百九 志七郎、初詣に向かう事
日が明けて睦月の三日、今日は朝から家族家臣総出で万大社へと初詣である。
初詣は大晦日の深夜から元旦に掛けて行う前世でいう所の二年参り――この世界では年籠りと言うらしい――が一般的なのだが、江戸でそれをするのは町人や浪人者だけで、主君を持つ武士は三日に詣でるのが決まり事なのだそうだ。
武士は国元に居る時には年籠りをする為、それを受ける神々が各地の社に散っており、江戸に神々が集まるのが三日の昼過ぎなのだと言う。
それならば、町人達は空の社に参拝するのかと言えばそう言う訳では無く、江戸町民たちも幕臣たちも皆江戸の護り神である『大社様』へ祈りを捧げ、大名とその家族家臣達は国元に住むそれぞれの『氏神』の社を詣でる、と言う事らしい。
万大社への道中は父上が騎乗せず徒歩で有る事、俺が母上に抱かれず義二郎兄上の肩の上に座っている事以外は、春先に行った初祝の時と然程変わる様子は無い。
今日は武士が詣でる日だと予め解っているからか、大路には露天を営む者こそ居るものの道を行く町人達の影は無い。
初祝の時には三つになったばかりの子が居る家だけ、それも家臣の半数は宴席の為の食材を狩りに行っていたのに対し、今日は江戸にいる大名とその家臣達その全てがこの道に集まっているのだから、その光景は壮観としか言いようが無いだろう。
「ふわー、すんごい人だニャー!!」
そんな声を上げたのは、俺同様義二郎兄上の肩に担ぎ上げられている睦姉上だ。
「睦よ、すまぬが耳元で大声を上げるのは勘弁してほしいでござる」
そんな義二郎兄上の抗議もどこ吹く風と言った様子で、睦姉上は何か気になる物を見つける度に子供特有の甲高い声を上げている。
「姉上は去年も来たのではないのですか?」
「去年は父上が居なかったから来てニャーのニャー、一昨年は来たと思うけどよく覚えてニャーのニャ」
俺の疑問の声に姉上はそう返答を返すのだが、
「一昨年は志七郎が生まれたばかりでまだ出歩けぬ母上と共に、其方も留守番していたでござる……」
と直ぐ様呆れた様な声で義二郎兄上が否定の言葉を口にした。
「ニャー? んじゃニャーも今日が初めての初詣だニャ!」
楽しそうにそう声を上げる睦姉上の様子に、俺と義二郎兄上は揃って苦笑にもにた笑みがこぼれるのだった。
それからどれ程経っただろうか、道いっぱいに広がった武士達の行列は少しずつ進んでは居る様だが、その歩みはひどく遅く大社へとたどり着くにはまだまだ時間が掛かりそうだ。
「よう鬼二郎に鬼斬り童子、新年おめでとう」
武士達の中に有っても頭一つ分以上大きい義二郎兄上はこんな状況の時にはひどく目立つ、今日は更に俺と睦姉上を肩に乗せているのだから尚更だろう。
「おお、ヅラ丸では無いか、新年おめでとうでござる」
「新年おめでとうございます」
「新年おめでとうですニャ」
この人混みの中を掻き分けて来たのか、義二郎兄上にそう声を掛けてきたのは鬼斬り奉行所の同心、桂髭丸殿だった。
「拙者はヅラでも無ければハゲでも無いこの頭は剃ってるだけだ! まったく貴様は年が明けても相変わらずだな……」
義二郎兄上の失礼極まりない言葉に怒声を叩き返すのは、最早二人の間では定番と化しているやり取りの様だ。
「そちらの肩に居るのは鬼二郎の妹姫か? お初にお目に掛る拙者は桂髭丸、義二郎殿の朋友でござる」
「ご丁寧に有難うございますニャ。ニャ……私は猪山藩猪河家六子三女猪河睦でございますニャ」
桂殿の自己紹介に睦姉上がそう応える、一人称の部分は流石にニャーのままでは行儀が悪いと言う事なのかわざわざ私と言い直して居るが、語尾にニャが付くのはそのままである。
それに対して桂殿は何を言うでも無く、特に訝しむ様な表情を見せることも無い。
睦姉上が両親の子で有る事を明かした以上、姉上が猫又だと勘違いしていると言う事は無いはずだ、もしかしたら睦姉上は父上と猫又の側室の間に儲けられた子だと思われたのだろうか?
「鬼斬り童子殿は、何を珍妙な百面相をしているのだ?」
思った事を表情に出さない練習は多少は効果が出てきているのか、はっきりと思考を言い当てられる事はここ最近減ってきた様に思えるが、それでもポーカーフェイスと言うには今ひとつの様である。
「いえ他所の方から見て、姉上のニャーニャー語はどう映る物かと……」
言葉を選ぶと言う訳では無いが、あまり姉上を責める様な表現にならない様に気を付けながらそう答えを返す。
「ん? 彼女は猫又の先祖返りではないのか? 猪山は代をたどれば様々な妖を娶って来たと聞いておる、鬼二郎も鬼の先祖返りであろう?」
桂殿は至って真面目その物の顔でそう口にした。
「鬼の血って……流石にそれは……」
「家は初代様の時点で色々混ざっておったらしいからのぅ……。猫又は確実に居るだろうし、鬼の血も間違いなく入ってござるぞ」
その言葉を聞いて、俺は顔が引き攣るのを感じながら言葉を絞り出すが、俺の言葉に被せる様にして義二郎兄上が肯定の言葉を発する。
「鬼を娶ったご先祖様が居るんですか……」
呆れとも、関心とも取れる様な、複雑な思いが口を付いて出た。
「鬼を娶る事自体は然程珍しい事では無いぞ? 鬼達は総じて武勇を尊ぶ、徒党の首魁で有る大鬼が女で有った場合、一騎打ちで討ち果たした者の嫁に成るというのはよくある話だ」
江戸周辺で行われる鬼斬りを取り纏める鬼斬り奉行所に勤務する桂殿の話に拠ると、今でも年に一、二件はそういう事例の報告が有るらしい。
地上に出て来る女鬼と言うのは総じて美しく、一度夫と定めた相手に貞淑に尽くす理想の妻と成ると言われており、名も腕も有る鬼斬り者は勿論、容姿に余り恵まれて居なかったり、金遣いが荒かったりと結婚できない男が最後の逆転を掛けて挑む事も多いらしい。
前者は兎も角、後者の大半にとって無謀な挑戦であり、毎年多くの死者を出す原因の一つでも有ると言うのだから、笑えない話である。
「ところで髭丸、お主は一人か? 細君は如何した?」
「ん? ああ家のは今身重でな、悪阻がひどく家で休ませておる。父上も運悪く当直だから、今日は俺一人だ。まぁ社まで行けば、他の旗本家の者が居るだろうからそちらに合流するがな」
照れくさそうに笑いながら答える桂殿、本当ならば城の回りにある旗本屋敷を出る時点で彼等と行動を共にするはずだったのだが、辛そうにしている妻を心配するあまり集合時間に遅刻し一人で社を目指していたのだそうだ。
「おお、もう子供が出来たでござるか。同期では一番乗りではござらぬか?」
「いや同期だと丑久保殿が一昨年に娘を儲けている、あそこは十五で妻を貰ったと言って居った筈だ」
「なんにしてもめでたい! 今日はしっかりと安産を祈願するんでござるよ」
「言われるまでも無い。お前こそ立ち会いの話は聞いておるぞ。勝ち負けは兎も角、俺の子を見る前にくたばる様な事の無いようにな」
「それこそ言われるまでも無いわ。生まれたら知らせるでござるよ、護り刀はどちらかの祖父母が仕立てるであろうし……それがしは牛鬼でも狩ってきてでんでん太鼓を作らせようかの」
「牛鬼のでんでん太鼓……普通ならば随分と張り込んだ祝いだと笑い飛ばす所だが、お前の場合には手頃な獲物だからなぁ」
「吐かせ! お主とてそれがしと同等の腕前、狩ろうと思えば然程苦労無く狩れる獲物でござろう」
「違いない」
そう言って笑い合う二人を見ていると、ふと前世の兄貴とその奥さんの間に生まれた甥っ子の事を思い出した。
俺がくたばった事件のあの時点で確か10歳……、生まれたと言う知らせが届いた時には出産祝いに絵本のセットを贈った記憶が有る、今でも元気にしているだろうか……。




