千百三 志七郎、密林の危機を知り戦いを覚悟する事
「カー! カーじゃないか! ああ! 精霊よ、此の導きに感謝致します!」
テツ氏にターと呼ばれた毛皮で出来た褌の様な物だけを身に着けた、如何にも蛮族と言う装いながら、知性溢れる顔立ちをした金髪で青い目の白人系と思われる男性が喜びに溢れた表情で天を仰ぎ見て、そんな言葉を口にした。
……此処で神々への感謝では無く精霊への感謝を口走る当たり、彼は精霊信仰の民なのだろう。
「ター! お前が居てくれて本当に有り難い。俺達は人食い加加阿と妖精の珈琲を手に入れる為に未開拓地域に入りたかったんだ。今誰かと契約して無いなら俺達の案内人を務めてはくれないか?」
男同士が抱き合い再会を喜ぶ姿は火元国では余り目にする事は無いが、鳳凰武侠連合王国と火元国を除けば、割と普遍的に存在する文化らしい。
向こうの世界だと其れに加えて挨拶としての接吻なんて物も欧米では有った様に思うが、どうやら此方の世界……少なくとも西方大陸西岸部から西方大陸南部に掛けての地域には無い様である。
「ああ……済まない、カー。今、私は案内人として仕事を求めに此処へ来た訳では無く、冒険者の斡旋を求める為に此処へ来た依頼人の立場なんだ。君の様な堅実で実直な冒険者が相手ならば状況さえ許せば絶対に請け負うんだがね……」
身体を離すなり案内人として雇いたいと言い出したテツ氏に対して、ター氏は心底残念そうな表情で謝罪の言葉を口にする。
俺の前職で培った人を見る目は、彼を極めて誠実で馬鹿が付く程に正直な男だと判断した。
うん、彼の様な人物が案内人を務めてくれるならば、きっと俺達が想定して居た以上の実りを得る事が出来るんじゃ無いだろうか?
「テツ殿、其方の方が冒険者を必要としていると言う事は、何等かの困り事で荒事に向かえる人材を必要としていると言う事では? 其れを解決する事が出来たならば後顧の憂い無く案内人を務めて頂けるのでは?」
故に俺は少しだけ衝撃を受けた様な顔をして居たテツ氏に対してそんな言葉を投げ掛けた。
「いや……ター達、スー族ってのはこの先の地域では最強と名高い一族でな、彼等が他所の助けを求めるって言うなら、そりゃもう竜種をぶん殴りに行くとかそう言うレベルのヤバい案件だぜ?」
竜種は多くの幻想世界でそうで有る様に、最強格と言える魔物の一角を占める存在で有る。
勿論、竜種と言ってもピンからキリまで様々存在するが、最も弱い種でも単独徒党で撃破すれば全員に二つ名が付く程の大物として扱われると言う。
「竜種なら俺も火元国で一体撃破した経験が有りますから倒し方は解ってます。勿論、手順が解ってれば簡単に倒せる様な物でも無い事も理解してますよ」
義二郎兄上の所に居る虎男達に聞いた話だと、火元国を旅立つ前に江戸に出現した黒竜は、竜種の中でも割と上位に入る強さだったそうで、冒険者組合の管轄ならば先ず間違い無く名前持ちと成っていたと言う話だった。
アレは単体でも江戸の街を滅ぼす可能性が十分に有った凶悪な存在で、多くの竜種はアレの様な災害級の存在と言う訳では無い。
「ゑ? 一寸……カー、此の子、竜種を倒した事が有るって言った? と言うか、何時もの面子じゃないんだな。其れでも竜を倒せる程の者が居るならどうか協力して欲しい! スー族存亡の危機なんだ!」
ター氏は俺の言葉に対して驚きの表情を浮かべた後、片膝を付いてしゃがみ込むとテツ氏の右手を取ると其れに己の額を押し付ける。
「ちょ! ター! 止めてくれ! アンタに其処までされたら俺は絶対に断る訳にゃ行かなく成るだろよ!」
どうやらその仕草は此方の大陸に置ける土下座にも等しい行動の様で、其れを見た周囲の者達がざわつき始めた。
「テツ殿、私も東方大陸に居た頃には、下位ではありますが竜種を討った事も有ります。竜種は爪の一欠、鱗の一枚、その腹に詰まった糞ですら強力な薬種ですからな。
私も医者であると同時に武芸者でも有る、何方の生き方でも困った者を見捨てる訳には参りません」
俺の言葉を受けてと言う訳では無いのだろうが、ワン大人もター氏の困り事を解決すると言う方向で意見を口にする。
「はぁ……わぁったよ。つってもター、事情も解らん状況で簡単に引き受けるなんて事ぁ言えやしねぇ。先ずは何がどうなって何をして欲しいのかを教えてくれ。後、初対面の奴等には自己紹介もな」
根負けした様に溜息を一つ吐いたテツ氏がそう言うと、ター氏は慌てた様子で立ち上がり
「挨拶が遅れ失礼致しました。私はスー族の英雄パーの孫でスーの息子のターと言う者です。此度は我等スー族の守り主である森林竜の霊獣ケツァルコアトル様が呪いに倒れた為に其れを仕掛けた者を討伐する手伝いを募りに来て居たのです」
と、胸に手を当て頭を深々と下げながらそう言った。
聞けばスー族の者達は皆一音を伸ばした形の名を名乗る為、割と高確率で名前が被るのだと言う。
其の為、個人を識別する為に◯ーの孫で●ーの息子の◎ーと言う名乗り方をするのだそうだ。
そして一族の名で有るスーを名乗れるのは、英雄と呼ばれる程の偉業を成し遂げた者の息子だけで、スーを名乗れる者が居ない時期以外はスーを名乗る者が族長を務める事に成っているらしい、つまりター氏はスー族の族長の息子と言う事だ。
「んで、此奴はスー族でも歴代最強の戦士だとも言われている男でな。爺さんの英雄パーが成し遂げた白王獅子を素手で倒すと言う偉業を既に成し遂げた化け物なんだよ」
……白王獅子って俺の記憶が確かなら義二郎兄上が義手を創る為に倒した魔物の一体で、其れを討伐するのに兄上達ですら全滅を覚悟したと言う化け物だぞ? 其れを単独で素手で撃破した? うん、化け物呼ばわりも当然だわ。
「私の事は良い。今大事なのは一刻も早くケツァルコアトル様に掛けられた呪いを解くと言う事なのだ。ケツァルコアトル様は森林竜達の王でも有り、彼の御方が万が一にも命を落とす様な事に成れば密林が大きく荒れる事に成る」
精霊信仰の民が暮らす集落は、自分の縄張りから他の凶悪な魔物を排除する習性の有る森林竜の性質を利用した物だそうで、その王で有るケツァルコアトルが亡く成れば森林竜達の統制が取れなく成る可能性が極めて高いらしい。
草食で温厚な竜だと言う話だった森林竜だが、其れは飽く迄もケツァルコアトルと言う王を戴いて居るからこそで、本来は縄張り意識が強く同族相手でも繁殖する時以外は自分の縄張りに入った一定以上の大きさの生き物を追い払おうとするのだと言う。
その上雄と雌や雌同士ならば追い払うで済むのだが、雄同士の場合には相手の縄張りを奪う為に殺し合う事すら有るのだそうだ。
知恵有る獣である霊獣と成ったケツァルコアトルは、そうした習性を理性で押し退けた上で、他の同族達が不必要に争う事無く生きられる様に統治する様に成ったらしい。
其れ等の話を聞けばケツァルコアトルと言う霊獣の一件は、スー族だけで無く他の精霊信仰の民達にとっても決して放置して良い事では無いと理解出来たし、未開拓地域に開拓地を得ようと言う冒険者達にも捨て置け無い状況だと理解出来た。
同時に竜種に精霊が宿った霊獣をも死の淵に追いやる程の呪いを仕掛けた者が、何れ程凶悪な真似をして居るのかという事も……。
「……恐らくは妖刀か若しくは其れに類する様な、異界の邪神が権能を込めた『何か』が使われたとかそう言う事でしょうか? だとすれば其れを破壊する以外に呪いを解く方法は無いかと思われますが?」
異世界の神々の権能が籠もった物に依る怪我や、異世界から来た魔物に喰われた傷は、呪いとなり世界樹の神々の権能を持ってしても簡単には治癒する事は出来ない。
けれどもその原因と成った物を討伐する事で、呪いは解け普通の症状へと戻るのだ。
「ああ、その通りだ。私達の集落からもう少し進んだ所に魔物が砦を築いて居てね。ケツァルコアトル様は其れを潰そうとして其処の首領に手痛く傷付けられてしまったんだ」
成る程、今回の冒険は鬼の砦の制圧か……面白く成って来た、と口に出すのは流石に不謹慎が過ぎると思いつつも俺は口角が上がるのを止められなかったのだった。




