百六 志七郎と暮れの元気なご挨拶の事
師走大晦日、改めて説明するまでもなく一年最後の日である。
前世ならば、運悪く当直にでも当たらなければ、大掃除も終え、あとはゆっくりと炬燵でみかんでも食べながらネット小説を読んで居たものだ。
「今日は忙しく成るぞ、志七郎其方は義二郎と共に行くのじゃ、信三郎は清吾と行け」
だがそんなゆっくりとした歳の瀬は我が猪山藩に取っては縁遠い物の様だ。
早朝稽古を終えると食事を取る暇も惜しいとばかりに父上はそう指示を飛ばし始めた。
「兄上の指示に従えば良いのですね? ですが、何処に何をしに行くのでしょうか?」
そんな父上の行動は事前に予定されていた様で、朝食には忙しい日定番のおにぎりの山が広間に用意されている。
その中から俺は前世でもよく食べた梅のおにぎりを手に取りながらそう問いかけた
「なんじゃ知らんのか? 盆と暮れの三十一日と言えば取立てに決まっておろう」
誰でも知っている常識だと言わんばかりの物言いに、
「はぁ?」
と間抜けな声が出たのはしょうが無い事だと思いたい。
「借金やツケ払いの取立てに何故我が藩が総動員されるんですか?」
握り飯を食べながら共に歩く兄上にそう問いかけた。
「商人では武士相手の取立ては分が悪いからの、主家の有る者ならばそちらに手を回すと言う方法も使えるが、浪人者が相手ではそうも行かぬでござる」
取立てと言えばヤクザの代表的なシノギの一つで有り、弱い者虐めの様な印象が強く正直武士のやる仕事とは思えなかった。
病で弱った『おとっつぁん』の家に押し入って借金の形に『娘』を奪い去る、時代劇でもそんなシーンは多々描かれていた、そんな印象の有る仕事だ。
だが俺達が向かうのは決して『弱い者』を相手にするのではなく、借金を踏み倒そうとしている浪人者や鬼切り者が相手なのだそうだ。
我が猪山藩では借財――借金やツケ払いを禁じている、いつもにこにこ現金払いが基本だ。
しかし他所は違う、露天や棒手振りの様な少額取引は兎も角、大半の商家では盆と暮れを期日とした掛売りが当たり前なのだそうだ。
当然ながら良心的な者達は期日前に自分達で商家を訪れ精算をする、積極的に払いに行かない者でも商家の奉公人が取立てに赴けば支払うだろう。
仮に何らかの理由で支払いが出来ない場合でも、悪意が有る様な場合でなければ支払いを猶予するなり、何らかの相談に乗る商家が大半らしい。
では何故我々が取立てに向かう必要が有るのか、それは踏み倒す気満々で逃げ回る者が居るからである。
暮れの期日である今日一日を逃げ切れば、自動的に次の期日である盆までは支払いが猶予されるというシステムらしく、それを繰り返す事で支払いを有耶無耶にしようとする者が一定数居るのだと言う。
「別に今日逃げられても、明日取立てに行けば良いでしょうに」
「盆暮れ二回の期日とすることは、幕府の出した定書で決められた事でござるからな、そうそう曲げる訳にも行かぬのよ」
兄上の話に拠れば、武士は幕臣でも大名の家臣でも年に三回俸禄が支払われるのだが、それらが支払われて十分に余裕がある時期が盆暮れで、取り逸れが少なくなる。
逆に何時でも取立てが出来るとなれば商家の都合が良い様に武士達から貸し剥がしするのが横行しかねないから、どちらにとっても都合が良いだろう? と言う趣旨の法なのだそうだ。
「だが少数ながらその法を盾に取って悪用する者が居るからの、商家の者に乞われて力有るそれがし達が応援に行く、と言うのが今日の仕事でござる」
「それにしたって、我が藩総動員って……どれだけ踏み倒しを狙う輩が居ると言うんですか……」
「実際の相手は数人から多くても十人を少し超える程度でござろう。ただその大半はそれなりの手練でござるがな」
まぁ、一人の犯罪者を逮捕するのに数十人掛かりで対応すると言うのは、前世でも慣れ親しんだ対応だ。
「まぁ、奴さん方が力尽くで逃げようとでもせぬ限りはそれがし達は後ろで凄んで居るだけの簡単なお仕事でござるよ」
三つ目の握り飯を頬張りながらのほほんとそう言う兄上に俺は溜息を隠せなかった。
立派な侍の仕事では無く『先生お願いします』ポジションですか……。
「先生、お願いします!」
「此方におわすお方を何方と心得る、恐れ多くもあの『鬼斬り童子』なるぞ!」
「そろそろ年貢の納め時、神妙にしろぅい!」
街を歩いていると至る所からそんな叫びが聞こえて来る。
中には聞き捨て成らない台詞があった気もするが、兄上がそれに対してどうこう言う様子が無いので、取り敢えずはスルーで有る。
「あーばよ! とっつぁ~ん!」
「居たぞ―逃がすな―!」
「追え追えー!」
かと思えば、路地から飛び出した男を追いかけて何人もの奉公人らしき者達が駆け抜けていく。
江戸の街は色んな所で騒ぎが起きているらしく、酷く騒々しく感じだ。
「なんか……凄いですねー」
「年に一度のお祭りでござるからなー」
「祭りですか?」
兄上に拠ると不思議と盆の期日はここ迄の騒動に成る事も無く、素直に支払いを済ませる者が大半なのだそうだが、暮れには毎年こんな騒ぎが江戸市中至る所で起こるのだと言う。
「本気で支払いに困ってる者は逃げ出したりせず素直に貸主に相談に行くからの。逃げるのは本気で踏み倒しを考えてるごく一部の輩、それを除けばあとは騒ぎたいだけの輩でござる」
盆には前後に夏祭りやら収穫祭やらが有り、また盆踊り等イベントが目白押しだが、この時期はさしたる催しも無く今日のこの騒ぎを含めて正月の賑わいの始まりなのだそうだ。
「商売をしてる人達にとっては迷惑なお祭りですね……」
「その迷惑を最小限にする為にそれがし達が尽力するのでござるよ」
「兄上、やけに楽しそうですね」
「例年で有らば、それ相応に腕の立つ輩と立ち会う事が出来る場なのでござる。でもまぁ清吾との立ち会いも控えておるし、それがし達が無茶をせぬ様にお主や信三郎と行動を共にせよと言われたのであろうな……」
戦場ならば兎も角江戸市中で氣功使い同士が立ち会えば周辺に多大な被害が出る、それ故例え武士同士の正当な立ち会いでも市中でやり合えば、後からお咎めを受ける可能性が有る。
だが今日に限っては追いかける側も、逃げる側も『取立て』と言うのが正当として認められる、それ故に名前を売りたい腕に覚えの有る浪人者と後腐れ無く勝負出来る良い機会なんだそうだ。
「俺を付けられたのは不本意だ、と言う事なのでは無いですか?」
戦闘狂の気がある兄上にとっては、非常に楽しいお祭だがソレをお預けにされたと言うのに、その口ぶりは決して不本意そうでは無い。
「そりゃそうでござろう? 後数日待てば最高のご馳走が待っておるのだ。そこらの駄菓子摘み食いするよりも、腹を減らしてのご馳走の方が美味いでござる」
そう言って笑う兄上の表情を見たのか、逃げようとしていた者が何人か足を止め、追っ手に捕まるのが見えた。
「兄上、人前に晒して良い顔では有りませんよ……」
「おっと、いかん……それがしの笑顔は気の弱い者には見せるなと師匠に言われておった」
俺の言葉に兄上は両手で頬を叩き表情を引き締めた、その時である。
「猪山の先生方! 至急お力添え下さいませ!」
そう叫びながらやって来たのは、たしか悟能屋の丁稚だったはずだ。
「今日はそれがしは可能な限り手を出さぬ、其方が協力してやるのだ。危ない輩は他の者が受け持っている筈でござるからな」
どうやら兄上は、鈴木との闘いを楽しみにしてるのと同じくらい、俺を戦わせるのも楽しみに思っているらしい。
その夜、除夜の鐘が響き渡るまで俺達はひたすら江戸市中を走り回るのであった。




