千四十九 志七郎、演奏に打ち込み農業政策を考える事
最初は小さく徐々に力を込めて大太鼓を打つ音が劇場内に鳴り響く。
一つだけでも腹に響く地響きの様なその音に、俺達は追従して更に面を打つ音を重ねて行き、ゆっくりとした拍子を刻む物から段々と高速の連打へと移り変わり、最後に二度大きくしっかりと撥を叩き付け一端動きを止める。
「「「はぁ! そいやっさ!」」」
笛等の管楽器を持つ者以外の全員が声を揃えて合いの手を入れ其処からが演奏の本番だ。
曲は火元国で可也広い範囲でお祭りの際に演奏されて居る『村祭り』と呼ばれて居る物で、地域に依って多少譜面の差は有るが少なくとも江戸で生まれ育った者達しか居ない今回の面子で練習した事の無い者は居ない、其れ位には一般的な物である。
前世の世界では祭り囃子と言うのは地域毎どころか、祭り毎に違うのが普通だったと記憶して居るが、此方の火元国では何故かこの一曲を覚えて居れば大体何処のお祭りにも混ざる事が出来るとされていたりするのだ。
太鼓の音が拍子を刻み、龍笛と呼ばれる横笛や琴に琵琶と三味線なんかの弦楽器が旋律を奏でる。
複数の楽器が響き旋律と旋律が重なり合う事で調和が生まれ演奏に深みが増していく。
俺達の演奏に指揮者は居ないが、その進行の全てを御前崎殿が叩く大太鼓に合わせているのだから、彼が実質的にその役目を担っていると言えるだろう。
正確無比と表現しても過言では無い御前崎殿が刻む拍子に合わせる事を意識するだけで、俺達の演奏は一つに成り優れた調和を生み出す事が出来ている……と自画自賛したく成る程だ。
そしてソレは同時に御前崎殿が武人としても十分以上の強さを持っている証左にも成る。
武術と舞踊は剣舞や演武と言った物の存在が示している様に、表裏一体と成っている部分が少なからず有ったりするのだ。
前世の世界でも高名な空手家が『バレリーノとは喧嘩するな』と言った格言を残していたりするのは、舞踊を学ぶ者の体幹が優れていると言う事だけで無く、彼等が優れた拍子感を持っていると言うのも大きい。
武……いや、運動競技全般に置いて拍子と言う物は、極めて大きな部位を絞めている。
野球や蹴球の様な団体競技では、仲間と拍子を合わせなければ様々な状況で通じる連携は生み出す事が出来ないし、庭球や避球の様な真正面から打つかり合う競技では互いの拍子を外す事が勝利の鍵と成る事も有るのだ。
運動競技に限らず将棋や囲碁の世界でも、相手の打った一手に対して深く考えずに応じた悪手を『手拍子』と言って忌み嫌う等、拍子と言う物は時に自分自身に牙を剥く事すら有り得る。
ありとあらゆる戦いは相手を自分の拍子に巻き込んだ者が勝つ、拍子の奪い合いだと言っても間違って居ないだろう。
無数の楽器が奏でる旋律と拍子の中で、自身の刻む拍子を完璧と言って良い程の維持出来る御前崎殿の拍子感は、鬼切りの場でも彼の生きる能力と成っているのは間違い無い。
「「「あーら! えっさっさ!」」」
力強く面を叩く轟音と縁を叩く軽やかな音、太鼓の音は今生に生まれ変わって正式に習うまでその二音しか無い物だと思っていたのだが、音階を刻み旋律を奏でる事こそ出来ないまでも、叩く場所や強さで無数の表現が出来る物だと知った。
残念ながら俺は未だ其れ等を駆使して自由自在な表現を出来る程の腕は無いが、師範免状持ちの御前崎殿の手に掛かれば、当然の如く細やかな音の表現で他の者達に次の動きを指示する事が出来る。
そうした音に依る指示に合わせて次の合いの手を入れ、其処から演奏する曲を変える……今度は賑やかな祭りの歌では無く、ゆったりとした拍子で表現される『田植え唄』だ。
俺達江戸在住の武士は普段から田畑に触れる機会は少ない、家に依っては庭に小さな畑を設けて居たりもするが、田んぼまで持っている武家は各地に領地を持つ大名家以外には無い。
しかしソレでも幕府から幕臣家に支給される給与は全て扶持米と呼ばれる米である。
故に家格は大名家以外でも『石高』で示されるのだ。
とは言え下位御家人家の場合には何石では無く『何俵何人扶持』という様な表現に成るが、ソレでも経済の中心は『米本位』とでも言うべき物で動いている。
無論外つ国だって毎年毎年の作柄で作物の値段が変動する事は有るが、経済の基盤は大体が金や銀と言った貴金属の価値を基準とした金銀複本位制だ。
食えば無くなる米が本位貨幣として運用されていると言うのは、前世の世界の日本もそうだったが、世界的に見ても極めて特殊な経済体系だろう。
ソレでも成り立ってしまうのは火元国と言う国が天下泰平の世と成るまで、深刻な食糧不足の土地で有り兎に角腹を満たす事こそが第一と言う場所だったからだ。
此方の世界では仏教や神道の『穢れ思想』とでも言うべき物が無い為に、肉食を忌避する文化は無いが、ソレでも腹が減ったら取り敢えずは米と言うのは向こうの世界と変わらない。
……とは言え、向こうの世界の江戸時代は末期に成ると、深刻な米余りが進み経済がガタガタに成った事も明治維新が起こる原因の一つに成ったと何かで読んだ覚えが有る。
今の所は未だ第二次世界大戦後に行われた様な『減反政策』を施行しなければ成らない程に、米余りが進行して居る訳では無いらしいので未だ火元国の米本位制度が崩れる事は無いだろう。
兎角、火元の民にとって米と田植えは何よりも大事な物だと言う事だ。
田仕事の中でも田植えは特に厳しい仕事の一つで有り、ソレを少しでも楽しく楽に済ませる為に皆で歌うのがこの田植え唄である。
本来はそんな仕事をしながら楽器を奏でる様な事は出来ず、無伴奏合唱で歌われる物だが、ソレを聴き楽譜に起こした雅な公家が過去に居たらしく、今では火元国で誰しもが知っている一般的な楽曲と成っているらしい。
ちなみに歌詞は地域に依って差が有るらしいので、今回は歌う者は居らず器楽曲としての演奏だ。
この曲は祭り囃子とは違い太鼓は主役では無く、三味線を中心にした弦楽器だ。
そして今回の楽団で三味線隊の頭を務めるのは我が義弟の武光である。
つまりこの曲の演奏中は武光が主役を張ると言う事なのだが、流石は万能の秀才と言う事か、奴の奏でる旋律には火元の民が米に掛ける情熱や悲哀に執念と言った物の全てが込められている様にすら思えた。
古今東西、国家の基盤は農業だと前世の世界で習った覚えが有る。
食料を自給出来ない国は輸入先と争う事に成ったり、経済状態が悪く成った時に飢える事に成るし、ソレを打開する為に戦争をする事すら出来やしない……糧食は戦略物資なのだ。
前世の日本は経済を優先しすぎた余りに、農業を軽視し過ぎて居たのでは無いかと、今に成って思わないでもない。
俺自身は料理を全くしなかったので、その辺の事は報道で見聞きした程度の事しか知らないが、猫喫茶を経営している友人の店で出される食材を買い入れて居た緑色の看板が特徴的な食料品店では大陸産の食材が目立っていた様に思う。
日本は何方かと言えば大陸の国とは余り仲が良いとは言えない状況だった筈だし、万が一の事態に陥った時の事を政治家達は本当に考えて居たのだろうか?
でもまぁ……米だけは自給率ほぼ十割だと聞いた覚えが有るので、最悪江戸の頃の様に粗末なおかずでドカ盛りの米を食う生活に戻れば何とか成る……のか?
ソレはソレで戦前の様に脚気で酷い事に成りそうな気がするが、まぁ恐らくそんな状況に成れば同盟国である反対側の大陸国家からテコ入れされるのだろう……多分。
……そんな他所事を考えながらでも、拍子を外す事無く打ち切れたのは、氣に依る強化のお陰なのだろう。
「「「はい!」」」
最後にドドン! と太鼓隊全員で合わせて二度大きな音を響かせ俺達の演奏は終了し、一瞬の沈黙の後に観客達は皆立ち上がり大きな拍手の雨を振らせてくれるのだった。




