千五十一 志七郎、砂塵の彼方へと進み月下の塔を目にする事
……何故こんな事に成ったのだろう?
俺は腰の得物に手を掛け油断する事無く、砂を踏み締めながら少しずつ前へと進みながら自問する。
いや……何故と言うのは野暮だな理由なんか簡単だ、俺が猪川志七郎で有り猪川清の息子であると言うソレだけの事だ。
容赦無く吹き付ける風に乗った砂粒が口や鼻に入らない様、鼻と口を手拭いで覆って居るので大分息苦しいが、ソレでもこの砂嵐の中を進んで此の程度で済むならば御の字だろう。
智香子姉上が大分前に作ってくれた術具の眼鏡は、こう言う時の防具としても有り難い。
聞いた話の通りならばそろそろ見えて来る筈だ……砂嵐の中心に聳え立ち満月の夜にだけ姿を表すと言う玉猪竜の塔が。
何故俺が其処を目指しているのかと言えば単純な話で、母上がファルファッレ男爵と勝負する事に成った賭博の内容が『お互いの子供を玉猪竜の塔へと向かわせ頂上に有る宝玉を手に入れ戻った方が勝ち』と言うとんでも無い内容だったから。
ぶっちゃけ博打打ちも鉄火場も全然関係無い巫山戯た物に思えるのだが、俺と男爵の子が此の塔を攻略するまでの間、母上と男爵は何方も厠休憩を除いて只管に賭博で勝負し続けると言うのだから全く関係無いと言い切る程では無い。
故により正確に言うならば、俺と男爵の息子の何方が宝玉を手に入れるかだけで勝負が決まる訳では無く、宝玉を得た側は駒を金貨百万枚分追加すると言う取り決めで、母上が百万枚以上負けている場合には俺が宝玉を得ても負けと言う事に成る。
なお男爵の息子であるストリケッティ氏とは、出発前に顔合わせをしたが前世にチラッと見た仏蘭西革命を題材にした漫画に出てきそうな、長い金髪に深い碧の瞳を持つ美男子だった。
イケメン死すべし慈悲は無い……なんて事を言う様な趣味は無いが、多分あの容貌と男爵家の三男だと言う立場を鑑みれば、火元国の留学生達の様に色街に入れあげる程、女日照りが続く様な事は無いんだろうな。
前世の生涯を三十歳童貞として終えた身であり、交番勤務時代には一生懸命笑顔を作って対応した時でも女子供に泣かれた事の有る兇貌の持ち主としては、正直あの顔だけは羨ましいと心底思う。
まぁ今生では息子さんを復活させた上で、何事も無ければお連と結ばれる事に成るだろうし、前世の様に『右手が恋人です』なんて言う生涯を送る事も無い……と思えば、十分に恵まれている筈だ。
と、そんな下らない事を考えつつ風に逆らって歩く事暫し、ついに俺は砂嵐の結界を突破する事に成功し、月明かりに照らされた塔の前へと辿り付いた。
「やぁ、君も無事に付いた様だね。今回の精霊魔法禁止のルールでは学会所属の君に不利過ぎると思ったけれども、どうやら見た目相応の子供だと侮って良い相手では無い様だ」
身体に纏わりついた砂をはらって居ると、俺よりも先に付いて居たらしいストリケッティ氏がそんな言葉を掛けて来た。
「魔法の類が使用禁止と言うのはお互い様でしょう。それに氣を使う事は禁止では無い分、此方の方が有利とすら思ってますよ。寧ろ貴方があの砂嵐を超えて来れた事が驚きです」
ストリケッティ氏が身に着けているのは、恐らくはこの辺に出現するであろう魔物の革で作られた革鎧一式で、得物の方は腰に短剣を四本ばかり下げていると言う軽装と言っても良い装いだ。
俺が身に着けている防具も区分としては革鎧の類と言って良いが、大脇差に区分される長さの得物と口径の違う銃二丁を持っていると言う点で、此方の方が重武装と言えるだろう。
「私が身に着けているのは本国に留学して学んだ騎士魔法だからね、配下と成る者が居ない単独での探索では何の役にも立たないから魔法禁止云々は此方の都合と言われても仕方がないのに、君は良く命懸けの探索に来る事を受け入れたね」
南方大陸発祥の騎士魔法は、配下の兵を強化し陣形の変更や指令の伝達を迅速に行う為の物で、一軍の将が覚えれば弱卒の群れを強兵に変える事が出来ると言うある意味で『一騎当千』を成す為の物だ。
一騎当千と言うと三国志の呂布の様に一人で千の兵を打ち倒せる者を想像するかもしれないが、千の弱卒をその統率力と人望で千の強兵に出来る者も又そう形容するに相応しい……と前世に何かで読んだ覚えが有る。
騎士魔法の使い手が皆が皆一人で大軍を強兵に変える事が出来ると言う訳では無いらしいが、優れた者で無くとも小隊長や中隊長程度は務まるだろうし、彼等の強化はある程度累積するそうなので数が揃えば敵対する相手にはとんでもない脅威と成るだろう。
ちなみに累積するのは大隊長>中隊長>小隊長と言う様な感じで、優れた騎士魔法使いが正しく序列を組んだ時だけで、大隊長より中隊長の方が優れている場合なんかには効果が重なる事無く中隊長の物だけが有効に成るらしい。
故に南方大陸では騎士魔法の腕前がそのまま軍隊での序列に成るのが普通なのだそうだ。
ストリケッティ氏が態々南方大陸に留学してまで騎士魔法を学んだのは、三男と言う立場で男爵家を継ぐ事が出来ず、長男に何か有った時の予備として家に留め置かれる次男の様に働かなくても生活が保証される訳でも無い為、独り立ちの武器として得たのだと言う。
「本来ならば私は男爵家に縛られず公王軍に奉公する筈だったのだけれども……馬鹿な兄貴が馬鹿な真似をして処断されたが故、私は男爵家の私兵達の隊長と言う閑職を任される事に成ってしまった。しかし今回勝てば家を出る事を許すと言うのだから本気で行くぞ」
けれども本来部屋住みで無業者してても問題なかった筈の次男が、跡継ぎの立場を欲して嫡男に対して暗殺を仕掛けたのだそうだ。
何故そんな事を俺が知っているかと言えば、西方大陸西海岸側で最大の購読者数を誇る『ファーウエストタイムス』と言う瓦版に思いっきり素っ破抜かれて、誰しもが知る醜聞に成っているからである。
「貴方の進路を阻むのは申し訳無いですが、此方も母上に勝利を捧げると誓わされた以上は、全力で勝ちに行かせて貰います。まぁ直接戦うのとは違う勝負なので、其方が危険な状況に堕ち入れば助太刀する程度の事はしますよ」
彼の立場には同情しない訳では無いが、火元国でも武家や公家なんかでは割とよく有る御家騒動の類と言える物で、一々気にしていたら切りが無い話でしか無い。
恐らくは彼もソレは理解して居るだろう事を想定し、俺は同情の気持ちに蓋をして敢えて挑発的な言葉を吐く。
「君……良いね。子供とは思えない、けれどもあの御婦人とその御夫君の子と言う事は草人と言う訳では無く、その見た目通りの歳だと言う事だろう? 火元国と言うのは本当に神秘の国なんだね」
血のびっくり箱とでも言える猪山藩の子である以上は、父上と母上の子だから人間とは限ら無い、実際義二郎兄上の所の六つ子は全員が一目で混ざり者である事が解る容貌をして居た。
でもまぁ流石に北方大陸以外の土地には殆ど居ないと言う草人が先祖の何処かに混ざっていると言う事は無いだろう。
「火元国の全員が俺の様な化け物では無いですけれども……俺よりも強い怪物は幾らでも居ると言う点では、神秘の国と言う表現も強ち間違って無いと言えるかもしれないな」
御祖父様とか一朗翁は勿論、義二郎兄上にも未だまだ敵わない、そして彼をして自分より上手だと断言する様な強者は火元国には両手の指で数え切れない程に居る。
知っているだけでも江戸市中に有る幾つかの道場の道場主は、義二郎兄上が本気でやり合っても未だ勝てないと言う話だし、江戸州の外に目を向ければそれ以上の化け物は中藩以上の規模の土地ならば一人は居る物らしい。
「さて……月が頂点に掛かる、そろそろ塔の入り口が開く時分だ。お互い死なずに帰れる様に最善を尽くすとしよう」
俺の言葉を真に受けたのか、それとも冗談と流したのかは解らないが、ストリケッティ氏は腰に下げた短剣に手を伸ばすと、踵を返し塔の入り口へと向かうのだった。




