百八 志七郎、筆を始め、新年を祝う事
「「「明けましておめでとう御座います」」」
広間に家臣達と共に居並び、父上母上に対して頭を下げつつそう声を上げる。
その言葉だけを考えるならば元旦の様に思えるだろうが、実は今日は既に睦月の二日だ。
なぜ昨日では無く今日こうして新年の挨拶をしているのか、それは俺達が今こうして父上に対し平伏し挨拶をしたように、江戸にいる大名は勿論、旗本家以上の家の当主と嫡男が皆揃って上様に挨拶をするのが元旦の恒例らしい。
その後は新年を祝う宴が催されるため父上と仁一郎兄上はそれに参加していたのである。
義二郎兄上とは除夜の鐘が鳴った頃に、他の家族とも昨日の内に挨拶は済ませているが、今日この場でこうするのは公的な行事なのである。
ちなみに留守番組の元旦は食事が雑煮だった事以外は特別な行事等は何も無かった。
「うむ旧年中は皆大きな怪我も無く良き一年であった。再来週には半数がワシと共に国元へと戻ることになるが、残る者は笹葉とお清に協力する様に」
「「「御意!」」」
「では、例年通りお年玉を配る。今年は旧年の我が藩の忠勤が上様の眼に止まった様でな随分と弾んでくれたわい。故に皆も期待して良いぞ」
お年玉と言えば、前世の感覚ならば親や親戚、近所の大人達が子供に配る物、というイメージが有ったのだが、この世界ではその他に主君から家臣にも贈られるのが一般的なのだそうだ。
前世でも有る特定の組織社会では、子供達だけでなく立派な大人でも上役から目下にお年玉を配っていた、考えて見れば武士の有り方と彼等の有り方はかなり似通っているのだから、こういう風習も似ていて可怪しくは無い。
父上よりも年上の家臣がポチ袋を手渡されて、それを大事そうに懐にしまい込む姿は中々に違和感のある光景ではあるが……。
お年玉は家臣達のトップである家老の笹葉から始まり年齢順では無く家格の順番で、家臣達が終われば俺達兄弟に、そして姉上達女性陣がきて、最後におミヤ婆さんを含めた女中達平民枠の家人たちの順で配られる。
「次、志七郎」
「あ、はい!」
少し考え込んでいる内に、何時の間にやら俺の番が来たらしく、俺はソレに子供らしい元気の良さで返事を返した。
「旧年はお主のお陰で上様の覚えもめでたく、今年からは色々とやりやすく成りそうじゃ。尋常な子供ならば少々過ぎた額かも知れぬが、お主ならば大丈夫じゃろ」
そう言って渡されたポチ袋は前世の様に紙幣が入っている訳ではなくずしりと重かった。
お年玉を配り終わったならば今度は書き初めである。
「志七郎は文字だけは歳相応でござるなぁ」
俺の書いた半紙を覗きこみながら、義二郎兄上がそう言った。
毛筆が日常的な筆記具であり常日頃からそれに親しんだこの世界の人間は皆かなりの達筆で、習字など小学校の授業程度しかやった覚えのない俺は、残念ながらそれらに比べてかなり見劣りする。
回りの皆、それこそ睦姉上ですら書道と呼ぶに相応しいレベルの文字を書いているのに対し、俺のそれは明らかに『お習字』それも朱墨を入れられるレベルなのだ。
ちなみに書いたのは『成長』の二文字、肉体的な部分は勿論の事、この身体に引き摺られてなのか以前よりも随分と幼く成ったと感じられる精神的な部分についても、少しでも早く大人に相応しい人間に成りたいと願ってである。
「義二郎兄上は何を書いたのですか?」
そう言って彼の書を覗き込む、そこに踊る『常勝無敗』の四文字実に兄上らしい言葉だと思えた。
だが回りを見回してみれば『見敵必殺』だの『一刀両断』だの『鎧袖一触』だの物騒な熟語ばかりが並んでいる様に見える。
そんな中でも特に眼を引いたのは『打倒鬼二郎』と言う言葉だ、無論書いたのは鈴木清吾だ。
普通ならば主君の息子を打倒する等と書けば問題に成るだろう、だが『小藩なれど武勇に優れし猪山』である、兄上との立ち会いが既に決まっている彼が本気で戦う決意を咎め立てする者等一人として居るはずが無い。
むしろ武芸指南役と言う役職の割に戦う事を好まない節が有った彼が、兄上との立ち会いに対して強い意気込みを見せている事に好意的な意見の方が多い位だ。
そして彼の書を踏まえて兄上の書の意味を考えれば『義二郎ぶち倒す』『絶対に負けねぇ』と互いに勝利宣言をしている様な状況らしい。
「殿方達は年の初めから随分と楽しそうで宜しいわねぇ……」
にこやかながら二人の間に渦巻く殺気にも似た重い空気を他所に、勝負の景品の様な扱いを受けている礼子姉上が溜息を付きながらそう呟いた。
二人のやり取りに思う所が有るのかと思ったのだがその表情は暗い物では無く、むしろ男の子供っぽい部分に呆れつつも『しょうが無い』と笑っている様に見えた。
「姉上ぇ……」
そんな彼女の手元を見ればそこには『豊年満作』の四文字、どうやら彼女にとっては自身の婚姻が掛かった勝負よりも、今年の作付けと収穫の方が大事のようだった。
「今年も恙無く一年を過ごせます様に……乾杯!」
皆が書き初めを終えれば、そこからは新年を祝う宴会だ。
父上の音頭と共に家臣だけでなく家族も皆盃を掲げる、俺や信三郎兄上、睦姉上の様な子供、義二郎兄上の様な下戸も皆で有る。
呑むのは屠蘇散と言う生薬を調合した漢方薬の様な物を酒に溶かしこんだ、所謂お屠蘇であるが、上記の様なメンバーにはわざわざ煮切ってアルコールを飛ばした物が用意されていた。
それを一人につき一つ用意された四段重のおせちを肴に呑むのが我が家のスタイルらしい。
甘酸っぱい紅白なますを一口食べお屠蘇を呑む、なますは前世からの好物である。
素材が良いのかそれとも作った者の腕が良いのか、前世で何度か頂いた高級料亭のおせちに入っていた物よりも随分と美味い気がする。
数の子、栗きんとん、伊達巻、黒豆、田作り、色々な味を少しずつ楽しむ、そのほとんどは前世で食べたよりも美味しいと思えるのだが、残念ながらいくつか俺の口に合わない物があった。
栗きんとんや伊達巻と言った甘みの有る物がどれも大甘過ぎるのだ、以前露天で食べた焼き鳥のタレもそうだが、江戸の人々は砂糖の甘みを高級な物と有難がるのだ。
普段の食事はあまり濃い味付けがされていないのだが、こうした祝料理や外食ではそんな極端に甘い味付けが時折俺を悩ませる。
「ニャ? ししちろー、なんか嫌いな物でも入ってたかニャ?」
そんな俺の様子を目聡く見咎めたのは睦姉上だ、この大量のおせちを用意する為に彼女はかなり頑張っていたはずなので、皆の評価が気になるのだろう。
「嫌いな、という訳ではないですが、ちょっと俺には甘すぎる物が幾つか……」
別に隠し立てする事では無い、あくまでも嗜好の問題であってこの料理の出来がどうこうと言う話ではないのだ。
「……志七郎は俺と同じで辛党か」
そう呟く様に反応したのは、家でも有数の酒豪である仁一郎兄上である。
「流石にまだ酒を呑みたいとは思いませんが、ここ迄大甘はちょっと厳しいですね」
江戸の菓子全般がここ迄大甘という訳では無い、上様の所で頂いた羊羹やちょくちょく買い食いする黄金色の菓子は、程よい甘さと言う言葉がしっくりと来る感じである。
「お主が食わぬならば、その栗きんとん、それがしのなますと交換するでござるか? それがしは酸い物はあまり好まぬからな」
そんな提案をしてきたのは下戸の義二郎兄上である、なますとの交換を提案してきたのは彼がそれを好まないから、では無くそれを食べた時の俺の反応を良く見ていたからだろう。
こんな些細な事でも、彼の洞察力の鋭さに驚かされる。
その事に鈴木も気が付いたのだう、彼が兄上を視る視線が一際鋭さを増した気がした。




