千九十二 志七郎、街へと帰還し息子を思いやる事
ニューマカロニア公国の市街地へと入った俺達は一旦分かれて、其々着替えた後に勝負の会場と成っている賭博場で合流する事にした。
その間、宝玉は万が一にも誰かに奪われたりしない様に、純粋な戦闘能力で優位に有る此方が預かる事に成ったが、俺が抜け駆けをしないとストリケッティ嬢に信頼されて居る様で少しだけ嬉しく成る。
……と、いかんいかん、彼女は既に心に決めた人が居ると言う話だし、俺には許嫁のお連が居るんだから不貞の類は駄目絶対! だ。
とは言え此方の世界では必ずしも一夫一婦だけが正義と言う訳では無く、信三郎兄上や武光の様に複数の女性を侍らかせても、彼女達とその子供達を自力で養う事が出来るならば甲斐性の内とされて居る。
なので将来ストリケッティ嬢の様な俺の好みに合致する女性と再び相見える事が有って、その女性に相手と成る男性が居なかったならば、遠慮無く口説けば良いんだ。
女誑しの類に成る積りは毛頭無いが、色を解禁した後の仁一郎兄上の女郎屋通いや、信三郎兄上が毎晩ギシアン煩い為に態々離れを建てさせた事を考えるに、猪河家の男は割と性的欲求が強い傾向に有ると思われる。
今は未だ身体が幼い事と息子さんの元気が無い事で、そうした欲求が前世の俺と比べても薄いと言えるが、御子息様が復活した暁にはお連だけで受け止めきれるかどうか定かでは無いからな!
右手が恋人だった前世と比べたら、確実に呪われた装備を捨てる事が出来ると保証が有る今生はきっと幸せなのだろう。
そんな事を考えながら俺は宿泊して居る宿屋へと戻る。
未だ日が登り初めて然程も経っていない時間で有るが故に、宿屋の広間に灯りは入って居なかったが、流石は前世の世界の基準で考えても高級に区分されるであろう宿屋だけ有って、此の時間でもしっかりと職員さん達が働いている姿が有った。
「お帰りなさいませミスター。御一同の皆様は今日も元気にお目覚めで武術の稽古をなさって居ますよ。ミスターも其方に合流なさいますか?」
火元国の武士ならば、余程の事が無い限り日の出よりも早くに布団を出て、早朝稽古に挑むのが普通である。
その辺は西方大陸に来てからも何ら変わりは無く、ワイズマンシティに居る時にはお花さんの門弟達と共に汗を流すのが日常だった。
そして今回の遠征に置いても其れは変わる事は無く、宿屋の一角に有る運動場らしき場所を借りて毎朝稽古に励んで居るのである。
「いや、俺は未だ用事が済んで居ない、一寸着替えの為に戻っただけだ。気遣い有難う」
俺の姿を見つけ出迎えの挨拶をしてくれたのは、此の宿屋のコンシェルジュだと言う男性で、当然昨夜から続く催し物の事も知っている筈だ。
其れでも敢えて稽古に合流するか? と尋ねたのは、迷宮探検競技の勝ち負けに『自分は金銭を賭けて居ませんよ』と言外に発する事で、俺の目的の邪魔はしないと宣言した訳である。
「畏まりました、では御部屋までご案内致します。普段通る通路とは違う場所を行きますので、逸れない様にご注意下さいませ」
なにせ此の街は博打と興行が主な収入源の観光都市で、此処はその中でも最高級の宿屋、其処のコンシェルジュとも成れば此の街で行われている催し物がどの様な結果に終わったのか全て把握していても不思議は無い。
と成れば未だ母上と男爵の勝負は続いて居て、俺とストリケッティ嬢の帰還を待って決着と成る事位は当然の様に知っている筈だ。
母上と男爵との博打勝負の行方は博打の街で有る此の街では、当たり前に賭けの対象とされており、会場で見物して居る者以外にも賭け札を握って居る者は多数居るだろう。
何なら今頃客室で寝ているであろう一般客が、男爵の勝ちに大枚を賭けて居ても何ら不思議は無い。
彼はそうした者達が俺の邪魔をする事も無い様に手配する……とそう言っている訳だ。
「……忝ない」
一言端的に重ねて礼を言った俺は、彼に続いて従業員通路を通って宿泊して居る客室へと向かうのだった。
此方で買ったデニム地の洋袴を穿き、白い襯衣の上には洋袴と同じ色合いの上着を羽織る。
ジーパンとジージャンを組み合わせた『デニム・オン・デニム』は着こなしが難しく、下手な者がやるとのっぺりとした子供っぽい印象を与えやすい服装だが、今の俺は未だ文字通りの子供なのだから気にする必要は無いだろう。
刀は洋袴の腰に通す革帯では無く、外側に巻く銃帯の方に佩く、胸銃嚢の方は当然ジージャンの下に入れ外からは見えない様に身に着ける。
一応念の為、客室に備え付けて有る大きな姿見で自身の姿を確認するが……ジーンズ上下に刀と銃を挿した装いは少々厨二病臭い気もするが、黒いデニムでは無い分マシだと思って置こう。
時間が許すならば一寸汗を流してから着替えたかったが……其処はまぁ仕方ないだろう。
なんせ父上も母上も前職の諸先輩方が徹夜が辛いと言っていた歳頃は超えている。
享年三十五で終わった前世の俺は未だ其処までキツイ言う実感は無かったが、其れでも三十を超えた辺りから二十代の頃程に無理をしても一晩寝れば元気と言う訳では無かった覚えは有るのだ。
学生時代や交番勤務時代に友人達と徹夜麻雀をして遊んだりした事は有るが、それとて『一時の娯楽に供する物を賭ける』程度の事で真剣勝負と言う訳では無かった。
対して今母上達が行って居るのは、前世の世界で暴力団が経営して居る裏賭博の一つだった『マンション麻雀』等と呼ばれた高賭率麻雀が可愛く見える程の高賭率の麻雀だ、一局打つ毎に掛かる精神的負担は相当な物だろう。
……正直な話、母上の事は心配して居ない、博打大好きの彼女ならば勝つにせよ負けるにせよ楽しんで居る筈だ。
ただ問題は一緒に卓を囲んでいる父上の方である、幕府公認の賭場を開陳して居る我が猪山藩の藩主で、あの母上の夫なのだから相応に打てる筈では有るが、武芸の腕前は兎も角そっちの強さまで俺は知らないのである。
母上一人に七人も子供を産ませた上で、他所に女を作ろうとして母上に折檻された事が有るらしいから、下半身の強さは折り紙付きなんだろうけどな!
猪山藩基準では身体が弱いとされて居た御祖父様でも、父上と言う男児が産まれるまで御祖母様相手に頑張った事を考えると、猪河家の男は全般的に下の方も割と強い家系なんだろうか?
『英雄色を好む』と言う言葉が示す通り、武力や権力に財力と言った何らかの『力』を持つ者が複数の女性を侍らせるのは、命が安い此の世界では割と自然な事なのだとは思うが、一朗翁の様に妻以外の者に全く興味を示さない男が居るのもまた事実。
翁にも大分薄いとは言え猪河家の血は入って居るらしいが、彼の性的な淡白さはどちらかと言えば、長命種族故に余り繁殖欲が強くは無いと言う森人の血筋の影響が大きそうだ。
……兎も角、猪河家の性欲旺盛な血筋を引いているにも拘わらず、俺の息子さんは本来持つであろう生理学的反応すら示さない。
実際に見た事が有る訳では無いが、ノートPCに入っている大規模百科事典に依ると、生まれて然程も経たない赤ん坊の男児でも刺激を受けると息子さんはしっかり勃つらしいので、其れすら無い今の俺の身体はある意味で不健康だと言う事だ。
智香子姉上の見立てでは、息子さんを強化する様な性質の有る食材や宝物を成長過程で取り入れる事が出来れば、回復する見込みは十分有ると言う話だったが……今手元に有る玉猪竜の塔の宝玉を使えば効果は有るだろうか?
……いや、駄目だ駄目だ! 此れは飽く迄も今回の迷宮探検競技で手に入れた物で、俺個人が勝手にどうこうして良い品じゃぁ無い。
けれども効果が見込めるのであれば、その内に改めて取りに行くのも良いだろう。
一時の気の迷いを払い、俺はジーパンの衣嚢に宝玉を入れると、部屋を出て勝負の会場へと足を向けるのだった。




