千六十二 お清、侮りを認め茶杯を傾ける事
プレイング・カードと言う様々な遊戯に使える絵札を用いた賭博の一つであるポーカーを暫く繰り返し、制限時間が過ぎた時には四分六分で私が打ち勝ったと言える結果に成った。
流石は一流と言える賭博場を仕切る御貴族様だけ有って、此方のハッタリには簡単に引っかかる事は無かったし、逆に向こうが大きい手が出来ている時にソレを悟らせる様な事も無く、一人の博徒としては尊敬に値する程の人物だと感じ入った程だ。
最終的に私が勝ちを拾えたのは持ち前の運の良さ、即ち良い手役が此方に来る事が多かったと言うだけに過ぎない。
……悪党には非情になれるけれども基本的に心優しい志ちゃんの事だから、相手の代理戦士が抱えた事情を知ってしまえば勝ちを譲り兼ねないし、金貨百万枚以上の勝ちを私が取って置かねば成らないのだけれども一寸難しいかも知れないわね。
正直言って私は男爵を舐めて居た、義父様の様に賭場の経営権を持って居るが本人の博才はからっきしなんて者も居るし、本当の鉄火場を知らず自分の庭だけで遊んでいる博徒気取りと決めつけて居たのだ。
しかし直接やり合って解った、相手は百戦錬磨と言って間違い無い本物の博打打ちだ。
こんな胸躍る闘いに成るのならば志ちゃんを巻き込んだりせず、純粋に博打だけで勝負するべきだったと少しだけ後悔の念が脳裏を過るが、過ぎた事を気にして次の勝負で負けては世話が無い。
此処は一旦頭を切り替えて次の勝負に備えるべきだろう。
「貴方、外つ国の珍しいお酒を召し上がるのは良いですけれども、余り過ぎない様に気を付けて下さいましね。へべれけに成った貴方を志ちゃんが担いで宿屋に帰る様な事に成ると御家の恥ですからねぇ」
気分を変える為に、博才と言う点では私に勝るとも劣らぬ実力を持ちながら、博打は嗜む程度で良い……と断言する夫に誂いの言葉を口にする。
「そんなに言う程呑んどらんぞ、ソレに必要と在らば肝臓に氣を回せばどうとでも成る故に、斯様な恥ずかしい真似はせぬわ。しかし此方の酒は焼酎の様に強い物が多いようじゃの。混合酒でも口当たりは軽いが酒精の強い物が大半じゃわい」
普段ならば私が夫を立てる為に一歩引いた立ち振舞をするのが常なのだが、今日は勝負を挑まれたのが私なので彼が一歩引いた位置で護衛の様に振る舞いつつ、無料で呑める酒を楽しんで居る様だ。
「本来ならば博打を打つ者に呑ませ気を大きくして、無駄に大きな額を賭ける様に仕向けたり、判断力を低下させる事でハッタリに引っ掛かり易くする……と言った目的で振る舞われている物でしょうから、酒精が強いのは当然なんじゃぁ無いかしら?」
我が家の下屋敷でも酒や肴は有償で提供しては居るが、ソレは飽く迄も家に入る利益を少しでも増やす為である。
此方の賭博場と火元国の賭場の大きな違いは、客が見世の者と勝負して居るのか、それとも客同士で駒を奪い合って居るのか……だと思う。
勿論、此方でも先程までやっていたポーカーの様に客同士で闘う賭博が全く無いと言う訳では無い。
けれども大半は見世に雇われた胴元が客と勝負する形式の賭博が多く、客が負ければ負ける程に見世の利益は大きく成る。
対して家の賭場は駒を銭に引き換える時点で、太祖家安公がテラ銭と名付けた手数料の様な物を頂戴する事に成っているので、勝負の勝ち負けで見世の利益が左右される事は無い。
「次の勝負までは未だ少し時間が有るの。お清はなんぞ飲むか? 其処の兎娘に頼めば持って来てくれるぞ」
夫がそう言って顎で指し示した先に居るのは、私の世話係として公爵家から派遣されたと言う兎の様な髪飾りと、胸元から両肩そして太腿から下を派手に露出させた、火元国ならば遊女でもしない様な端ない格好の娘だ。
とは言え服装云々は外つ国の事で、火元国を基準に語るのは間違って居ると思うので、その辺の事は敢えて口や顔に出す様な真似はしない。
「そうね……何か口当たりの良い冷たい御茶を持ってきてくれるかしら? 確か茉莉花茶と言うのが美味しいとか志ちゃんが言って居たけれども、此の街にも有るので有ればお願いね」
志ちゃんが茉莉花茶とやらを飲んだのは此の街では無く、留学先のワイズマンシティに有る東方大陸由来の料理を出す見世だと言う話なので、此処の賭場には無い可能性も有ったが、兎の装いをした娘は無いとは言わず一礼して取りに行った事から有る様だ。
「今日の勝負に馬比べが有れば、貴方が乗って勝利を私に捧げてくれる……なんて浪漫溢れる展開も有ったんでしょうけれども、ソレが無くて残念だわ」
彼女がその場を離れ、休憩室内に居るのが夫と私だけに成った所で、誂い半分にそんな言葉を口にしてみる。
実際、此の人が優駿を制覇した時には此れで祝言を挙げる事が出来ると言う事も有り、その勝利は私の為に捧げられた物だと思った物だ。
恐らくは仁ちゃんの婚約者の千代女ちゃんも同じ様な事を思い描いたに違いない。
ただ此の人と仁ちゃんで大きく違うのは、此の人は元服した時点で相応に女遊びも覚えて居たらしく祝言を挙げるまでも、然程変わる事の無い生活を送っていたが、仁ちゃんは下手に色断ちして居た上で色事を覚えた所為か、その手の遊びに現を抜かして居る事だろう。
(酒を)呑む(博打を)打つ(女を)買うの三拍子は男の甲斐性の内と世間様では言われているし、其れ等を知らずに大人に成った物程一度其れ等を知るとめり込んで身持ちを崩す物なのも事実。
そう言う意味では仁ちゃんは今ぎりぎりの所に居ると言えるだろう。
千代女ちゃんは私の様に直接旦那をどうこうする性質では無く、表向きは常に明るく振る舞うが実際には腹に抱え込んで仕舞う性質だと思うので、下手を打つとあの娘の能力でトチ狂った野郎共にぐさっと殺られる可能性は限りなく高い。
筋を通して側室を貰ったり、家政に関わらない様にしっかりと釘を刺した上で外に妾を作る程度ならば、甲斐性の内と折り合いを付けるのが大名の妻と言う物だとは思うが、そうした気遣いも無く他所の女で遊ぶ様な真似はやはり感情的に許せる物では無いのだ。
家の人も義ちゃんを身籠って居た時期に、一度だけ国許の城で女中を勤める娘をお手付きにした事が有るが、その時には側室として召し上げるでも無く、妾として囲うでも無いと言う不義理をやらかしたので、後に悪さを義ちゃんと同じ様に折檻した覚えがある。
「奥様お待たせしました、冷たい茉莉花茶です」
と、先程の兎娘が硝子の茶杯が乗ったお盆を手に戻って来た……そう言えば此の娘はお花殿の通訳無しに火元国の言葉を理解して居るわね。
「有難う、貴方は火元国の言葉が解る様だけれども御身内に火元国の者がいらっしゃるのかしら?」
茶杯を受け取り、その独特なけれども決して不快では無く香りを楽しみ、一口飲んで志ちゃんが其れを好んだ理由を理解する、麦茶とは又違うけれども此れは良い物だわ。
そう思いながら、兎娘に問いかけると
「はい、私の御先祖様はワイズマンシティの学会で黒の称号を頂いた程の偉大な魔法使いで、その方が火元国出身だった事も有り、我が家では代々火元語を学ぶ様にして居るんです」
そんな言葉が返って来る。
黒と言う称号が魔法使いの中でどれ程の物なのか私は知らないが、お花殿が赤の称号を持ち学会だけで無く世界で見ても随一の影響力を持つ事を鑑みれば、彼女の家に取ってその御先祖様は偉大な人物なのだと言う事は理解出来た。
とは言え其れ程優れた家柄の者が売女でもしない様な恥ずかしい格好で、給仕の様な仕事をして居るのはどうなのだろう……と一瞬思ったが、彼女が公爵家の運営する賭博場の所属だと言う事を思い出して口を噤む。
立ち位置としては上様の大奥に勤める女中とかそう言う立場の者なのかも知れない。
此処は火元国では無いのだから、羞恥心の在り方や服装の云々は口を出すべきでは無いとついさっき思ったばかりだ。
「奥様、お時間です。次の勝負会場へご案内致します」
茶杯の中身を呑み干し一息吐いたのを丁度見計らったのか、私に宛てがわれた休憩所の扉が開きそんな言葉が投げ掛けられる。
「志七郎が負けるとは思わぬが、其れでも彼奴が少しでも楽に成る様、お清お主も頑張るのだぞ」
万が一にも勝負を妨害する様な者が近付いて来ない様に刀に手を掛けたままで、夫がそんな激励の言葉を掛けてくれるのを受けて、私は小さく一つ頷くと椅子から腰を上げ休憩所を出るのだった。




