千九十六 志七郎、集計を眺め次の一手を考える事
『五十六万四千八百九十九枚! 五十六万四千九百枚! 五十六万四千九百一枚!』
運動会の玉入れの勝敗を決める様に……と言うと少々数が大き過ぎるが、双方が積み上げた駒の山を少しずつ崩しながら集計作業は進められて居る。
態々大観衆を前にして一枚ずつ数える様な真似をして居るのは、正々堂々と不正無く集計すると言う目的だけで無く、興行として観客を盛り上げると言う意味合いも有るのだろう。
実際、集計前の山が少しずつ小さくなるに連れて、観客席の熱量は徐々に高まっている様に思える。
今この場に居る観客の多くは、母上と男爵の勝ち負けに金銭を賭けただけで無く、夜を徹しての麻雀を真剣に見続けて居た、言わば博打の観客本気勢とでも言うべき者達であり、その積み上がった駒の量だけでも興奮の材料と成るのだろう。
何せ俺達が行った迷宮探検競技の賞金である金貨五十万枚分の駒を足して尚、其々が金貨六万五千枚を越えるだろう額面を博打で稼いで居るのだ。
博打なんて物は負けて当然、勝ったら幸運と言うのが筋目で有り、種銭を差っ引いた上で万枚を越える勝ちなんてのは、そうそうお目に掛かる事の出来る様な物では無い筈なのだ。
にも拘わらず、双方が莫大な勝ちを得ている此の状況は、当に東西最強の博打打ちが打つかり有った結果……と、この場に居る観衆達には見えるのだろう。
その上、ぱっと見ただけでも残った駒の山は未だ未だ多く、恐らくは七万を越えて八万に届かない辺りの何処かで勝負を分けるのではないかと予想出来る量が残っている。
金貨八万枚と言うのは両に直して大凡二万六千六百六十六両で更に前世の世界の日本円にすれば二十六億六千六百六十万円程と言う事だ。
俺の記憶が確かなら向こうの世界の米国で賭博場が有れば、大体何処でも設置してある電子通信網で賭金を積み上げていく形式の絵合わせ遊技機で大当たりを引けば億行く事は決して珍しく無いと言う話だった。
けれども其れは全米に設置されて居る同型機で、何万人もの人のハズレが積み重なる事で、大当たりの当選金が大きく成る仕組み故の物で、真っ当な勝負で其処までの大金を稼ぐ事が出来るかと言えば……無い訳では無いのが博打の怖さである。
米国で行われたポーカーの世界大会で日本人が億の賞金を獲得した、なんて話を向こうの居た頃に聞いた覚えが有る。
流石に普段の博打で億単位の金銭が動く事は然う然う無い話だとは思うが、世界大会とかそう言う話になればその手の大会で得られる賞金で飯を食っている職業博打打ちとでも言うべき者が集まるだけ有って話は変わって来る訳だ。
今回の勝負が世界大会に類する物と言うには一寸違うとは思うが、ニューマカロニア公国と言う国を上げた一大催しだった事は間違いない。
「五十六万五千八百二十一! 五十六万五千八百二十二! 五十六万五千八百二十三!」
残った駒は未だまだ数えるのが面倒な程に残っていると言うのに、一枚一枚数えているのにはもう一つ理由が有る。
極々稀な話では有るが偽の駒を持ち込んで、払い戻しを誤魔化そうとする如何様に手を染める者が居るのだと言う。
勿論、これだけの観客が見ている様な催しでそんなセコい如何様をするなんて馬鹿な真似をする程、母上も男爵も愚かでは無い。
……が、観客の中には『自分ならやるから他の奴もやるだろう』と考える者も居るそうで、この手の催し物では必ず全ての駒を検品するのが習わしと成っているのだそうだ。
まぁ前世の日本でもパチンコ店なんかで他所の店の玉や硬貨を持ち込み、勝ち分を嵩増しすると言う如何様で偶に警察が呼ばれたりする事も有ったので、どんなに高い危険性を犯してもやる奴はやるのだろう。
今回行われている博打勝負で使わている駒は、公爵家の経営する賭博場の物を使用しているのだが、其れは丸く抜いた木製の板に公爵家が抱えて居る錬玉術師が専用に調合した塗料を塗った物で偽造はほぼ不可能な品だと言う。
ただ単純に同じ大きさで同じ色の駒と言うだけであれば、偽造も難しくは無いのだろうが、錬玉術に依りある種の術具と成っている駒は専用の眼鏡を通して見る事で真贋が一目で解る様に成っているのだそうだ。
拡声の術具で響き渡る枚数を読み上げる声に合わせて、駒を一枚一枚丁寧に集計済みに山へと移していくバニーガールのお姉さんが、二人共眼鏡を掛けて居るのは真贋確認の為と言う訳だ。
ちなみに母上の駒を動かしているのは長い黒髪をそのまま後ろに流した髪型で黒いバニースーツに黒のうさ耳を付けた黒兎な女性で、何処か火元国の血筋を思わせる顔立ちをして居る……但し身体付きは豊満で礼子姉上よりも我儘な身体をして居る。
そして男爵側の方は塔で会った金龍の髪の毛と同質にも見える、輝かしい黄金色の髪の毛を肩の辺りで切りそろえた髪型で、比較的凹凸の少ない身体を白いバニースーツとうさ耳を付けた白兎の装いの女性だ。
……個人的には、発破な身体の黒兎さんよりも、細身では有るが綺麗な立ち姿の白兎さんの方が好みかな?
とは言え、今俺と一緒に集計を眺めているストリケッティ嬢が一番可愛いと思うのは、完全に好みの問題だとは思うがね。
と、そんな事を思いながら、ノースリーブのワンピースと言う比較的薄着の彼女に、白兎さんの着ている装束を思考の中で重ね合わせて見る。
うん、良い……多分息子さんが健康ならば、今の年頃でも理由は解らずとも元気溌剌状態になって居た筈だが、残念ながら問題を抱えた其れはピクリとも……いや!? 今一寸だけだが息子さんの感覚が今までと少し違った気がするぞ?
此れはもしや……下半身に効果が有ると言う食材もそうだが、俺自身がそう言う意味で興奮する事でも我が息子さんは健康を取り戻せると言う事だろうか?
だが、残念ながら発生したのは少しの違和感だけで、突発的に勃ち上がってしまい其れを隠す為に前屈みに成る様な事は無かった。
矢張り俺の身体に起こっている症状は心理的な物だけでは無く、肉体的にも何らかの問題が有ると言う事なのだろう。
まぁ本業では無いとは言え、一応医術の免状を持っている智香子姉上の見立てでも、身体が完全に出来上がるまでに下に効く食材をたっぷり取る事で、息子さんもしっかりと成長するらしいので、此方に居る内に其の手の物を手に入れる努力をするとしよう。
精霊魔法学会の呪文図書室には、呪文書以外にも西方大陸で流通して居る一般的な書籍の類も多数所蔵されて居たが、その中にそうした素材に付いて書かれていた物が有ったのだ。
取り敢えず目下の目標としては、西方大陸南部の未開拓地域の比較的浅い領域に生息すると言う『人食い加加阿』と言う魔物と、『妖精の珈琲』と言う植物の実を手に入れるのが良いだろう。
人食い加加阿はその名の通り歳を経た加加阿の木が妖怪化した物で、自由に歩き回る様に成り人や牛と言った生き物を喰らう様に成った割と危険な存在だと言う。
前世の世界でも加加阿から作られる猪口令糖は媚薬だと言われていた時代も有ったし、其れが下半身に効く食材として名を上げられるのは何ら不思議は無い。
そして妖精の珈琲と言うのは、植物の蜜を糧とする翅妖精達の中で、珈琲の木と共生する様に成った個体が居た場合、その珈琲の実は普通の物と比べてとんでもない栄養価を溜め込む様に成るのだそうだ。
だが妖精の珈琲は種子を焙煎してしまうと普通の珈琲豆と変わらない状態に成ってしまい、そうした効果を得る事は出来ないのだと言う。
ではどうするのかと言えば、木と共生して居る翅妖精達と交渉して生のままの珈琲さくらんぼの果肉を食べるのである。
翅妖精と言う種族は基本的に女性体しか居ないそうで、繁殖には他の種族から精を分けて貰う必要が有るのだと言う、其の為に下半身によく効く妖精の珈琲と共生して居るのだろう……と書物には書かれて居た。
まぁ何方にせよ、動けるのはワイズマンシティに帰ってからの話だ。
先ずは今夜の勝負の結果を見届けて、それから宿屋に戻って軽く一眠りと言うのが先決だろうな。
「五十六万六千七百二十一! 五十六万六千七百二十二! 五十六万六千七百二十三!」
何時終わるのかも解らない集計の読み上げを聞きながら俺はそんな事を考えていたのだった。




