千九十一 志七郎、朝焼けに照らされ見栄を張る事
金色に輝く巨大な金精大明神の先端からドピュッと言う汚い擬音が聞こえそうな勢いで放たれた、金色と白色が混ざった様な光に包まれた俺達は、一瞬の浮遊感の後しっかりとした足場へと着地した。
周りを見渡して見れば一面に広がるのは無毛の砂漠で、その中にポツンと巨大な建造物の土台だけが有ると言う様な場所だった。
「此処は……玉猪竜の塔の土台か?」
満月の夜に砂嵐の壁を越えて来た者だけが入る事の出来ると言う玉猪竜の塔は、その試練を越えて来た者の前に姿を表すと言う話だったが、どうやら条件を満たして居ない時にはこうして土台だけが現世に有る状態に成るらしい。
「塔の中で命を落とした場合には、塔へと入る前の状態で此処に出るとは聞いて居たが、踏破した場合には其の儘の状態で此処に出るのか……」
俺と同じく此の場所へと放り出されたストリケッティ嬢は、自身の姿を見下ろしてから溜め息混じりにそう言った。
彼女が身に纏って居るのは塔の中で俺が貸した着物と袴にボロボロの鞘に収まった短剣四本だけで、塔へと入る前に装備して居た恐らくは相応に良い値段がしたであろう防具は全滅した儘だったのだ。
ストリケッティ嬢が着ていた鎧は革鎧の類だったが、男爵家の子女で有り腕の立つ斥候で、騎士魔法の使い手とも成れば、普通の牛革で作った鎧と言う事は無いだろう。
と成れば相応に格の高い魔物の皮を素材にした物だったに違いない。
火元国では初陣の際に家族が誂えた物を用いた後は、自分で手に入れた素材を使って武具を拵えるのが武士や鬼切り者の間では暗黙の了解と成っているが、外つ国の冒険者にはそうした縛りは無く、普通に素材や装備その物を買ったりする事も多いと言う。
とは言え、柄なんかを交換する事で割と簡単に調整が効く武器とは違い、防具……特に鎧は一品一品受注生産で使用者の体型に合わせて作るのが普通で、余程体格の似通った者で無ければ調整をしたとしても使い回すのは難しい。
勿論、多少の差異は『身体の方を慣らせ』と言う事で中古品を使う者が居ない訳では無いが、そう言うのは自分の為の鎧を仕立てる事も難しい貧民階級で、尚且つ稼ぎも大した事の無い初心者冒険者位の者で、ある程度以上に成れば受注生産品を身に着ける様に成る。
中には古代遺跡からの発掘品や、先祖伝来の銘が有る防具なんて物を身に着けて居る高位の冒険者なんて者も居るが、そうした希少品を実用して居る者なんてのはソレこそ世界でも上から数えた方が早い様な者達位だろう。
発掘品の中には今現在の技術では再現出来ない古代精霊文明期の遺産なんて物も有るのだが、ソレは錬玉術の発展と進化に依って少しずつでは有るが代替品が無い状態からは脱却して来ていると言う。
例えば玉猪竜の塔を攻略する上で本来ならば絶対に必要に成ると言う『水中呼吸の首飾り』は、一昔前ならば一本で金貨三千枚を越えるお宝だったが、今ならば一人前を自称する錬玉術師ならば作れない品では無いのだ。
当然、智香子姉上も作ろうと思えば作れない品では無いが、俺が普段使いにして居る装飾品は既に上限である五つの枠を使い切って居る為、必要ならば使い切りの霊薬である『空気の飴玉』で代用すると言う選択を取って居る訳である。
とは言え空気の飴玉も実の所、此方の大陸へと渡る最中に万が一船が沈没した場合に備えて……と言う理由で渡された物で、普段ならば普通に水属性の精霊魔法である『水中呼吸』を使えば良いだけの話だった。
今回は精霊魔法の使用禁止と言う賭けの上での取り決めも有ったし、更に言えば玉猪竜の塔の中では金龍の持つ精霊力の影響で精霊魔法は使えなかったらしいので、飴玉と言う手札を切った訳だが……ソレが多分一番良い結果に繋がったのだから良しとしよう。
「と言うか、此処からでもニューマカロニアの街が見えるんですねぇ。来る時には可也の距離を移動して来たと思ったんですが……」
既に月は地平の彼方へと落ちかけ東の空が微かに青みを帯びた時間帯に成っても、ニューマカロニアの街は無数の篝火と光属性の精霊魔法に依る物と思しき灯りが、氣で強化していない視界でもハッキリと見えて居る。
「多分、あの砂嵐の壁の中も空間が歪んでて実際の距離よりも長く歩かされたんじゃないかな? 本当に次に行く時を考えるとアレはもう勘弁して欲しいんだけれどもね」
砂漠の真ん中に有るオアシスの国で有るニューマカロニア公国で生まれ育った彼女も、砂嵐に慣れていると言う訳では無い様で、心底嫌そうにそう言って再び溜め息を吐く。
「……確かにアレは魔法の砂嵐だったんでしょうね。今思い返して見ればアレだけ酷い砂嵐を突っ切って来た割に、塔の前に着いた時には言う程砂塗れって訳でも無かったですしねぇ」
普通ならば砂嵐を抜けて来れば、服も鎧も髪の毛やその他身体に有る穴という穴全てが砂に塗れて、水浴びの一つでもしなけりゃ可也不快な状態に成っていた筈なのだが、塔に入った時点ではそんな状態では無かった筈だ。
「成程、確かにアレだけの砂嵐に入れば幾ら鼻や口を布で覆って居ても、全く砂が入らないなんて事は無い筈だが……確かに砂が髪に絡んだりしていなかったな!」
ストリケッティ嬢は背中まで有る長い髪で、短髪に切り揃えた俺に比べたら、間違い無く砂が髪に絡み易く砂塗れに成れば、此方以上にジャリジャリで酷い事に成るだろう。
そんな状態に成らなかったと言う事は、あの砂嵐で舞っていた砂の大半は此の砂漠に満ちた砂では無く、玉猪竜の塔を隠す為に張られた砂嵐の魔法で生み出された物だった訳だ。
砂の属性は毒と並んで状態異常を引き起こす魔法が多いが、砂嵐は効果範囲内の者全てに対して別け隔て無く『盲目』の状態異常を与える魔法である。
此の魔法の厄介な所は一般的な状態異常の様に抵抗に成功すれば無効と言う様な物では無く、効果範囲の者全てに強制的に効果を発揮すると言う性質が有る魔法だ。
ソレは正確に言うならば砂嵐が状態異常を押し付ける魔法では無く、魔法で産み出した砂粒を舞わせる事で視界を塞ぐ魔法だからである。
視線が通らない以上は如何に優れた目を持って居る者でも、例え氣に依る強化が行われたとしても砂嵐を見通す事は不可能なのだ。
ちなみに砂漠で普通に起こる砂嵐も氣に依る強化で向こう側を見通す事は出来ない筈である。
違いが有るとすれば砂嵐の魔法は、飽く迄も疑似的に産み出した魔法の砂が舞うだけの物で有り、効果範囲外に出たり効果時間が過ぎれば綺麗サッパリ無くなると言う事だろう。
「兎にも角にも帰りはあの砂嵐に悩まされずに済みそうで良かった」
と、そんな話をして居る内にも、東の空から朝日が顔を覗かせ始める。
事前に聞いて居た話では、俺達が戻るまで母上達は只管麻雀を打ち続ける、所謂徹夜麻雀で勝負を続けている筈だ。
俺達の勝負は飽く迄も引き分けとした以上、勝負は母上と男爵の雀力の差で決まると言う事に成る訳だが、麻雀と言う物は雀力だけで無く運もまた大事な要素で有り、余程の実力差が無ければ一方的な勝負とはそうそう成らないだろう。
と成れば俺達が戻った拍子次第で勝ち負けが左右される可能性は零では無い。
「取り敢えず街に戻りましょう。そして私は一度屋敷に戻って着替えてから会場へ戻ります。ああ、お借りしたこの着物は我が家の侍女に頼んで洗濯してからお返し致します。家には火元国に通じた者が居ますので着物の洗濯も安心してお任せ下さい」
……良い着物は洋服の様に丸洗いするのではなく、一度縫い目を解いてバラバラにしてから洗う物なのだが、恐らく彼女はその事を言っているのだろう。
火元国は綿花の作付け面積の問題なのか、其れ共ソレを加工する為の技術の問題なのか、布類が割と高い為に一度仕立てた着物でも、バラして縫い直せば反物と着物を行ったり来たりさせる事が出来る様に作られている。
其の為に余った部分を見えない様に折り込んだりして繕うのだが、そうした部分に汚れが溜まり易いのだ。
「いえ、男物の反物で失礼ですが、其の儘差し上げますよ。ソレも普通に一反の布から出来て居る着物なので、仕立て直せば貴女でも着れる着物になりますし、何なら仕舞っておいて御子息に恵まれたならその子に差し上げても良いですしね」
……幾ら綺麗に洗ったと言っても女性が着た衣類に野郎が袖を通すのは、少々配慮に欠ける行為だろう。
そう判断した俺は精一杯の見栄を張ってそう言い放つのだった。




