千八十一 志七郎、歴史を学び宗教を思う事
「なんで今まで此の塔を攻略した連中は此処の書物の事を博物館や図書館、もっと言えば公爵家に報告してないんだ!」
取り扱い説明書を一通り読み、更に幾つかの書物を軽く流し読んだ時点でストリケッティ嬢は、嫁入り前の娘さんがしてはいけない表情で激情のままに気炎を揚げた。
「此処に有る書物を翻訳するだけで古代精霊文明期の謎が幾つも解けるんだぞ!? 此れは今迄の考古学会をひっくり返す宝の山だ! いや……だから、だからこそ誰も此処の事を言及しなかったとでも言うのか!?」
前世の日本では余り聞く事の無い話だったが、海外では某映画の様に考古学的知見から遺跡を調査し遺物を探索する者と、そうした遺物を闇市場で換金する事を目的とした遺跡荒しが争うと言うのは、そこそこの頻度で有る事件だと聞いた覚えが有る。
どうやら此の世界でもストリケッティ嬢の様に知的好奇心と学術的好奇心から冒険者の中でも遺跡荒らしと言う仕事を選ぶ者も居れば、単純に『高く売れる』から遺跡の遺物を狙う遺跡荒しに成る者も居ると言う事だろう。
そして考古学と言う学問は『当時の記録が明確に残っていない』からこそ成り立つ学問で、その時の一般的な学説を唱えた学者として権威を振るう者に取っては、新しい……より真実に近い学説とは違う資料の存在は都合が悪い物なのかも知れない。
事実、彼女が即興で翻訳し読んでくれた幾つかの書物には、俺が知っている此の世界の創世神話から先の、人に類する種族が明確に記録を残し始めるまでの間を補完しうる『歴史』と呼んで差し支え無いと思われる物が記されていた。
そう……歴史である、考古学と言うのは歴史と呼べる様な資料が無い『古い》時代の事を『考える』事で成立する『学問』なのだ。
其処に歴史と呼ぶに耐えうる資料が提示されてしまえば、ソレはもう考古学では無く歴史学に成ってしまうし、今迄一般的とされてきた学説がトンデモ学説に堕して仕舞う可能性は十分に有る。
とは言え俺が未だ前世の世界で生きて居た頃でも、歴史として正しいと思われていた事柄でも、後世の進歩した技術や学問で精査してしてみたら見解が変わるなんて事はザラに有った事だ。
解り易いのは俺が子供の頃には、教科書でも一般常識でも『聖徳太子』と呼ばれていた人物が、その名では無く『厩戸皇子』と言う名で教えられる様に成ったと言う物だろう。
何故違う名前で教えられる様に成ったのかを少し調べた事が有るのだが、聖徳太子と言うのは後世での脚色が入った伝説上の人物で、歴史上に存在した厩戸皇子とは分けて考えるべき……と言う風に学会の主要学説が変わったからだそうだ。
それに加えて『歴史は勝者が紡ぐ物』と言う言葉の通り、正史とされる史書を編纂するのは常に勝者の側なので、ソレを記す者に取って不都合な真実と言う物は隠蔽されたり抹消されたりするのが普通である。
『勝てば官軍、負ければ賊軍』と言う言葉も同様で……と言うかより悪辣で、天皇の勅を受けた軍隊でも負けて仕舞えばその勅は偽勅だったとされて只の賊として始末されて終わるが、逆に偽勅だったとしても勝利してしまえばソレは真の勅だったと言い張れるのだ。
「俺としては歴史だろうと考古学だろうと、その時代を直接見た者以外にゃ真実が解らん事は一緒だともうんですけどねぇ」
歴史や考古学には浪漫が有ると言う事は否定しないし、寧ろそうした思いは俺にも無い訳では無い、実際『戦国時代』や『二次大戦』辺りの歴史を元にした『仮想戦記』なんかの歴史小説の類は嫌いじゃ無い……と言うか寧ろ好物だった。
故にそうした過去を発掘したり考察したりする事に価値が無いとは全く思わない、けれども歴史的な事実が権力者に取って都合の悪い真実だったりすれば、ソレが隠蔽されるのも仕方ないとも思っている。
有名所の戦国武将の中でも織田信長や豊臣秀吉が悪辣な人物として描かれたり、逆に英傑中の英傑として描かれるのは、前者の姿が徳川幕府に取って都合が良く、後者の姿が倒幕の末出来上がった明治政府に都合が良かったからだろう。
極東亜細亜諸国が二次大戦以降の日本を『永遠の悪』として語るのも、その国の政府に取って都合が良いからに過ぎない。
「もしかしたら此処に有る書物の中にニューマカロニア公爵家に取って都合の悪い事が含まれているのかも知れないですし、場合に依っては更にその上……つまりは南方大陸帝国の正当性を否定する様な事が書かれている物が有る可能性もありますしね」
敢えて口にはしなかったが帝国よりも更にもっと上……即ち世界樹の神々に取って都合の悪い事が書かれた書物や巻物がこの中に無いとも限らないだろう。
古今東西宗教と言う物は多くの人々に安寧と平穏な生活を齎したが、同時に無数の戦乱と虐殺の原因にも成った功罪有る存在だ。
人間と言う生き物は自分が『正義』だと確信し、相手が『悪』だと断言出来る状況では、どんな悪辣な手段や非道な行為でも『正義の為』と思って行う事が出来ると言う。
古来より信仰と言う物はそうした『正義』を定義する為に用いられて来た物であり、俺が命を落とす事に成った二十一世紀初頭に成っても未だ『自分達の宗教的価値観』だけが『正義』で異教徒には何をしても構わないと言う勢力が世界に混乱を齎していた。
そうした迷惑な連中の信心の根底は実在したかもあやふやな『神』で有り、その教義を説いた者が残した『経典』だけだったが、ソレが実際に大きな権力に成って居たのも事実である。
対して此の世界では神々が実在する存在として世界樹や各地の社に滞在し、必要が有るならば実際に相対する事も出来るし、何なら教えを直接授かる事すらありえる場所だ。
そうした神々はやろうと思えば、その権能を用いて人類程度の存在は一寸世界樹に記録された情報を改竄するだけで殺す事は勿論、場合に依っては存在自体を『無かった事』にも出来るし、その範囲を一族郎党にまで広げる事すら可能である。
世界樹の神々がその権能で排除出来ないのは、世界樹に記録されて居ない異世界の存在や、世界樹の守備範囲外の存在である精霊や霊獣と言った存在、そして其れ等の力に依って作られた物である『鬼の砦』や『古代精霊文明の遺跡』等だ。
故に此の塔の中に神々に取って都合の悪い記録が残っている可能性は零では無いし、ソレを持ち出して大々的に広めようとした場合に神々の不興を買って『キレイキレイ』されて仕舞う可能性も零では無い。
今の所、俺が接触した此の世界の神々は何方かと言えば、此方に対して友好的な者達ばかりだったが、此の先もずっと此方に悪意を向ける神々と出会う事が無いとは断言は出来ないだろう。
「……確かに帝国の連中なら自分達に都合の悪い何かが有った場合に、ソレを握り潰す程度の事はやるでしょうね」
神々の話をするまでも無く、人間以外の人類に対して非道な扱いをするのを国是とする帝国には思う所が有ると言うストリケッティ嬢は苦虫を噛み潰した様な表情で吐き捨てた。
人は……人類は誰しも一人で生きて行く事等出来やしない、誰かが耕した畑で取れた作物や誰かが獲って来た肉や魚を口にする以上は、人類最強の一角を占めると言うお花さんですらソレは例外では無いのだ。
御祖父様や一朗翁辺りならば生活に必要な物全てを自力で手に入れる様な事も出来るだろうが、態々そんな文明の外へと出て行く様な面倒な事はしないだろう。
「うん……取り敢えず今日はこの辺で我慢するとしますか、今度は一人で腰を据えて此の塔を再攻略し、その時にゆっくりと此処の本を読み尽くして、持ち出す事が出来そうな情報だけ取捨選択する事にしますよ」
……どうやらストリケッティ嬢と言う人物は、歴史や考古学に傾倒して居るだけで無く読書狂いの類でも有るらしい。
見た目や態度はとことん好みなんだが、残念ながらその辺の嗜好は同じ趣味とは行かなかった様で、俺は安堵と無念の入り交じる溜め息を吐いたのだった。




