千百十 志七郎、砦へと押入り意図を通じた事
肩に担いだ大剣をブン回す様に振り回し、テツ氏が砦の中に未だ数えるのも面倒に成る程に居た河馬鬼達を弾き飛ばす。
弾き飛ばす為に敢えて刃筋を立てて居ないのかと言えばそんな事は無く、単純に河馬鬼の外皮が硬すぎるが故にテツ氏自慢の大剣でも、奴等を切り裂く事が出来て居ないと言うだけだ。
其れでも恐らくは義二郎兄上よりも目方の重いだろう河馬鬼を一撃で吹っ飛ばす事が出来るのだから、テツ氏の腕力は並大抵の物では無いのは間違い無い。
後ろに続くターさんはそうして陣形が崩れた河馬鬼を足で押し出す様に蹴り飛ばし、更に前へと進む道を切り開き、反対側に続くお連は丁度良く倒れた相手の首を目掛けて鉞を振り下ろす事でしっかり止めを刺している。
テツ氏の大剣に依る斬撃が通ら無いのに、お連の鉞が河馬鬼の首を刎ねる事が出来ているのは、氣の有無もそうだが其れ以上に彼女の持つ得物がとんでもない業物だと言う可能性が高いだろう。
お連の得物を誂えたのは火元国でも最上位、下手をしなくても上から一、二を争う程の豪傑である一朗翁の素材蔵から出した素材での可能性は極めて高い。
なんせ一朗翁はお連にとって養い親と言っても過言ではない間柄なのだ、御祖父様の指示で地元の衆では対処出来ない様な大物狩りに出張る事の有る彼の蔵には、どんなとんでも無い大鬼や大妖の素材が眠って居ても何ら不思議は無いのである。
何ならお連が口走って居た『鬼熊を一撃で仕留めた』と言うのも、一朗翁が過保護を発症して持たせたとんでも無く高品質な鉞のお陰と言う可能性も無きにしも非ず……か?
いや其れだとしても鉞の扱いに危なっかしい部分は無いし、周囲をしっかりと確認し確実に取れる首だけを取って居る様を見れば、彼女が自身の騎獣である子熊の食餌を得る為に鬼切りに励んで居た事は容易に理解出来た。
確かに此れだけ戦えるので有れば、江戸に出てきてから此方の彼女に対する俺の対応は、過保護な物と思えても不思議は無いだろう。
ちなみにお連が止めを刺した河馬鬼の首の切り口を見れば、力で無理やり押し切ったのか其れ共鋭い何かで切り裂いたのかは一目瞭然なのだが、どう見ても鉞で強引に切ったのでは無く刀で綺麗に斬り裂いた様にしか見えない辺り相当な業物と見て間違いない。
全く……外つ国では素材を買って装備を整えるのは普通の事だし、身に付けた装備と本人の実力が比例して居ない事は割と良く有る事だが、火元国では『出立を見れば鬼切り者の実力が解る』と言われる様に自分で倒した素材で装備を作るのが慣例だ。
初陣の装備は家族が誂えるのが普通だが、得物の強さを自分の強さと勘違いしない様にある程度抑え目の物を用意するのが常識と成っている。
一朗翁がそうした常識知らずをするとも思えないので、あの鉞を拵えさせたのには多分何等かの思惑が有るのだろう。
実際、あの金太郎の腹掛を思わせる文様の胴丸鎧に使われているのは、恐らく俺が前に着ていた物と同じく鬼亀の甲羅を使った物だろうし、そうだとしたら今のお連でも十分に倒せる筈の相手である。
「憤! 瀟湘発勁掌!」
っと!? お連の事で考え込み過ぎた! 横から来た河馬鬼がワン大人に迫ってたのに気が付かなかった!
けれども彼は足手纏は御免だと言わんばかりの動きで、自分に迫った河馬鬼の腹に掌底突きを叩き込んだのだ。
生半可な被害は通さない硬い外皮を持つ河馬鬼に対して、ワン大人の打ち込んだその一撃は確かに力の籠もった物では有ったが、真逆素手の一発で倒せる筈が無い……そう思ったのだが、件の河馬鬼は口から血反吐を流して崩れ落ちる。
恐らくその技は前世の世界で格闘技を描いた創作で定番とも言える技の一つ『浸透勁』とかそう言う奴だろう。
大陸の拳法以外にも空手の『裏当て』や骨法の『通打』と言った、打撃部分の裏側へと被害を通す技術が存在して居たと言う。
そうした技を調整し被害を通す場所を指定する事が出来るのであれば、幾ら硬い外皮を持とうとも無防備な内臓を叩く事であっさりと仕留める事が出来たと言う事だろう。
ましてやワン大人は医者だ相手が獣であれば兎も角、人型の魔物であれば何処に被害を通せば命を奪う事が出来るかは理解して居る筈である。
「回復要員とは言ったが私もミェン一門では湖沼瀟湘拳を教える立場の者、この程度の魔物相手ならば自衛程度は十分に可能だ、私に構わず前へと進め!」
とは言え周りに居る河馬鬼の数は膨大でこのまま前衛の三人が道を切り開こうとしても、何時かは数の暴力に押しつぶされるだろう。
「いや! 一旦止まれ! 大きい魔法で周りを纏めて止める! 四煌戌! 『雷嵐!』」
雷嵐と言う精霊魔法は無い、いや正式な精霊魔法には無いと言うべきか。
其れは俺が四煌戌と協力して組んだ『短縮詠唱』と『呪文維持の委任』を組合せた範囲攻撃魔法の合図なのだ。
雷属性の魔法は火と水の複合属性で紅牙と御鏡が術の維持をしてくれれば、身体の制御は翡翠が行ってくれる。
故に雷雨と言う雷属性の基本魔法を、二つの首に任せて振らせ続けると言う事が出来る訳だ。
そして俺がこの呪文を選んだ理由は、ワン大人が見せた内蔵への攻撃と言う選択の結果をみたからである。
どんなに硬い外皮を持って居たとしても、身体の内側へと通す被害ならば十分な効果が出る訳だ、となると雷か毒そして砂も選択肢に入る。
けれども毒と砂の属性は状態異常を発生させるのが主な効果で、即効性の被害を与える為に俺は雷属性を選んだのだ。
『眠りの砂』を広範囲に仕掛ける呪文を知っていれば、そちらを選ぶ事も出来ただろうが、残念ながら俺の呪文書には其れをする方法は記載されていない。
うん、精霊魔法学会に帰ったら、悪影響を広範囲にバラ撒く魔法も勉強しておこう。
「「「あぉぉおお雄々ん!」」」
そんな俺の氣の力で加速された思考を他所に四煌戌が咆哮を上げ、無数の雷が周辺で蠢く河馬鬼達へと降り注ぐ。
一発の雷では河馬鬼の生命力を削り取る事は不可能だが、紅牙と御鏡の体力と俺の魂力が尽きない限り只管に雷の雨が振り続けるのだ。
しかも雷属性の魔法は単純に相手に被害を与えるだけの属性では無い、凡そ五発に一発の程度の確率で相手を感電させ一瞬では有るが動きを止める効果が出るのである。
一発の威力で言えば連鎖雷撃の方が圧倒的に上なのだが、広範囲に一瞬で被害を与えつつ感電で多くの敵の動きを止める事が出来るという点で、この雷嵐と言う魔法が優れていると言えるだろう。
今回の様に群れが多ければ多い程に、誰かが動けなく成れば何処かで将棋倒しが起こる。
「テツ様! 連も一発大きいのを前に入れます、其れで一気に道を開きましょう! 大根流鍬術 爆砕天地返し・変!」
そして俺の意図を組んでくれたお連がそう一声掛けてからテツ氏の前へと出ると、手にした鉞に目で見て解る程の氣を流し込み地面へと叩きつけたのだ。
大根流鍬術は猪山藩猪川家の先祖であり氏神でも有る天蓬大明神様が編み出した、鍬を得物とする火元国では割と有名所の『百姓の武術』だ。
爆砕天地返しと言う技はそんな中に有って氣を前提とする普通の百姓には使う事が出来ない武士の技だと言える。
鍬を通して地面へと流し込んだ氣を土の下で爆発させる事で、広範囲を一気に耕すと言う農耕の為の技だが、戦いの場で其れを使えば前方方向を下から一気に吹き飛ばす技となるのだ。
『変』と付けたのは鍬では無く鉞で其れを為すのが、本来の在り方では無いからだろう。
間断無く響き続ける雷鳴と、大地を砕き下から吹き上がる氣の奔流に依る爆音が辺りに轟くと、俺達の前に居た河馬鬼の群れが切り開かれて一本の道が出来て居たのだった。




