千四十五 志七郎、賭博の心得を聞き法の不条理に口噤む事
「良い皆、火元国の博打と此方のギャンブルの最大の違いは、客同士が駒を奪い合って居るのか、見世と客が勝負して居るのか……と言う事よ」
俺達が泊まっている宿屋と比べても遜色無い、此処が公王の御城ですと言われたら信じてしまいそうな豪奢な建物の前、入り口から少し外れた噴水の有る広場で母上が博打初心者の皆に向けてそんな言葉を口にする。
火元国で行われる博打は賽子を使った『丁半』と『ちんちろりん』に花札を使った二人対戦の『来い来い』が有名所で、この辺は多分前世の日本人でも全く知らないと言う人は少数派だろう。
ソレに加えて三人でやる花札の『花合わせ』や、株札と言う専用のカードを使ったり花札やトランプで代用されたりもする『追帳株』辺りは知っている人は知っている程度の無名な遊戯ではなかろうか?
更に百人一首歌留多を使った『坊主めくり』、囲碁や将棋に麻雀なんかも勝敗で幾ら点数や勝敗の差で幾らと賭け事の種類だけで言えば、日本や火元国も決して外つ国に負ける事は無い。
しかし其れ等全てに共通して居るのは、基本的に賭場は場所を貸し勝負の運営はするが、賭け金は全て客の金で回していると言う事だ。
遊戯の内容に依っては『親』とか『胴元』と呼ばれる立場を客が務める事も有るが、見世側が勝ち負けに関与し賭け金を支払う事は無い。
「飽く迄も火元国の賭場は客が支払った賭け金の一分をテラ銭として徴収するだから、賭場側の人間が博打に参加する事は基本的には無いの。だから猪山の様な小藩でも公認賭場を運営していけるって訳」
猪山藩下屋敷で運営されている公認賭場で母上や俺達兄弟が遊ぶ事も有るが、その際に使う駒は全部自分の小遣いから出す事に成っている。
つまり運営側の人間では無く、飽く迄も客として遊んでいると言う事に成る訳だ。
ちなみに母上が『テラ銭』と言う言葉を使ったが、仏教の存在しない此方の世界に寺は無く、寺社が守護不入を利用して賭場を開きその上納金を寺社に納めたから『寺銭』と言う語源は此方の世界には無い。
では何故テラ銭と言う言葉が通用するのかと言えば、公認賭場制度を整えた家安公がテラ銭と言ったから、慣例的に其れ以降ずっとそう呼ばれている……と言う話で有る。
「賭け金の中から運営費を差っ引いて配当を計算して居ると言う点では馬比べも一緒よ。だから『博打ってのは胴元が一番儲かる様に出来ている』って言う御老人達の言葉は決して間違いじゃぁ無いの」
ちなみに馬比べは火元国だけで無く世界的に行われている競技で、その配当の計算も概ね世界共通だったりするのは馬神カルキと言う世界樹の神が其れを制定し運営して居るからだと言う。
まぁ前世の日本で行われていた競馬程の売上が有る訳では無いにせよ、賭け金の総額から二割五分を差っ引いて、残りを勝ち馬に賭けた者に配当する……なんて作業を手計算でして居たらどんだけ時間が掛かるか解った物では無い。
対して其処に世界樹の持つ高度な計算能力を利用出来る神が力を貸して居ると言うのであれば、不人気馬に大きな額が賭けられたとしても即座に賭け率を変更すると言う事も全く問題無く出来る筈だ。
……と言うか、向こうの世界の日本でも競馬は戦前から行われて居た筈だが、個人用電子計算機所か電子式卓上計算機すら無い時代には手計算で全部やっていたと言う事に成る。
恐らく当時は俺が死ぬ前の様に賭けるのと同時進行で掛け率が変わるとかは無理だっただろうし、勝敗が決まって直ぐに払い戻しをする事も無理だったのだろうと思う。
その辺、今現在の向こうの世界と遜色無いと言ってしまうと言い過ぎだろうが、少なくとも勝敗を決してから即座に払い戻しを受ける事が出来ると言う状態に有るのは、件の馬神様の御力添え有っての事なのだろう。
「でもね此方のギャンブルってのは基本的に客同士の勝負じゃぁ無いのよ。ディーラー……火元の言葉だと胴元と言うのが一番しっくり来るかしらね? と客が勝負するのが此方のギャンブルで基本的に客が勝てば見世が損をするって言う形なのよ」
……言われて見れば確かに!? 俺自身は特に賭博の類を好んでして居た訳では無いが、捜査四課で国内の違法賭場に踏み込んだり、海外での捜査研修中に違法カジノの摘発を経験したりして居るので何方の賭博もある程度知識は有る。
けれども母上が指摘するまで、胴元の立ち位置と言う物を考えた事すら無かった。
いやだが海外でもカードを使ったゲームの中でもブラックジャックは確かにディーラー対客の構図だったが、ポーカーは客同士の勝負だった様に思う。
でもポーカーも役を揃えたらその役に応じた倍率で払い戻す……なんてルールのゲームも有った様に思うし、その辺は多分『国や店に依る』のだろう。
それでも確かに母上の言う通り海外の賭博は客対客では無く、客対店と言う物が多いのは事実の様に思える。
パッと思い浮かぶだけでも『スロットマシーン』に『バカラ』『キノ』『クラップス』に『ルーレット』更には上記したブラックジャックも全ては客対店の賭博だ。
対して日本で行われていた博打は確かに客対客が殆どで、店との勝負と成ると『パチンコ』位しか思い浮かばない……いや、パチンコは法律上は賭博では無く飽く迄も『遊戯』で、高価な景品を買い取ってくれる店が同じ敷地に有るのは偶然でしか無い。
うん、建前上は博打じゃ無い事には成ってるが、どう考えても無理が有るよなぁ……。
まぁあの辺の界隈には出世競争に負けて、同期や後輩から命令を受ける立場に成るのを厭う警察官の再雇用先が有るので割と『なぁなぁ』でやっていると言う事情が有る事も理解はして居るが、ソレで法律の抜け穴を作って良いと納得はしていない。
とは言えパチンコ業界全体を見れば国に落とす税金は決して馬鹿に出来る額面では無いので、ある程度は『必要悪』と言う事で見逃しておくしか無いのだろう。
個人的に言うならば国や地方自治体が運営する公営ギャンブルの方が直接税金に成る分マシだと思うのだが、何処の街でも手軽に入れるパチンコやパチスロの店の方が、鉄火場臭を漂わせたおっさん達犇めく公営よりも入り易いと言うのは理解出来なくも無い。
「今夜行く此の見世は公爵家の直接運営では無いらしいけれども、その傘下に居る貴族が経営して居るそうだから、然う然う御家の名に泥を塗る様な馬鹿な真似はしないとは思うけれども油断しちゃ駄目よ、バレないサマはサマじゃないんだから」
にこやかな笑顔でそう言う母上だったが最後の一言を口にする一瞬、鉄火場の女帝が顔を覗かせた。
『バレなけりゃ犯罪じゃない』は前世の世界でも性質の悪い暴力団連中や半グレ共が良く口にしていた言葉だが、少なくとも死後の世界と地獄が存在する事を知った今となっては、法で裁けぬ悪も死後の裁きは逃れる事が出来ないと確信している。
「と、ウチの母上が寝言を抜かしてますがバレなくても如何様は如何様だし、そんな手口で銭を手に入れて御天道様の下を呑気に歩けますか? って事も考えましょうね。まぁ母上も俺達にバレなけりゃ如何様しても良いと言ってる訳じゃぁ無いと思いますが」
母上の言葉の意図は見世側がバレない様に如何様をする可能性を念頭に置けと言う事なのだろうとは思うが、言葉尻を曲解してバレなけりゃ如何様しても良い……と考える者が出ない様に念の為釘を指して置く。
「寝言とは酷い言い草ねぇ、とはいえ言いたい事は解るしまぁ良いわ。最後にもう一つ、博打は鬼切りと同じく何が起こるか解らない物よ、九分九厘勝ったと思える状況で負ける事も有るし、丁半で半が十連続する事も有る。どんな状況でも冷静さを忘れたら負けよ」
俺の言葉に先程の殺気とも怒気とも付かないソレでも剣呑な物を感じさせる雰囲気を消し去り、再び柔和な笑顔で話を〆た母上に
「「「はい!」」」
博打初心者達の群れは気合の入った返事を返してから、鉄火場へと足を向けるのだった。




