千八十七 志七郎、挨拶を交わし必殺を交わす事
俺の挑発とも取れる言葉に仮称:金色女は顔色を変える事も無く巨大な玉座の上から立ち上がる。
その身の丈は以前戦った山姥よりは可也小さいが、ソレでも巨人と呼んで差し支え無い程に大きく、目算でしか無いが凡そ二十六尺と半分と言った所だろうか?
そんな巨体が立ち上がっても天井まで未だ少し余裕が有るのだから、此の階層は完全に彼女と戦う為に作られた場所だと言う事なのだろう。
「ドーモ。冒険者=サン。ゴールドドラゴンです」
右の拳を左の掌で包み込む様に合わせ頭を下げるその姿は、前世に功夫映画なんかで見た事の有る抱拳礼と言う奴だ、そんな姿勢で俺達を見下ろしながら金龍と彼女はそう名乗った。
此の世界では知恵を持たない竜種は魔物として多数存在するが、知恵を持つ霊獣である古龍は世界に四体しか存在して居ないとされて居る。
その四体も『火龍』『水龍』『風龍』『土龍』と四属性に対応する物が、其々世界の四方に点在しておりその内の一体である『火龍』こそが火元国に住まう『嶄龍帝 焔烙』なのだ。
他の三体と契約して居る精霊魔法使いは今現在は居ないが、過去にはお花さん以外にも古龍と契約した者は歴史上に何人か存在して居り、其れ等の四体はしっかりと所在が確認されて居るのである。
今俺達の眼の前に居る金龍と名乗った巨大な女性は、よくよくみれば金色の髪の隙間から突き出した角と、局部を隠す金色の鱗に立ち上がった事で露わに成った尻尾は、確かに竜や龍を思わせる物と言えるだろう。
そして何よりも間違い無く此方の言葉に対して彼女は、しっかりと知恵を持って会話をして居た。
と成れば巨大な獣に過ぎない竜では無く、彼女は間違い無く龍なのだろう。
「……遠くの者は音に聞け! 近くの者は目にも見よ! やぁやぁ、我こそは火元国が一の雄藩、猪山藩が藩主猪河四十郎が七子、猪河志七郎なるぞ! ゴールドドラゴンよ! いざ勝負也!」
知恵有る種族同士の闘いでは、得物を交える前に互いに名乗り挨拶を交わすのが礼儀とされて居る、此れは火元国だけで無く外つ国でも通じる世界樹に刻まれた天網にも定められた礼法で、異界から攻め寄せる魔物達ですら此れを尊重して居ると言う。
挨拶の前に不意打ちを仕掛ける事も認められて居るし、その時点で勝負が付いて仕舞ったならば挨拶を交わす必要も無くなるが、凌がれたならば一度手を止めて改めて名乗るのが通例だ。
対して今回は互いに顔を合わせて会話までした以上、互いに名乗ってから闘うのは当然の事なのである。
「我が名はストリケッティ! 南方大陸帝国が一翼ニューマカロニア公国のファルファッレ男爵家の長女である! 貴殿が知恵有る龍だと言うならば生物としての階梯が違う故、二人がかりを卑怯とは言うまいな?」
正々堂々の尋常な勝負と言うならば、一対一で闘るのが当然だし、此の塔は基本的に一人で攻略するのが常識だと言うのであれば、一人で彼女を倒すのが此処を踏破するのに必要な条件と言う事になるだろう。
「無論! そも神の下僕に過ぎぬ矮小な生き物が我と対等に闘える筈も無い! 一人で来た時よりも一寸手加減を軽くするだけの話でしかないわ!」
金龍はそう言うと、巨大な……舐瓜や西瓜なんかと比較する事も出来ない、ソレこそ片方に人が一人入りそうな程の大きさが有る母性の象徴を突き出して大きく息を吸い込んだ。
奴が本当に古龍なのか其れ共、此処まで登ってくる最中に散々戦った他の魔物もどき同様に、作り物の類なのかの判別はつかないが仮にも龍種を自称する存在があの体勢に入ったと言う事は次に来る攻撃は想像付く……吐息だ。
「ストリケッティ殿、俺の後ろに! 此方を盾にして下さい!」
竜や龍以外にも吐息を戦闘に使う魔物は多数存在して居るが、他の魔物と竜や龍の吐息には大きな違いが有る。
他の魔物の吐息も相応に危険な攻撃では有るが、竜や龍の其れは文字通り格が違う。
吐息を使う者の中には竜に近い大型の猿である『氷牙猩』と言う魔物が居るが、奴の放つ氷吐息はせいぜい一徒党を包む程度の範囲でしか無い。
対して竜や龍の其れは一軍を一撃で包み込む程の攻撃範囲を誇り、当然ながら威力もソレに比例して大きくなる。
その差は竜と龍では更に差が有ると言われているが、その原因となるのは奴等が圧倒的な生命力を持つが故と言われているが、火元国を旅立つ前に戦った黒竜を思い出せば、恐らくその説が間違って居ないのだと理解出来た。
なにせ江戸に居た多数の武士が寄って集って叩いて尚も殆ど被害らしい被害を与える事が出来ず、俺が放った酒の投槍で酔わせる事で動きを鈍くし、義二郎兄上が直接脳に電撃を叩き込む事でようやっと倒すに至った訳だしな。
そしてあの戦いを思い出せば、如何に良い防具を纏い氣を巡らせた所で、竜を越える龍の吐息をまともに受けて立っていられる訳が無いのも理解出来る。
ではどうすれば良いのか? 答えは一つ……俺は鎧の機構を作動させ即座に褌一丁の姿に成ると流水爆氣功を身に纏い、裸身丸の要領で身体の前に乱氣流の壁を作り出す。
直後に吹き荒れたのは金色に輝く砂の混ざった吐息……恐らくは砂属性の吐息だろう。
砂の属性は毒属性と並んで他者に不利な状態異常を押し付ける事に特化した属性だ。
氣に依る遮断壁を展開せず、防御力や抵抗力を上げるだけで対応しようとして居たならば、大きな被害を受けずに済んだとしても、どんな状態異常を起こして居たか解った物では無い。
砂属性の状態変化魔法の代表的な物として『眠りの砂』や『石化の砂』なんかが有るが、先程の『砂金の吐息』とでも言うべき物を食らったら金の彫像に変えられて一撃で終了なんて事が有っても奇怪しな話とは言い切れないのだ。
「ほう、真銀の鎖帷子を用いずに我の吐息を防いだか! ……なんで脱いだのかは良く解らんが、兎に角凄く良い敵なのは理解したぞ! さぁ、我に生きている事を実感させてくれ!」
どうやら此処まで登って来た冒険者でも、道中で真銀の鎖帷子を手に入れて居なかったり、持ち込んだ装備の方が慣れていると、ソレを装備しなかった者は今の吐息一発で戦闘不能に成るのが基本だったようである。
しかし俺はその正道を外しても尚、吐息を防ぎ切った事で奴は喜色の混ざった声でそう言った。
「シッ!」
とは言え戦闘中に言葉を発するのは大きな隙で、ソレを見逃す程に俺もストリケッティ嬢も甘くは無い。
俺を盾にして吐息を凌いだ彼女は、即座に四本の短剣を正中線に沿った人体急所四箇所へと投擲する。
体格の差を考えれば、彼女の短剣では蟻が獅子に噛み付く程度の被害にしか成らないかも知れない、ソレでも攻撃する事自体に意義がある筈だ。
実際、鱗に覆われた下腹部に当たった物は弾かれたが、眉間、喉、胸を狙った物はしっかりと刺さって居る。
「痛! 痛た!?」
人間が蟻に噛まれても毒が無けりゃ大した痛痒を感じる事も無いが、少なくとも奴に対してストリケッティ嬢の短剣は、人間が画鋲を踏んだ程度には痛いらしく、刺さっている短剣を慌てて払い落とすが刺さった痕からは僅かながら血が流れている事が確認出来た。
どうやら鱗に覆われて居ない部分の防御力は然程高い物では無いらしい。
そうと解れば俺がやる事は一つだ、氣を全開にして飛びかかって一気に首級を取る!
流水爆気功状態で本気で踏み込めば、一歩目で音の壁を越える!
本来ならば周辺に激しい衝撃波を巻き起こす其れも、水錬業で学んだ自然に溶け込む氣の運用を用いれば、多少の風を起こす程度まで軽減出来るのだ!
空中で体勢を整え氣で足場を作り二歩目で更に間合いを詰め、三歩目に至る前に刀に流し込んだ氣で斬撃を延長する事で首を薙ぐ!
御祖父様の使う魔王咆哮剣には全然至らぬが、其れでも今の俺に繰り出せる最強にして最高の一撃だったと断言出来る!
奴の横を過ぎ去って大きすぎる玉座へと着地した直後、金龍の巨体は轟音を立てて倒れ込んだのだった。




