千四十三 志七郎、確信を得て酔いしれる事
ペンネ四世を称える歌劇の後は、しっかりとした舞台装置を惜しげも無く使った寸劇が二本程演じられ、ソレに俺は何処か既視感の様な物を感じていたのだが、最終演目を飾る曲を聞いた瞬間、ソレが何故なのかを悟り客席からずり落ちそうに成った。
管弦楽団用に編曲されているが、コレは前世の俺よりも上の世代の日本人ならば、余程偏屈な人間で無ければ誰もが知っている曲だ。
厳格な曽祖父が家長を務めて居た前世の我が家では、基本的にテレビはニュース位しか見ず、アニメなんかを見る事が許されていたのは小学校の低学年位までだった。
そんな家ですら毎週土曜日の夜には此の曲が〆を飾る国民的笑劇番組だけは『月曜日に学校で絶対話題に上がるから』と言う理由で、兄貴と共に見る事を許可されていたのだ。
割と下ネタ塗れのあの番組には曾祖父さんも眉を顰めて不快感を露わにしていたし、学校の保護者会なんかでも『子供に見せたくない番組』として話題に成ったりしたそうだが、そんな事はお構い無しに子供は見たい物を見て話題にする。
そしてそうした話題に乗り遅れると、徐々に距離を置かれる様に成り、最後には省にされたり無視されたりといった虐めの原因にも成ったりした物だ。
んでその番組の終幕を飾る曲と演出が略々丸っと模倣されて居るのだから、ペンネ四世と言う人物は、向こうの世界かソレに極めて近い世界から来た者で、尚且つ日本人か日本文化に精通した者だと言うのは先ず間違い無いだろう。
向こうの世界でも日本人は自分達で自嘲の類とはいえ『変態民族』とか言われてたりもした位だ。
そして幾ら模倣だらけとは言え、此方の世界に一大娯楽都市を作った人物が、芸術的素養が全く無いと言う事は無いだろうし、芸術家特有の奇人性を持ち合わせて居ても何ら不思議は無い。
そうして笑い有り涙有りモッコリ有りの舞台の幕は居り劇場は割れんばかりの拍手の渦に包まれたのだった。
「あの劇場で俺達が演奏するとか……本当にやるんですか先生?」
劇場から宿屋への帰り道、僅かに震える声でそんな事を言いだしたのは、大太鼓担当の御前崎殿だ。
……まぁ気持ちは解る、向こうの世界の感覚で言えば地域の公民館辺りで定期演奏会をして居る様な趣味の楽団が、いきなりテレビで生演奏を披露しろと言われて居る様な物だ。
芸で身を立てる覚悟を決めて一心不乱に努力をして来た者ならば、表舞台へと駆け上がる一世一代の大舞台とその機会が有った事を喜ぶのだろうが、俺達の本業は飽く迄も『武に依って立つ者』である武士である。
手慰み程度の芸……とまで卑下する積りは無いが、俺達の楽器演奏は飽く迄も武士として恥をかかない為の教養に過ぎず、御前崎殿の様に臆しても不思議は無い。
「そう心配する必要は無いわよ、今回は貴方達が主役と言う訳では無いわ。飽く迄も近隣地域から幾つもの楽団を集めて競わせる音楽祭に参加すると言うだけよ。ソレも世界の反対側の火元楽器とその演者が珍しいから招かれたと言うだけだしね」
何処から話がニューマカロニア公爵家に漏れたのかは知らないが、確かに世界の反対側の音楽は物珍しさと言う点で言えば最大級と言えるかもしれない。
「つまり余達は珍獣の類の様な扱いで呼ばれた……とそう言う事か? ならば完璧な演奏で聴衆の度肝を打ち抜きのが一番の意趣返しであろうよ」
しかしその扱いは武光の反骨心に火を点けた様で、彼は臆する様な素振りも無く、逆に他の者達を煽る様な言葉を口にする。
「珍獣の見世物扱いは確かに御免で御座るな……なれば火元国を代表する者として恥を晒さぬ程度等と日和った演奏をする訳には行かぬの。全身全霊魂を込めて芸神様のお褒めの言葉が得られる様な物にせねばな」
ソレに乗っかって更に煽る様な言葉で皆を奮い立たせようとする塩沢殿。
「「「ぉぉぉおおお雄々!」」」
どうやらその目論見は無事に成就した様で、皆が戦の直前に挙げる様な鬨の声を夜空に響かせる。
「さて、いい感じに気合も入った様だし、そろそろ宿屋に戻って夕御飯にするわよ。此の街の料理はワイズマンシティとは比べ物に成らない位に美味しいわよ。まぁその分御値段は張るけれども今回は公爵様の奢りだし皆お腹一杯食べなさいな」
と、お花さんが言った所で丁度俺達は宿屋へと辿り着き、少々遅い夕食を食べる為に食堂へと向かう。
どうやら俺達がこの時間に戻ると、事前にしっかり手配がされていた様で、食卓に着くなり直ぐに料理が運ばれて来た。
「食前酒、キールです」
甘い香りと共に鼻に届く酒精の臭い、前世の日本ならば俺や武光の前には絶対に置かれる事の無いだろう完全な『酒』だ。
しかし此処ニューマカロニアでは『お酒は二十歳に成ってから』と言う様な法律は無く、一口で呑み切れる程度の量の酒ならば赤子以外は皆口にする物らしい。
まぁ最悪氣で肝臓を強化して無理やり分解を推し進める事も出来るだろうし、俺は此方の世界に生まれ変わって初めて御屠蘇以外の酒を口にした。
赤い色の葡萄酒と思わしき香りの酒は、前世に呑んだ事の有る赤葡萄酒とは違う仄かな甘みと酒精の辛さが合わさって何とも言えない芳醇さを醸し出している。
……どうやら今生の此の身体は前世の二十歳に成ったばかりの頃の俺よりも、酒精に対する耐性は強い様で、麦酒よりも濃い酒精を感じたと言うのに顔に血が集まって来る感覚は無い。
「前菜、トマトとモッツァレラのカプレーゼです」
給仕の男性がそう言って食卓に置いたトマトとチーズ、ソレにバジルを添えた料理を見て、俺は此処で饗される料理の種類を理解した。
コレは向こうの世界で言う所の伊太利料理だ。
流石に正餐で饗される様なお高いお店に行った事は無いが、何処の街にも大体有った激安イタリアンのチェーン店には何度か行った事は有り其処で食べた覚えがある。
「第一の皿、菠薐草とリコッタのラビオリです」
然程の量が饗された訳では無い前菜に比べて、二皿目なのに第一の皿と第されたソレは、常人の三倍食うのが当たり前な猪山人に合わせた量が出されている様で、俺と武光には他の者達よりも多い量が浅い平皿に山盛りで出されて居た。
前菜もそうだったが乾酪の味が濃い、只単に大量のソレを使っている……と言う事では無く、そもそも乾酪自体の質が前世の日本で食べた事の有るソレよりも濃厚な物なのだろう。
餃子の様な皮に包まれた菠薐草とチーズの濃厚な味わいは少し食べる分には良いが、大量に食べると成ると一寸飽きて来る。
そんな事を見越してなのだろう、第一の皿には脇に汁物の入った丸皿も添えられていた。
トマトの赤が綺麗な具沢山の野菜汁物は前世にレトルトの奴を飲んだ事が有る、恐らくはミネストローネと言う奴だ。
沢山の野菜が入ったソレはしつこく無い旨味に満ちて居り、乾酪で鈍った舌をさらりと流して又ラビオリを食べる元気をくれる。
「第二の皿、豚鬼のバラ肉と根菜の煮込みです」
ごろんっと大きな肉の塊とその周りに申し訳程度に添えられた人参や蕪と思しき野菜、肉刀を入れて見れば殆ど抵抗無く切れると言うよりは、肉の繊維が解れて自然と別れたと言う感じに成るまでトロトロに煮込まれている。
そんな柔らかな肉を肉叉で運び頬張れば、口の中一杯に広がる肉と野菜と出汁の旨味……うん、コレは一寸ワイズマンシティでは食べられない贅沢な味だな。
「副菜、白龍髭菜と人参のソテーとフリコです」
肉汁に溺れる様な感覚を楽しみながら、その一皿を平らげると次に出てきたのは二種類の野菜を焼いた物と、恐らくは馬鈴薯を潰した物に乾酪を搦めて焼いたであろう物だ。
コレは……美味いが想像を超える様な逸品と言う訳じゃぁ無いな。
「甘味、料理長自慢のカッサータです」
野菜盛りを食べ終えると、どうやら此処で献立は終わりの様で、〆の一品として白いアイスクリームの様な物に色とりどりの乾燥果実が入っている物が出てきた。
恐らくは氷属性の精霊魔法を使って作られているだろうソレを肉刀を使って一口大に切り口に入れる……うわ!? コレも乾酪か! でも果実の甘みと少し酸味の有る乾酪の味が合わさって全くしつこく無い。
コレは俺好きな奴だ、睦姉上にも食べて貰って再現してもらいたい……いや、もしかしたらノートPCに落として有るレシピ集の中に作り方有ったりしないか?
でもこんなに質の良い乾酪が火元国で手に入るだろうか?
新たに見つけた好物の味に俺は酔いしれ、将来領地を得る事が出来たならその一角で酪農をして良い乾酪を作るぞ! なんて事を考えていたのだった。




