千四十四 志七郎、観光業を楽しみ再会に死にかける事
それから数日、俺達は宿屋の広間を一つ借り、昼間は演奏の稽古に励み夜に成るとお花さんの案内で観光をする……と言う様な感じで生活を続けて居た。
ニューマカロニア公国には昼間に観光するべき場所が無いと言う訳ではない。
世界樹の神々が降臨する以前にこの大陸に有ったと伝えられている古代文明の遺産を集めた『マカロニア考古学博物館』や、ペンネ四世の作品を含め多くの美術品を収蔵する『ナポリタン美術館』等の文化的な場所。
西方大陸一の高さを誇りワイズマンシティをも眺める事が出来るストラストフェラ展望台と、その上から下まで無動力で一気に下るローラーコースターなんかも人気が有るらしい。
けれどもニューマカロニア公国観光の目玉はやはり夜の観光で、初日に行った黄金真珠劇場以外の劇場は勿論、色っぽいお姉さんが接待してくれる酒場や、其処から流れでお泊り出来る連れ込み宿なんかで皆は楽しんでいた。
……なお後者の方は俺と武光には未だ早いと言う理由で、最初の一杯を呑んで場の雰囲気を軽く味わったら、お花さんと一緒に宿屋へと帰る事に成ったがね。
とは言え、そうした日でも宿屋内に設けられた小劇場で演劇や笑劇を楽しむ事が出来て居たのだから、此の街の観光業は本当に凄いと言えるだろう。
そして今夜はとうとう此の街の観光業で最も繁栄している稼ぎ頭とでも言うべき場所へと連れて行ってくれるらしい。
ちなみに俺個人としては博物館や美術館に行って見たいと思うのだが、他の野郎共の殆どはそうした文化的観光に興味は薄い……と言うか性的観光の方が楽しい様で、昼間の観光に行きたいと言う声を挙げる者は他に居なかったりする。
まぁ俺も一度は三十路を回った歳まで行った事が有るから、そうした欲求を満たしたいと言う衝動がどれ程抑え難い物かは理解して居るがね。
「流石に賭場で遊ぶ種銭は自腹でお願いね。手持ち足りない子は宿屋の中に冒険者組合の出張所が有るから其処で下ろしておきなさいな。無理な賭けをしないなら金貨で十枚も有れば一晩中遊べる位かしらね?」
此方の金貨一枚は三千枚で一両と概ね等価なので火元国の銭に換算すれば可也お安い額面で、普段から鬼切りに励んで居れば決して出せいない程の額でも無い。
それでも今夜行くのは最高級の見世に比べれば二段も三段も落ちる比較的お安いな賭場だと言うのだから、上を見上げればソレこそ天井知らずの世界なのだろう。
尚お高いお見世だときっちり正装をして居なければ入れない、と言う様な服装規定が設定されていたりもするらしいが、今日行く所は明らかに不潔な格好とかで無ければ特に問題とされる事も無い『緩い』場所らしい。
そんなこんなで皆が懐も含めて準備を終え宿屋を出た直後だった、
「志ちゃぁぁぁあああん! 久しぶりぃぃぃいいい!」
母熊の低空組討からのサバ折りへの連続攻撃!
きゅうしょに あたった! こうかは ばつぐんだ!
「ぐふぅ!?」
……常道的に氣を纏い、ソレを咄嗟に身体の耐久力を上げるのに回して無ければ、良くて背骨の骨折、悪くすれば腹回りで身体が上下真っ二つに千切れ飛んで居たかもしれない。
其れ位にヤバい力で俺は締め上げられ、氣を纏う為の呼吸も維持出来ず肺に残った空気を吐き出してしまう。
「おい、お清! 幾ら久しぶりに息子に会って嬉しいとは言え少しは力を抜け! そのままでは志七郎が潰れてくたばるぞ!」
あと数瞬そう言って父上が止めるのが遅ければ、俺はめのまえがまっくらになって、此処で冒険は終わってしまう事に成っただろう。
「げほ……げほっ……父上有難う御座います。母上もお久しぶりです」
父上の制止はしっかりと母上の耳に届いた様で、抱擁そのものを解く事は無かったが、込められた力は常識的な物へと移行し、俺は無事に呼吸を再開する事が出来た。
「御免なさいね志ちゃん! お母さん、つい嬉しくて力が入り過ぎちゃったわ」
母親に抱き上げられている今の状況は、今生での実年齢を考えれば未だ恥ずかしがる必要も無いのだろうが、残念ながら三十路を回った事の有る中身の入った俺に取っては顔から火が出る程の恥辱と言えた。
「母上、皆が見てますから離して下さい!」
一噌の事、母上が放ったしめつけるで気を失う事が出来ていれば未だマシとも思えたのだが、人生そうそう上手くは行かない物である。
でも此処にお連が居ないのは不幸中の幸いと言えるかもしれないな。
「えー? 良いじゃないの。久しぶりなんだしねぇ? ソレに今日は皆が慣れない賭場で酷い大負けをしない様に監督する御役目をお花殿から仰せつかって居るし、ちゃんと見世に着く前には下ろしてあげるわよ」
流石に実母を相手に氣を使って暴れて無理やり抜け出す様な真似をして、怪我を負わせるのは本意では無いので其処まで本気で抵抗はしない……が、どうやら今日向かう賭場まで俺は母上に抱かれて連行されるらしい。
「ちなみに問うが火元国で賭場で遊んだ事の無い者は居るか? その手の遊びをした事の無い者は手を挙げよ」
そんな俺が向ける助けてと言う視線を見なかった事にしたのか、父上は此方を無視して一行にそう問いかける、すると大半の者が手を挙げた。
火元国では(酒を)呑む(博打を)打つ(女を)買うの三つは男の甲斐性の内と言われて居り、ソレを一切経験せずに大人を名乗るのは憚られる……と言うのは町人の常識で、武家の次男三男其れ以降は呑む買うは兎も角、打つに付いては禁止して居る家が多いらしい。
基本的に猪山藩の下屋敷で営まれている様な『公認』賭場では、種銭を貸す事はして居ないが、江戸市中で密かに営まれている非公認の賭場では種銭を持たずに遊ぶ『鉄砲』と言う行為が横行して居るのだそうだ。
公認賭場を営む藩は江戸州内に幾つか有るが、その何処もが富裕層向けの見世で種銭は最低でも今日と同じく十両は無いと十分に遊ぶ事は出来ないが、そうした非公認賭場では文銭単位で営業して居る所も多いと言う。
とは言え数文程度を賭けた所で営業側の取り分であるテラ銭を引かれれば、勝っても高が知れている。
其の為、大きな種銭を持たない者は賭場の親分に種銭を借りて博打を打つと言う訳だ。
そして熱くなって借金を重ねて身持ちを崩す……と言うのは前世の世界でも割と良く聞いた博打中毒者が人生から転落する流れと一緒である。
此処に居る者達は火元国でも鬼切りで決して少なくない銭を稼ぐ能力を持つ者達だが、そうした者を食い物にしようとする性質の悪い玄人と其奴等の狩り場に成る賭場が決して無いと言う訳では無い。
……まぁ俺が向こうの世界から此方に帰る努力をして居る間に、母上の鬱憤晴らしにそうしたヤバい賭場が幾つも潰されたらしいが、鉄火場の経験を積んで居なければ其処がそう言う場所かどうかの判断は付かないだろう。
故に多くの武家では嫡男が家を背負ってから悪い遊びにハマらない様に公認賭場で慣らす事はすれども、次男三男以降の者に其処までする財力が有る家は少なく、だからと言って安い賭場では食い物にされ兼ねない為に一律『禁止』として居るのだと言う。
「お主達の多くは無事に此の留学を終えれば、正式に幕臣魔法使いとして一家を建てる事と成る。謂わば嫡男と何ら遜色ない立場に有ると言っても良い。今日は儂とお清にお花殿が主等の後見と成る故、羽目を外しすぎぬ程度に博打と言う物を学ぶが良い」
非公認賭場は兎も角、公認賭場はある程度以上の家格の武士ならば、社交場として出入りする必要も時には有ると言う。
「遊びを知らずに生真面目一辺倒で江戸へと出てきた田舎侍が、江戸で悪い遊びに嵌り御家を傾けるなんて話は枚挙に暇が無い程だ、幸い御主等は此方でも呑むと買うは相応にしておるとお花殿から報告は受けておるからの、恥を欠かぬ程度に打つも慣れて置け」
「「「はい!」」」
にやりと男臭い笑みを浮かべそう言った父上に、留学生達は声を揃えてそんな返事をしたのだった。




