千九十五 志七郎、下の薬を考え勝負の行方を見守る事
どうやらストリケッティ嬢が殊更に公正・公平を強調した事が、聴衆の琴線に触れた様で、恐らくは俺達の何方が勝つかに賭けて居たであろう者達も含めて、万雷の拍手を以って勝負の結果を受け入れてくれた様だ。
……とは言え、飽く迄も其れは部外者である観客の反応に過ぎず、真の意味で勝敗の行方は審判と成る者に預けられたと言えるだろう。
「公平な勝負の結果! 成程、其れは確かに美しい話だ。だが双方を勝者とする事は認める事が出来ぬ。何故ならば双方を勝者とした場合『双方共に宝玉を持ち帰れぬ』に賭けた者以外全ての者を的中としなければ公正な博打では無くなるからな!」
と、そんな言葉を口にしたのは、お花さんと共に一段高い位置に設けられた客席に座って居た、王冠と思しき物を被った恐らくは此の国の支配者である公爵様だろう。
どうやら此のニューマカロニア公国一番の賭博場と劇場そして宿屋の経営者で有る彼の人物が、母上と男爵の勝負を取り仕切って居るらしい。
まぁ此の街で二番目の賭博場の経営者が、自分の見世を荒らした博打打ちと勝負すると言うので有れば、公爵以上に勝負の仕切りの出来る人物は居ないと言うのは想像に難く無いし、ある意味で当然の事と言える。
「巫山戯んな!」
「勝ちは勝ちだろ!」
「お前に公正さは無いのか!」
「ちくわ大明神!」
「革命だ! 革命!」
「誰だ今の?」
とは言え、そんな人物が口にした言葉は早い話が『自分が大損をするから認めない』と言う様な意味合いなのだから、観客達からは当たり前に汚らしい野次が飛ぶ。
「……とは言え、其れを押し通そうとすれば当然こんな反応に成るわな。故に彼等の勝敗に付いての賭けは全て勝負不成立とし、賭金を其の儘全額返金すると言う対応を取らせて貰う。実際、二人が協力して宝玉を持ち帰る等と言うのは想定外の話だからの」
博打で想定外の結果と言えば前世の世界でも、競馬なんかでは二頭の馬が写真判定でも差が見分けられない場合に『同着』として処理すると言う事が極めて稀な事では有るが全く無いと言う訳では無いと聞いた覚えが有る。
その場合には同着と成った馬全てを該当する着順とみなして、全ての組み合わせで的中の処理をして払い戻しをする事に成るのだそうだが、其れが出来るのは競馬の運営元が莫大な資金を有しているからこその事だろう。
競馬に詳しかった前職の同僚の話に依れば、大きなレースで同着が発生すると運営元の利益なんか簡単に吹っ飛ぶらしい。
今回の俺達の勝負でどれだけの賭金が集まって居るのかは想像する事も出来ないが、世界一の賭博大国と謳われる国で、其処の支配者が主催する博打なのだから猪山藩の仕切りで行われる其れを軽く上回るのは想像に難く無い。
「だが勝者に与えられる報奨金に関しては無効とはせぬ、其処まですると我が人の功も推し量れぬ吝嗇だと言う事に成る故な。しかし双方を勝者として報奨金を出す以上は其々に金貨百万枚では無く折半して金貨五十万枚を下賜致す!」
玉猪竜の塔は満月の夜に成れば、毎回最初の状態に再設定されて此の世界に出現するのだから、やろうと思えば満月の度に宝玉を手に入れてくる事は可能な筈である。
そしてあの塔は今回俺がそうした様に外から様々な道具を持ち込む事も可能だが、碌な装備が無くとも実力さえ有れば塔内で手に入るらしい宝物だけでも、十分に攻略が可能な難易度なのだと言う。
最上階を守っていた金龍の金化の吐息も、対応する為の装備品はしっかりと塔の内部に隠されているそうなので、やろうと思えば塔が出現する度に宝玉を収穫する事も可能な筈である。
と成ると此の宝玉は効果・効能の程は別としても、金貨百万枚もの大枚を叩いて取り引きされる程の貴重品とも思えない。
いやまぁその効果的に世界中の王侯貴族の類から引きが有りそうな物では有るが、同様の効能が見込める素材や食材は世界中に相応に有る為、この宝玉だけが篦棒な値段と言う事も無い……筈だ。
金貨百万枚は火元国の通貨に換算すれば大凡三百三十三両で、前世の日本円ならば大体三千三百三十万円程の価値に成る。
だが火元国で同様の効果が見込める食材の一つで有り、その中でも最高級品として扱われる『京の都の雄鶏の肉』が一羽辺り千両程度取り引きされて居るらしい事を考えると、金貨百万枚と言う値付けはもしかして妥当なんだろうか?
前世の世界の日本では妊娠した女性が他の男と結婚して前の男の子供を育てさせる『托卵』と呼ばれる行為は、近年発達した遺伝子鑑定等の技術が一般化されるまで割と問題とはされていなかった。
此れはどんなに似てない子供が生まれたとしても、母親が白を切り通せば証拠が無い以上は『隔世遺伝』と言う言葉で納得せざるを得なかったと言う事情も有る。
が、其れと同じ位に日本と言う国では『子供は共同体の子供』と言う意識が強い時代が長かったと言う事も有るだろう。
現代の日本人的価値観では想像する事も難しいが、戦前……百年も経って居ない程度の昔の田舎では、寡婦と成ってしまった女性は共同体で共有する『嫁』とでも言う様な扱いが当たり前だったりしたと言う。
所謂『夜這い』と言う風習だが、此れは女性側に拒否権が無いと言う訳では無く、当然気に入らない男が言い寄って来た場合には其れを袖にする事も許されて居た。
要するに風俗営業の類が無い田舎で角を立てる事無く、嫁さんが身重の間に性欲を発散する事が出来る相手として扱われて居たと言う事でも有る。
そうした立場を引き受ける代わりに、当人の生活や子供が出来た場合にも『共同体で面倒を見る』と言うのが社会的常識だったのだ。
ちなみに戦争直後の頃には戦死した男の後家さんなんかを、地元の金持ちが妾にする事でその子供諸共に保護した……なんて事は割と色んな所で有った話らしい。
対して血筋を大切にしそうな高い地位を持っていた者達も、本邦では血筋よりも御家を大事にする価値観の時代が続いた所為か、直系の子が居なければ養子を取ってでも御家を継ぐ事こそが大事とされて居た。
其の為、家さえ継ぐ事が出来るならば、必ずしも実の子で無ければ成らないと言う家が多かったと言う。
前世の日本で直系男子に特に重きを置いて居たのは本当に極々一部の貴き血筋の家系位の物だった筈だ。
……まぁ戦後でも『嫁いびり』の一つとして『男産め』と言う物が有ったと言うが、其れが行われたと言う案件の大半は継ぐ様な土地や財産も禄に無いサラリーマン家庭だったと聞いた事が有る。
要するに高貴な血筋を真似て、息子が選んだ女性を腐したい姑の意地悪以上の何物でも無いと言う事だ。
対して此方の世界では『初祝』と呼ばれる儀式で、神々と世界樹の権能に依って、子供の血縁が正確に解る為に托卵案件は殆ど発生しない。
敢えて『殆ど』と言ったのは全く無いと言う訳では無く、初祝の際に浮気がバレて刃傷沙汰に発展する事案が世界を見渡して見れば其れ相応に発生して居るからである。
兎角、此の世界は前世の世界の日本よりも血筋をハッキリさせる事が出来る為に、御家存続と血統の維持の両立が可也大事にされて居る訳で、其の為に下半身に効く類の効能が有る物は大体の物が割と高値で取り引きされて居るのだ。
……ちなみに火元国で割とよく手に入る其の手の物の中で、比較的お安い物の一つである『赤蝮三太夫』と言う妖怪の肝は一服分で一両が相場である、其れと比べれば三百三十三両は十分高値と言えるだろう、
まぁ入手難易度の差とかを考えると色々と面倒な計算が必要に成るんだろうが、相場なんて物は結局の所は欲しい者が『出しても良い』と思う額面と売る者が『此の値段ならば売っても良い』と言う額面を比べ、其れの数を積み上げる事で作られる物だ。
なので此方の相場を知らない俺がどんだけ考えても正解に辿り着く事は無い。
「我が公爵家には息子が既に居るが孫は未だだからな。宝玉は同様の効果を持つ他の食材の類と違って腐る事は無い故に幾らでも欲しい品だからな。帝国の王侯貴族達も跡継ぎを得る為の保険として欲しがる品だ。此の値付けでも決して損では無いわ」
成程、同系統の食材や霊薬は生物故に、長期保存に難が有るが宝玉は腐らずにどうしても必要な時に備えて保存しておけるのか。
しかも南方大陸の王侯貴族からも引きが有ると言うならば、金貨百万枚と言うのは投資としても十分な額面なのだろう。
だが逆に其々に百万枚を出さず折半としたと言う事は、投資としての価値は金貨二百万枚には届かないと言う事なのだと思われる。
「此の状況で賞金が折半には異論は無いわ。後は私と男爵様が稼いだ駒の多少で勝負が決まると言うだけの事、其れに……息子に賭けた分は戻って来る訳ですしね」
「儂も其れで構いませぬ。娘に賭けた駒が戻ってくる上に報奨金が折半だと言うならば、後は博打打ちとして何方が上だったかと言うだけの事。後は双方の駒の数を集計するだけですな、公爵閣下」
俺達の勝負の行方は決まったが、母上達の勝負結果は此れから行われる駒の集計次第らしい、二人の間に飛び散る火花を幻視しながら、俺は小さく息を吐いて気を抜いたのだった。




