千八十 志七郎、書庫で歴史を知り奥向を考える事
其処には図書室の名に恥じぬ幾つもの書棚と、其処を埋める無数の巻物や石板と少数の製本された書物が安置されて居た。
そんな中でストリケッティ嬢が先ず最初に手を伸ばしたのは、如何にも最初に此れを読めと言わんばかりに書見台に設置されていた書物だった。
「えっと……玉猪竜の塔取り扱い説明書? で良いのかな?」
表紙に書かれたその書物の題名と思わしき古代文字を、少しだけ困惑した様な声で翻訳して読み上げる。
取り扱い説明書って……一階の入り口周辺に設置してあるならば未だしも、こんな難所を幾つも超えた後にしか読めない場所に、そんな物を置いたのにどんな意図が有ると言うのだろうか?
「中身も……うん、私が知っている古代異世界文字で間違い無い、此れなら私でも読めるぞ。先ずは此の塔を建てた経緯の説明から始まっているみたいだね」
そう言ってストリケッティ嬢が翻訳しながら読み上げて行く、その話に依ると此の塔が建てられたのはスフィンクスのミケが言って居た通り、世界樹を守護する最初の八柱の神々が人に類する種族をを産み出して少しした頃だと言う。
当時は未だ世界樹も成長しきって居らず、自然現象の管理なんかも神々が自力で行うか、霊獣や精霊達の権能に任せた本当の意味での自然に近い状態だったらしい。
けれども八大神達は四組の番いとなり子供の神々を多々産み出し、その子等の権能と人類を尖兵として使い、既に文明と呼べるだろう物を築いて居た霊獣達を自分達の麾下に組み込む為に戦いを挑んだのだと言う。
その頃の世界には霊獣達が探すまでも無く数多居り、対する世界樹の神々は両手両足の指で数え切れる程度の数しか居なかった。
尖兵として産み出された人類は『産めよ増やせよ地に満ちよ』と言う別世界の宗教の言葉を実直に実行した結果、それ相応の数に増えては居たが霊獣や神々と人類では基本的な能力が違いすぎた。
神々も霊獣達もそして霊獣側の雑兵とも言える精霊達ですら、基本的に人類の手では殺す事の不可能な存在なのだ。
そんなトンデモ存在同士が打つかり合う戦場で人類が役に立つ訳も無く、戦神や軍神に武神と言った神々と、ソレすら喰らう古龍王と呼ばれる神殺しの龍達の戦いを見上げる事しか出来ない背景でしか無かったらしい。
と、そんな戦乱の時代にも異世界の魔物達は漁夫の利を狙ってか、此の世界へと攻め寄せて来て居たと言う。
世界樹の演算能力が今程では無かった当時は、異世界から攻め寄せて来ていた魔物達は、元いた世界の人口が増えすぎたが故に、他所の環境の良い世界へと植民する為に攻めて来て居たのだ。
「そして当時から既に自分よりも強い異世界の存在と番う事を願って此の世界を目指した女性型魔物は居た様で、此の塔は……霊獣達が異世界の女性形魔物と色々な事をする為の練習施設として建てられたんだそうです」
途中までは澱みなくすらすらと翻訳し説明してくれていたストリケッティ嬢だったが、読み勧めて行くと顔を真赤に染めてそんな事を言ってから、一旦本から顔を上げて深呼吸をして落ち着こうとしている。
……彼女は『色々な事』と濁したが、恐らくは取説にはもっと露骨に『色々な事』の具体例が書かれていたのだろう。
そりゃ真っ当な倫理観を持つ者ならば此の身体の年齢の子供にそんな話を聞かせたいとは思わないだろうし、何よりも嫁入り前の娘さんが口にする様な事じゃないのだから、彼女の反応は全く不自然な物では無い。
寧ろ恥じらうその姿は俺の心臓を鷲掴みにする様な物で有り、両手を合わせて『有難や』拝んだりしたい程だ……まぁ変な奴だと思われたく無いので自重するけどな。
「ああ、うん、火元国では女お……女性型魔物を倒して嫁にするのは武勇の証として割と一般的な御伽噺ですし、理解出来ます大丈夫ですよ。ついでに言うと俺の兄の一人が四人程女性形魔物を嫁にしてますしね」
言い淀んだ内容に対して此方がそう補足を返すと、ストリケッティ嬢は少しだけ微笑んだ後
「……女性形魔物を四人嫁にしてる!? いやいやいや、君が言った通り女性形魔物を討伐して嫁にすると言うのは御伽噺の類だよ!? ゑ!? 本当! 何その確率! 女性形魔物が出現するのなんて十年に一度有るか無いかの話だよ!?」
一瞬の沈黙を挟んでから驚愕の表情でそんな叫び声を上げた。
「なんでも俺の地元ではその年が当たり年だったとかで、一年の間に七体の女性形魔物が出現したらしいんですよね」
説明が面倒なので妾では無く嫁と言ったが、此の世界では洋の東西を問わず一夫一婦制が正しいと言う価値観は無い。
無論、男女間の好いた惚れたの話は感情の問題なので『夫が自分以外の女に色目を使った』なんて理由で夫婦喧嘩に成るなんて事はザラに有る。
実際、家の父上も他所の女に浮気した時には母上に凹々にされたらしいので、問答無用で一夫多妻や多夫一妻に多夫多妻なんて家族形式が認められると言う訳でも無い。
火元国では正妻や側室は何方も正当な手続きを踏んで御家に迎え入れた女性で有り、その子供は家督相続の権利を持つが、妾は外に作った愛人でその子供は飽く迄も私生児で有り例え父親が解って居ても家の跡目を継ぐ権利を有しない。
極々稀に正妻や側室との間に男児が産まれず妾の子が男児だったりした場合に、正妻の子として養子縁組をした上で家督を継ぐ事も有るが、その場合でも妾は飽く迄も妾のままで家中に口出しする事は絶対に許されないのだ。
父上が母上に凹られたのは正妻である母上に話を通す事無く、他所に妾を囲おうとしたからだ、大名足る者正々堂々と側室として召し上げれば良いのに、そうしなかった事で飽きたらポイと捨てる下衆の行為だと糾弾されたのである。
側室や妾と言った者達は御家の中では奥向に属する事に成る為、その管理者は正妻でなければ成らないのが火元国の流儀なのだ。
「それだけ奥さんを抱えていると仲を取り持つだけでも大変そうだね。家も私の母と兄上の母が居ますが余り仲が良くないので、お父様は色々と苦労してますよ」
そう言うストリケッティ嬢の話に依ると外つ国……少なくともニューマカロニア公国は、火元国の様に正妻を他の側室達が立てると言う様な文化は無いようで、二人の妻を持つらしい男爵はその手綱を取るのに中々に苦労して居るらしい。
まぁ火元国でも以前の浅雀藩野火家の様に、夫が妻達の序列を乱す様な真似をすれば、必ずしも正妻が奥向を掌握出来るとは限らないんだけれどもな。
それでも母上が介入してからは、正室と側室の仲も改善したらしいので、やはり火元国に置いては正室が奥向一切を取り仕切る文化がある……と言って間違いは無いだろう。
その辺の文化の違いは恐らくは国や大陸でも色々と違うだろうし、火元国でも御祖父様や義二郎兄上の様に『女房は一人居れば良い』と言う者も居るし、絶対に正妻以外に側室を娶らねば成らないと言う事も無い。
……万が一正妻との間に子供が出来ないなんて事が有れば、御家存続の為に側室を取って子供を儲ける必要が有るが、俺とお連の場合は彼女の血筋こそ御家の正当として大事に成る為、側室を取ると言う選択肢は無い筈である。
とは言えその前に俺の息子さんが元気を取り戻さなければ、子供が出来る以前の話なんだがね。
「さて……続きを読むとしよう、えーっと此の先は此の塔に隠されている宝物の一覧表か。うわ!? 真銀の鎖帷子とかなんで此処に有るんだ!? と言うか、銀の短剣もだけれども霊獣って人型の者の方が少ない筈だよね? なんでこんなに道具類が充実してるんだ?」
真銀の鎖帷子は俺も一着持っているが一着で安くとも五両、十両《約百万円》で売っても引きが有るだろう価値の有る逸品だ。
ソレが満月の度に収穫出来ると言うのであれば、確かに此の塔は単独の遺跡荒らしにとっては良い稼ぎ場なのだろう。
そんな感じで俺はストリケッティ嬢が取扱説明書を読み進めて行くのを大人しく聞いて居るのだった。




