千八十四 志七郎、死の苦しみを味わい婚活を考える事
「ぐぁ!?」
「っく!?」
不意に喉へと突き刺さる『何か』……痛いでは無く熱い、前世に命を落とした時もそうだったが、痛みと言う物は有る一定の境界線を越えると『痛い』では無く『熱い』と感じる物らしい。
恐らく今感じているソレは、ストリケッティ嬢が放った短剣が奴を貫いた『痛み』そのものを此方へと押し付けた物なのだろう。
奴が受けた一撃は普通の人間だったならば、即死には至らずとも放って置けば確実に命を落とす程度の深手だったのは間違い無い。
ソレをそっくりそのまま此方に押し付ける様な事をされたならば、俺もストリケッティ嬢も遠からず命を落として終了だっただろう。
たがそう成っていないと言う事は、受けた被害は実際に肉体を傷付ける様な物では無く、飽く迄も痛みと言う『感覚』だけを押し付けて居る物だと言う事だ。
多分、俺が前世に一度死に至る程の傷を受けた経験が無ければ、この痛み一つで休克死していた可能性も十分有る……其れ程の熱さを感じたのである。
そんな強烈な痛むを受けてもうめき声一つで済ませる事が出来たのは、何故か俺だけではなかった。
「シッ! はぁぁぁあああ!」
寧ろ俺よりも彼女……ストリケッティ嬢の方が圧倒的に早く体勢を立て直すと、躊躇する事も無く腰に残った三本の短剣を投擲すると共に、魔物女の元へと駆け寄ると床に落ちた短剣を拾い心臓辺りを目掛けて振り下ろす。
投げ付けられた三本の短剣は奴の眉間と水下に下腹部と、正中線上に有る急所を狙い誤る事無く突き刺さり、更に手に持ったソレを肋骨の隙間を通して心臓を狙ったと思しき角度で突き入れた。
普段の鬼切りは勿論、此の塔に入ってからの戦闘でも、確実に命を奪う為に斬鉄を込めた刀で首を刎ねる様な一撃を繰り返して来た俺が言うのもなんだが……ストリケッティ嬢も殺意高すぎだろ。
しかしソレでも奴は直ちに倒れる事は無く、投擲で刺さった短剣は先程の様に抜けて床へと落ち、心臓を抉った筈の短剣もソレを握るストリケッティ嬢の腕毎押し返す。
「……メギンドセセゾ」
とは言えそれで奴が無傷に成ったと言う事では無い様で、先程と同じ呪言を唱えたその口の端からは鮮血が溢れ出して居た。
……来ると解っていれば備える事が出来るのが人間と言う生き物だ、俺は歯を食い縛り身体の中を巡る氣を存在して居るかどうかも解らない『鈍感力』なるものに全振りして耐える体勢に入った。
直後に襲い来る眉間、喉、心臓、水下、膀胱の何処を貫かれても命は無いだろう急所五箇所を撃ち抜く凶悪な熱。
一度に一気に襲い掛かってくるソレは声を出す事すら出来ぬ程の痛烈な物で、先程の様に不意打ちで食らって居たら運良く休克死を免れたとしても、確実に意識が持っていかれただろう。
けれども氣で鈍感力を強化したお陰か、其れ共単純に歯を食い縛り覚悟を決めて居た結果か、俺は倒れる事無くその衝撃に耐えきった。
「しぃぃぃいいい!」
そしてそんな反撃等無かったかの様に、ストリケッティ嬢は気合の声を上げながら、一度弾かれた短剣を再び今度はより確実に殺すと言わんばかりの形相で、腰溜めに構えて『往生せいや!』と言わんばかりの勢いで身体毎突き刺しに掛かる。
……氣で強化した俺ですら耐える事しか出来なかったと言うのに、あんな痛みを受けて尚も攻撃を続行出来るその根性は本気で尊敬に値するな。
同時にこのままでは俺の良い所無しで此の戦闘が終わって仕舞う、ソレは男として少々情けなさ過ぎやしないか?
そんな思いに突き動かされ、俺はストリケッティ嬢を巻き込まない様に横へと回り込むと、奴を唐竹割りに一刀両断にした。
奴が生物ならば此処までされて未だ生きていると言う事は有り得ないが、異世界から自分より強い男を求めて婚活に来る女鬼達は通称『婚活結界』等と呼ばれる物を纏って居り、どんな強力な攻撃を受けたとしても即死する事は無いと言う。
恐らくは目の前に居る此の魔物もどきの挙動は、その婚活結界を模倣した物なのでは無いだろうか?
と成ると倒す為には、結界の強度を使い果たし倒れた後に、しっかりと『止め』を刺す必要が有るらしい。
……婚活結界を纏う女鬼は、結界を破界された時点で一度意識を失い、目覚めてからも戦闘意欲を取り戻す事は無く、自身を倒した男に操を捧げる事になるのが普通である。
信三郎兄上の所に居るお妾さんに聞いた話では有るが、婚活の為に界を渡る際に元々居た世界の神と契約を交わし、異性に敗北するまでは此の世界を攻める為の橋頭保作りをする義務を負う代わりに、魔物として完全に『堕ちた』存在に成らずに済むのだと言う。
『知恵』と『言葉』を持つ魔物は一部の統率種と呼ばれる様な種族を除けば、基本的には大鬼や大妖と呼ばれる群れの長とでも言うべき存在だけである。
けれどもその下に付いている雑魚鬼達は元の世界でも、知恵も言葉も無い愚かな生き物かと言えばそうではないらしい。
彼等は界渡りの条件である『七つに成らない子供』と言う縛りを潜り抜ける為に、一度知恵や言葉と言った物を捨てて魔物と言う知恵無き獣に成り下がっているのだそうだ。
対して大鬼や女鬼として此の世界に来る事が出来るのは、元の世界に置いても一定以上の能力を持った者が、元来の世界の神々と契約を交わす事で無理やり界と界の間に有る星の海を渡って来ると言う事らしい。
そうした神の子飼いとでも言うような強力な魔物でも、そのまま此の世界に来る事は難しいそうで、能力の一部を削り落としソレを妖刀や妖具と呼ばれる様な物に加工して、自身とは別に此の世界を侵略する手段として送り込むのが一般的なのだそうだ。
信三郎兄上の妾の一人である牡丹殿の話では、此方の世界に来てから元の世界に居た頃に比べて、得物である『岩を削って椅子型にした物に取っ手を付けた槌』とでも言うべき物が三割程度重く感じる様に成ったらしい。
婚活結界に守られた状態ですらソレなのだから、素の状態で此方の世界へと突入して来る大鬼や大妖と言うのはどれ位弱体化して居る物なのだろうか?
……と、大分話が逸れた、兎角目の前に居る仮称:呪言女の纏う婚活結界もどきが完全に破界されたかどうかを確かめるには奴に止めを刺すしか無い。
ちなみに女鬼への止めは全うな男がソレをしたと言う話は歴史上一度もく、明確にソレと記録が残っている例は同性に依る討伐と、男色家に依る討伐がそれぞれ一件ずつ過去に有ったのだそうだ。
倒した女鬼を娶る積りが無いならば、闘いを挑まないのが外つ国の冒険者も火元国の鬼切り者も共通した礼儀なのだが、ソレが鬼の砦を築き其処の首領だったりする場合は例外で、周囲に大きな被害が出る前に討伐しなければ成らないのである。
故に女性冒険者だけで鬼の砦を落とした『姫百合騎兵団』と言う徒党と、同様に鬼の砦を落とした男色家が集まった鬼切り者達の『鬼薔薇の園』と言う徒党の事は歴史書にも名が残っている程の珍事だと言う。
前者は同性故に娶る事が出来ず、後者は異性相手ではそもそも勃たない為に、御家の跡継ぎを儲ける事が出来ないと廃嫡された物達の群れだったので、当然娶る事等出来よう筈が無い。
それ故に婚活結界を破界した後に止めを刺せば女鬼も殺せるのだ、と後世に記録としても情報としても残る事に成ったのである。
ストリケッティ嬢の短剣に貫かれ、俺の刀で一刀両断された眼の前の魔物は流石に倒れ伏したが、直ぐにその傷が消えていく。
……婚活結界を破界し気を失った女鬼に止めを刺す為には、改めて首を切り落とすなり心臓を突き刺すなりしなければ成らないのだ。
俺とストリケッティ嬢は互いの顔を見合わせ一つ無言で首肯すると、此方は刀で首を、彼女は短剣で心臓を狙いしっかりと止めを指したのだった。




