、珈琲を栽培して居る地域の者だけだと聞いた事が有る。
猫喫茶を経営して居た前世の親友の祖父が、珈琲を栽培して居る地域に出かけた時に食べた事が有ると言う話を聞いたが、その味は『コーヒーチェリー』の名の通りさくらんぼに割と近い物だったと言う話だった。
息子さんを元気にする為に食べるだけで無く、霊薬の素材としても少し持ち帰りたいが、生の果実は足が早いらしいので、持ち帰るのは残念ながら厳しそうだ。
対してガラナの木が魔物化したガララアイの方は、果実もそうした効果は見込めるが、其れ以上に種から煮出した汁に含まれている精髄とでも言うべき物に、強壮効果が見込めるそうである。
ちなみにウポポ族の男達はガラナの実を食べ、ガラナの実の種から抽出した精髄に砂糖等で味をつけたシロップを作り、其れを炭酸水で割って飲むと言うのを好むらしい……うん、北海道物産展なんかで売ってる『ガラナ飲料』その物だな。
赤白青の高良の次位には好きな炭酸飲料で、手に入る機会が有れば割と積極的に箱買いして居た思い出が有るので、此方でも其れが飲めるならば割と嬉しい。
そして最後に人食い加加阿だが、此れは生の実を食べる訳では無く、実を取ったら殻を割り果実に当たる部分を放置する事で発酵を促し、その後に種子を猪口令糖に加工する……と言う手間が掛かる。
加加阿の生の果実部分も茘枝の様な味わいで美味しいらしいが、今回の目的は飽く迄も発酵後の加加阿豆だ。
順番としては一番近い場所で手に入るガララアイの実を手に入れて、それから発酵に時間の掛かる人食い加加阿を討伐し、最後に足の早い妖精の珈琲の実を食べに行く……と言うのが現実的だろう。
……テツ氏とアヴェナナ氏の妹さんとのお見合いの件も有るしな!
『他人の不幸は蜜の味』なんて言葉が有り、俺は其れを余り良い物だと思って居なかったが『他人の恋路』を馬に蹴られない距離で見守るのは、きっと楽しいのだろう……そんな事を考え俺はテツ氏を見上げて口角が上がるのを止められないのだった。




