千四十八 志七郎、慇懃無礼を見て母上勝負を受ける事
俺が前世にそれなりの頻度で口にしていた物よりも、大分辛口の生姜発泡飲料を手に母上達の下へと戻って来ると、見世の従業員であろう黒服達を引き連れた明らかに『御貴族様でござい』と言った風貌の男が丁度此方に向かって来る所だった。
「これはこれは赤の魔女殿、お久しゅう御座います。しかも今日は多くのお客様をご紹介頂けた様で、私からも感謝の御礼をと思い罷り越しました」
西方大陸語は……と言うか火元国以外の外つ国の言葉は、火元語程に細やかな敬語表現と言う物は殆ど無く、名を呼ぶ時に敬称を付ける事で差を付けるのが精々と言える。
とは言え『目は口ほどの物を言う』なんて諺が示す通り、人に類する種族は皆言葉だけでは無く、身振りや手振りの様な身体の動きから声色の違いに至るまで、様々な部分で意志の伝達を行っている物だ。
前世の世界でも電話越しに見えない相手に、ペコペコとついお辞儀をしてしまう様な姿を社会人に成れば誰しも一度は目にした事が有ると思うが、そう言う態度と言うのは電話の向こうにも声の調子なんかを通じて伝わっている物なのだと言う。
俺は配属された事が無いが局番無しの一一〇番で日本全国何処でも繋がる各地の通信指令室に掛かってくる多種多彩な電話は、事件性の有る緊急の物から何故ソレを警察に電話した? と問いたく成る様な物まで様々掛かってくるらしい。
そうした電話でも彼等は常に万が一を考えてしっかりとした応対をする必要が有るだ。
海外の例では有るが、家庭内暴力男の被害を受けていた女性の家族がピザの出前を頼むフリをして警察に通報し、ソレを通信者が上手に対応して事件の解決に繋がった……なんて案件も有る。
ソレが為し得たのはピザを頼むと言うには色々と不自然な感情が詰まった通報者の声や態度を聞き分ける事が出来たからこそだろう。
何故そんな事を思い出したのかと言えば、今此処でお花さんに努めて丁寧な態度を取ろうとして居る様に見える貴族は、ソレが行き過ぎて俺の目には逆に慇懃無礼な物にしか見えないからだ。
ニューマカロニア公国は西方大陸西岸地域に位置する都市国家では有るが、その本国と言うべき神聖マカロニア王国は南方大陸帝国の一翼を担う国家である。
つまり……彼等ニューマカロニア貴族も、南方大陸帝国の国是で有る『人間至上主義』に凝り固まった人物だと言う可能性は極めて高いだろう。
対してお花さんは生粋の森人で有り、彼ら南方大陸に所縁の深い者からすれば侮蔑して当然の相手と言う事に成る筈だ。
にも関わらず隣国でも特に大きな地位を占める精霊魔法学会の重鎮である彼女には、自身も国を代表する立場として敬意を払わなければ成らないと言うのは内心どんな思いを抱いて居るか解った物では無い。
「貴方は確か……この見世の経営者のファルファッレ男爵だったかしら? 以前一度会った事が有ったわね、お久しぶり。今日は楽しませて貰っているわ」
俺は勿論父上や母上所か御祖父様よりも長い時間を生きているお花さんも、当然そうした事は読み取って居るがソレを噯気に出す事無く、何処の誰を相手にしたとしても変わらない強者の笑みで返事をする。
「ええ、御新規の若い御客様達には此のニューマカロニアの夜を楽しんで頂ければ嬉しゅう思います。けれども……私の用事が有るのは其方の奥様なのですよ」
この賭博場の経営者だと言うファルファッレ男爵は、そう言いながら母上に視線を移す。
「あら……私? 西方大陸に来るのは二回目なんだけれども? 何か不躾な事をしてしまったかしら?」
賭博をしないのに酒だけ呑むのが、宜しく無いと言うのであれば父上も注意される筈だが、態々母上を指名して声を掛けて来たと言う事は、以前に一度だけ来た時に何かやらかしたと言う事なのだろう。
「赤の魔女殿が東方より連れて来た奥様が、公王様の賭博場で並み居るディーラーを打ち倒し大金をせしめたと言う話は、此のニューマカロニアで賭博場を経営する者で知らない者は居りません」
……案の定、母上は此の街一番の賭博場で噂に成る程で大勝ちをブチかまして居たらしい。
「確かに公王様の賭博場は我が国が誇る一番の見世ではありますが、彼処は飽く迄も高貴な者達の社交場で有って、本当の意味での賭博場では有りません。彼処で勝ったからと言ってニューマカロニアに勝ったと思われては困ります」
ああ、うん……奴は四天王で最弱とかそー言うノリの奴か。
「成る程、確かに彼処は鉄火場と呼ぶには少々温い場所でしたわね。で、そんな場所で勝った私を倒す事で貴方の見世こそが此の街で最強と喧伝したい……と、そう言う理解で間違って無いかしら?」
牙を剥き出しにした肉食獣の様な危険な笑みを浮かべつつそんな言葉で挑発する母上。
「ええ、そう申し上げて居ます。私はニューマカロニア公爵の家臣で有り男爵の立場を持つ貴族で有ると同時に、この見世を経営する一人の博徒。仲間の見世が舐められたままにして置く様な真似が出来よう筈がありません」
ソレに対してファルファッレ男爵も獰猛な野獣の様な笑みを返す。
……暴力団連中が何故に彼処まで見栄や面子を大事にするのか、ソレは彼等の多くが戦後の混乱期に地元の治安を守る活動をして居た事に由来すると言う。
いや、もっと古くを辿ると江戸の頃に犯罪者が恩赦を受ける代わりに、同心の下で十手を預かって治安維持活動に参加して居た『岡っ引き』まで遡る事が出来るだろう。
治安維持活動をする者にとって見栄や面子は、犯罪者に舐められない為にこそ重要な物なのだ。
故に俺達武家の者は暴力団のソレ以上に見栄や面子と言う物を大事にする、他家に舐められれば合戦を仕掛けられる可能性も有るし、家臣に舐められれば下剋上の可能性も有る、そして庶民に舐められたならば一揆や打ち壊しの様な暴動に発展する事も有り得るのだ。
そして外つ国の貴族と言うのは、火元国の武士と同様に武と政を司る立場の者達だ、舐められっぱなしで黙っている事等当然出来る訳が無い。
要するに二人の先程の会話を要約するならば『やんのかゴルァ!』『上等だオルァ!』と言う事に成るだろう。
ただ……此処での勝負は当然ながら武を競う物では無く、博徒として見栄と面子と銭を賭けての博打勝負と言う事に成る。
「貴方自身が博徒と称する以上は、配下の勝負師に打たせて、ソレを高みの見物なんて情けない真似をする気は欠片も無いと見て良さそうね。良いわ……久し振りに骨の有る相手と遊べそうね」
今生の俺に生まれ変わってから一度も見た事の無い様な艶っぽい笑顔を浮かべそう言う母上と、胃の辺りを痛そうに擦る父上の対比がとても痛々しい。
「今日は種銭を十両しか持って来とらんぞ? まぁ此処の賭け金ならソレだけ有れば十分勝負には成るだろうがの」
十両は此方だと金貨三千枚に換算する事が出来る大金であり、この見世は最低賭け金が銀貨からなので、普通に遊ぶには十分過ぎる種銭が有ると言えるだろう。
けれども態々経営者の貴族が出張って来て、少額の賭け金で勝負をすると言う事は有り得ない。
「母上、必要なら俺の駒を使って下さい。大分前に猪山藩下屋敷の賭場で俺が遊ぶ為の種銭を出して貰った事がありますし、その御礼と言う事で」
俺の手持ちの駒は金貨にして凡そ五百枚分でしか無いので、焼け石に水と言った感じでは有るが、少ないよりは多い方が有利に成るのは間違い無い。
「ああ、そうね。今日の私は一人の博打打ちじゃぁ無くて若い子達が無謀な博打で身持ちを崩さない様にする為の監督役なのよ。それに折角の大勝負なら日を改めて大々的にやった方がお互いの為に成るんじゃぁ無いかしら?」
しかし母上は俺の言葉で冷水を浴びせられた様な顔で冷静さを取り戻し、勝負その物を興行として観客を呼び込む事を提案する。
「流石、流石は公王のディーラーを尽く打ち倒した女博徒……恥をかく覚悟は出来ていると言う事でしょうかね? それとも私を舐めて居ると言う事でしょうか? 何方にせよ其方から言い出した事だ。大観衆の前で赤っ恥かかせてやるから覚悟して貰いましょう」
この場で勝負したならば精々今この場に居る客達の間で話題に成り、ソレが人伝に噂に成る程度で済むだろう。
だが興行として観客を入れた勝負と成ると負けた方の恥は、今勝負するのと比べ物に成らない程に大きく成る。
旅の恥としてかき捨て出来る母上は兎も角、地元であるファルファッレ男爵が負けた時に被る被害は想像するのも恐ろしい。
だと言うのに勝負に乗って来た彼は、自身で言う通り生粋の博徒なのだろう。
我が母上ながら恐ろしい勝負に手を出した物だ……俺は背筋を伝う寒気に身を震わせながらそんな事を思うのだった。
本来の次回更新予定日は10月6日深夜なのですが
その日ガルパン最終章四話公開日で劇場まで出掛ける為
執筆更新の時間が取れません、真に申し訳無いのですが
次回更新は10月7日深夜以降と相成ります
ご理解と御容赦の程宜しくお願い致します




