百四 志七郎、更なる頂を眼にする事
「閃光連牙掌!」
セバスさんの吠える様な叫びと共に目の前が白く染まった。
殆ど無意識に氣による防御を行わず、何の備えも無く喰らえば網膜を焼かれる様な強い光が辺りを染め上げたのだ。
光が収まり視界が戻るまでは殆ど一瞬の事だ、だが互いに手の届く様な近間での攻防ならば、その一瞬が命取りになる。
光を放つと同時に繰り出された掌底は下から顎を打ち抜き、殆どタイムラグ無く放たれた逆の拳が真っ直ぐ水月に突きこまれ大きく吹き飛んだ……様に見えた。
彼の前に立っているのが俺だったならば、恐らくは対応する事も出来ずに両方を綺麗に貰って、打ち倒されていただろう。
だがセバスさんと相対しているのが俺よりも数段上の達人――義二郎兄上だ、たった二発の打撃で倒される様では『あの一郎の弟子』を名乗れる筈も無い。
優れた打撃とはその威力のほぼ100%を無駄なく相手の身体に伝えダメージとする一撃で、相手を吹き飛ばすということはその分無駄に威力が逃げていると言う事だ。
セバスさんは義二郎兄上をして格上であると言わしめる達人らしくその攻撃無駄が有るはずが無い、ならば兄上が自ら身体を浮かせ飛んだと言う事だろう。
事実飛ばされた兄上は空中で体勢を立て直し綺麗に着地した。
「流石は師匠の御母堂の護衛を務める御方、武器を使わずともそれがし如きを打ち倒すのは容易いと言う事でござるか……」
それでも完全にダメージを殺しきれた訳ではないようで、口の中を切ったのか唇から流れ落ちる血を拭いながらそう問いかけた。
「……勘違いなさらないで頂きたい。吾輩は貴殿を侮り武器を使わぬのではございませぬ、吾輩は魔法格闘家なれば、この拳こそが最強の牙である!」
自らの眼前で拳を握りしめ、服の上からでも解るほどに全身の筋肉を張り詰めさせてそう返す。
腰に小剣を下げている事から、それが得物だとばかり思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。
「さぁ先手は此方が頂きました、次は貴殿の番です。この老骨に一太刀でも入れる事ができますかな?」
手の平を上に向け掛かって来いとばかりに手招きをするその姿は、前世に見た映画スターの様だ。
「……推して参る!」
それに対して兄上は腰に溜めを作った居合の構えで応じた。
……何故この二人が実戦さながらの立ち会いをしているのか、それは朝食の席に遡る。
「煤払いも終わり、そろそろ暮れも押し迫って来ましたし、参勤の準備をし始めねば行けませんね」
味噌汁を啜りながら、母上がなんと無しにそう呟いた。
「……暮れといえば、そろそろ清吾が帰参する頃どれほど腕を上げて戻ってくるか……楽しみだろう、義二郎?」
母上の言葉から、武者修行に出ている我が藩の武芸指南役鈴木清吾の事を思い出したらしい仁一郎兄上がそう問いかけた。
「ここ暫くは朝稽古以外は父上の護衛をして居ったからな、腕が落ちていると言う事は無いとは思うが、勝負勘が訛っている可能性は否定できぬ状態でござる。十全の状態で立ち会うには、せめて格上の相手に稽古を付けて貰えれば良いのでござろうが……」
義二郎兄上は溜息混じりにそう返すが、彼よりも格上と断言出来るであろう者は江戸市中全ての武士でも数える程しか居ない。
しかもその大半は道場主だったり、幕府の重臣だったりと、そう簡単に稽古を付けて貰える様な立場の者達では無い。
また若くして優れた……優れすぎた技量と名声を得た兄上に対して、稽古を付けるという形でも立ち会いその結果が余りにも不甲斐なければ、どうしたってその武名を落とす事に成る。
好き好んでリスクを犯したいと言う者は少ないのだ、まして我が家は決して裕福とは言い難い、そのリスクに見合う謝礼を包む事など出来はしない。
兄上よりも明確に格上ならば、家で用意できる程度の謝礼など鬼斬りに行けば簡単に稼げるのだから、受け手が居ないのもしょうが無い話である。
「……清吾がどれ程鍛えて来るかは解らぬが、八百長を疑われる様な勝負では我が藩の威信に関わるぞ」
「師匠が江戸に居れば話は早いんでござるがのぅ……」
そんな珍しく沈んだ表情を見せる義二郎兄上に対して、
「そういう事ならセバスちゃん相手してあげたら? 魔法と武術の併用を志七郎君に見せてあげるのも勉強になるだろうし」
思いも寄らぬ場所から救いの言葉が掛けられた。
「魔女様の命と有らば……」
それだけのやり取りで、義二郎兄上とセバスさんの立ち会いはあっさりと決まった。
そして、冒頭に戻る。
「セバスちゃんには君に解りやすいように魔法と格闘術を組み合わせて闘う様に言ってあるわ。高速詠唱や無詠唱魔法、精霊憑依と高等技術のオンパレードだけれども、可能な限り見取りなさいな」
お花さんの話では、セバスさんが本気であれば先程の一合撃で義二郎兄上を倒す事も出来たが、あえて手加減しているのだと言う。
それが事実で有るという事は、その後の戦いを見ていればよく解る事だった。
セバスさんが繰り出す突きや蹴りは、精霊魔法による物だろう炎や電気を纏っており、先程の攻撃にそれを乗せていれば、自ら飛んでいたとしても只では済まなかったと思える。
また時折兄上の斬撃を腕で受けては高い金属音を響かせているので、篭手でも着けているのかと思えば、自身の腕を『石』属性の魔法で石化して受けていると言うのだから、それを攻撃に転用すれば何時勝負が付いていても可笑しくは無い。
クリーンヒットこそ最初『閃光』に紛れた一手だけでは有るが、こうして少し離れた位置から見ればセバスさんは兄上が躱せるギリギリを見計らって攻撃を繰り出している様に見えた。
それも『踏み込みが甘い』『ここに隙が有る』と無言で言っているのが、俺にでも解るのだから兄上が気付かない筈が無い、当に指南その物である。
「凄いですね、魔法もそうですけれど……」
はっきり言って体捌きや反応速度が違いすぎる。
眼に氣を込める事で動体視力を高める事が出来るので、俺自身前世よりもずっと速い動きに対応出来る自信が有る。
それこそある程度距離が有れば銃弾が放たれてから回避する事も、この世界であれば不可能では無いと思う。
だがセバスさんの動きはそんな次元を超えている様に見える。
兄上の斬撃は抜手も見えぬと形容しても決して過言では無い速さで、俺が全力で眼を凝らしても動いたと思った瞬間には既に斬りつけている、それくらいの速さなのだ。
しかしセバスさんは兄上が動きだした時点では全く動いていないのに、刀が振りぬかれた時には既に受け止めたり躱したりしてるのである。
「氣の扱いもそうだけれど魔法で自身の強化もしているのよ。本気になったセバスちゃんはこの世界でも有数の使い手、ここ迄付いて来れる子の方が少ないわ。でもそろそろ終わりね……」
お花さんそう言った直後、キンっと一際高い音が響き兄上の刀が宙を舞う、いや兄上の手から刀が飛ばされた訳では無い、その手の中には柄がまだ握られている、飛んだのは鍔元から折れた刀身だけだ。
優れた使い手が氣を込めて振り抜けばただの木刀ですら岩を斬るのだ、ましてや稽古用とは言え真剣を叩き折るのは並大抵の事では無い。
その直後二人が何か言葉を交わした様だが、俺には聞き取れなかった。
けれども何となくは想像できる。
きっと二人は
「精進せよ」
「有難うございます」
そう言ったのだと思う。




