千七十九 志七郎、古代文字の原点を知りええ格好する事
「ほほぅ錬玉術の霊薬とは……私が此の塔に引き篭ってからどれ程の月日が流れたのかは分かりませんが、外では随分と技術の発展が有ったようだね」
俺達が水中呼吸の首飾りだけで無く、他の道具や武器なんかも手に入れる事無く登って来た経緯を説明すると、ミケと名乗ったスフィンクスは関心した様にそう言った。
彼女の言葉に依ると一階には特に隠された道具は無かった物の、二階には銀の短剣が、三階には水中呼吸の首飾りに水中でも取り回し易い細身の三叉鉾が、そして四階には悪食粘液に喰われない生きた布の外套が有ったのだそうだ。
落とし穴への対策と成る道具は無いらしいが、水中呼吸の首飾りさえ有れば四階から三階に落とされても、面倒臭くは有るが致命的な問題では無いと言う事なのだろう。
他にも口にする事で魂力を回復させる『イモリの黒焼き』や、読む事で魂力を消費し傷を癒やす呪文の書かれた巻物なんて代物が有ったと言う。
なお巻物は他にも幾つか有り、其れ等は全部外へと持ち出しても使用可能では有るが、其れ等を書写したりして複製した物は何故か効果が発動しない為、書かれた呪文に効果が有るのでは無く、巻物と言う道具の方に権能が宿っていると考えられて居るらしい。
「ちなみにその巻物に書かれている呪文って、どんな文字で書かれているんですか?」
ストリケッティ嬢の話では古代精霊文明期には、未だ此の世界に現在使われている様な、各大陸で独自に使われている言語や文字は無く、遺跡で見つかるのは多くの場合異世界由来と思しき文字が刻まれた石板なんかがだと言う。
「それは勿論、三千世界共通語だよ。そう言えば君達の前に来た者の中には巻物に書かれた文字が解らないから使わなかったなんて言って居た者も居たが、もしかして外では三千世界共通語はもう廃れて居るのかい?」
三千世界共通語と言う言語なんか聞いた事も無いと思ったのだが、少し考えて俺は過去に其れに触れて居た事に思い至る。
前世の世界に飛ばされ其処から帰って来る道中、様々な異世界を通って来たのだが、その間に極一部の世界を除いて紗蘭が通訳する為に使っていた言葉は殆ど変わらなかったのだ。
恐らくは界渡りをする猫又達や鴉達が使う、無数の異世界でも通用するのが三千世界共通語と言う奴なのだろう。
「三千世界共通語と言うと、世界樹の神々に拝謁する時に必要と成る聖歌の為の言葉だった筈だ。もしかして古代異世界文字って聖歌語の事なのか?! いやでも博物館に展示された其れの解読は公爵家に召し抱えられた考古学者達の努力の結果だった筈だし……」
今現在、三千世界共通語は完全に廃れたと言う訳では無く、神々に仕える立場の聖歌使いや、聖歌の発動に至らない神職の者達の間には今でもしっかりと伝わっている物なのだそうだ。
しかし公国に居るそうした立場の者達が、博物館に所蔵された幾つもの古代異世界文字が刻まれた石板の解読に協力したと言う様な話は無いらしい。
「もしも古代異世界文字と三千世界共通語が同じ物だとすれば、彼等の協力を得る事が出来れば考古学の世界がひっくり返るぞ! と言うか世界樹の神々も上層部ならば当時の事を直接知ってる筈だよな? 神々が駄目でも森人の長老とかなら話を聞けるか?」
ストリケッティ嬢は冒険者の中でも遺跡荒しを主な仕事としたいらしいが、其れは古代遺跡の宝物で一獲千金を狙うと言う性質では無く、何方かと言えば考古学的な好奇心から其れを志望して居る者らしい。
考古学と言うのは過去に有った事例に対して、其れを実際に見た者が居ないからこそ、遺物や記録を紐解いて事実を推し量り推測して行く学問だ。
けれども此の世界には世界が創造されたのと殆ど同時に産まれた、世界樹の神々と言う生き証人が存在して居る故に、彼等から当時の事を聞く事が出来れば、殆どの疑問に答えが出る可能性が有る。
とは言え世界樹の神々は過労死する者が決して少なく無いと言う、極めて過酷な労働状況だと言う話を何処かで聞いた覚えが有るので、そんな神様達の上層部に直接拝謁する機会等そうそう無いのだ。
ではストリケッティ嬢が言った様に、森人の長老と呼べる様な者に話を聞く方法が有るかと言えば其れも微妙な所だろう。
なんせお花さんに聞いた話に依ると、森人と言う種族はその美しさ故に天網が整備されるまで多くの者が奴隷として酷い扱いを受けていたが故に、彼等は神々の庇護下に入り代わりに身の回りの世話をする奉仕種族と成ったと言う話だ。
と言う事は恐らく其れ以前の時代に生きて居たであろう古い森人と言うのは、生きて居ない可能性が極めて高いし、もしも生きて居たとしても年老いた森人は徐々に睡眠時間が増えていき最後には一年に数時間程度しか活動せず眠り続ける様に成るらしい。
其処まで行くと本当に生きて居ると言えるのかどうか微妙な気もするのだが、寿命と言う物の無い妖精系の種族が老いると言うのはそう言う事なのだろう。
なお同じ妖精に区分される山人や草人は、森人の様に安全な場所で生活をして居ない為、其処まで老いた個体は過去に事例が無いと言う話だ。
「古代精霊文明と言うのは、此の塔が建てられた頃合いの事を指す現代語か? 其れならば私が守護する図書室に有る文献を調べれば、色々と当時の事が記されて居るぞ。勿論、文字は三千世界共通語だがな」
ミケ曰く、此の塔は古代精霊文明のと称される時代の中でも、割と後期に建造された物で此処の図書室には当時の事を色々と記録した物が収められていると言う。
「其れ考古学的に見て物凄い価値の有る物なんですけど! 其れを誰か持ち出そうとしたりして来なかったんですか!?」
物凄い勢いで食い付いたストリケッティ嬢がそんな疑問を口にする。
「私は知識の守護者だぞ? 大切な書物の持ち出しなぞ許す訳が無かろう。まぁ持ち出されても月が一巡りすれば再生するんだが……。此れはスフィンクスの本能故の物だから、まぁ仕方が無い。書物を持ち出したければ私を倒して持って行け」
……スフィンクスは此の世界に出現する魔物の中でも可也上位の強さを誇る存在で有り、彼女達を倒す事が出来るのは其れこそ冒険者組合の中でも上から数えた方が早い様な者達位で有る。
「……流石にスフィンクスを倒して書物を奪う程の実力は私には無いですねぇ」
溜め息を一つ吐いてからストリケッティ嬢が諦めの表情でそんな言葉を口にした。
「俺も負けるとは思いたく無いけれど、勝てると断言は出来ないなぁ」
十分な氣を練り込んだ斬撃を一言の呪文で受け止める事が出来る様な存在を、精霊魔法無しで倒すのは大分厳しい気がする。
可能性が有るとしたら流水爆氣功を用いて、裸身氣昂法の奥義を打ち込むとかその辺の方法だろうが、態々アレを使ってまで倒す必要が有るかどうかと言えば、今回の勝負には全く関係無い以上は無いだろう。
「とは言えただ閲覧するだけならば止める理由は無い。無論書物を毀損する様な真似をすれば容赦はしないがね」
ミケはそう言って顎で自分の横に有る扉を指し示すと、前足で保持して居た本に再び視線を落とした。
「どうします?」
塔の攻略には関係無い横道で有り、寄り道だと言う事は明らかなので、俺個人としても無視して先に進んでも構わない。
けれどもストリケッティ嬢が興味津々である以上、彼女を放って置いて先に進むと言うのも戸惑われる所だ。
……正直に言えば彼女が彼だったならば、此処で放置してその間に俺が一人で塔を踏破すると言う選択肢を取るのだが、自分の物に成る事は無いと解っているとは言え、此処まで好みに合致した女性を放置して先に進める程に枯れては居ない積りである。
「許されるなら今度は私一人で此処に来て写本を作りたい、其の為にある程度目を通して必要な紙の量なんかを調べさせて欲しい……が、其れをすると成ると君との勝負を投げる事に成るだろう? 私はどうするべきなのだろうか?」
自身の欲と勝負を天秤に掛けて迷っているのはストリケッティ嬢も同じ様で、俺に対して選択を求めて来た。
良い女が目の前に居れば良い格好をしたいと考えるのは、スフィンクスが書物や博物を守りたいと考えるのと同様に、本能に根ざした行為である以上は避けられない物だろう。
「俺も付き合いますよ、ソレに古代精霊文明に付いては俺も興味ありますし、三千世界共通語も覚えれるなら覚えたいですしね」
抜け駆けはしないという意思を込めてそう言うと、彼女は薔薇の花が咲き誇る様な美しい笑顔を俺に向けてくれたのだった。




