千四十一 志七郎、宿へと入り切なさを感じる事
盗賊達を次の宿場でニューマカロニアの兵士に引き渡した後は特に大きな問題にぶち当たる様な事も無く、公国の首都……都市国家なので他に都市が有る訳では無いが一応は公都ラザーニャと呼ばれる街へと到着する事ができた。
都市国家の首都なのに国名と公都の名が違うのは、此処が南方大陸に有る『神聖マカロニア王国』と言う国の王家の血筋を引く分家筋に当る『マカロニア公爵家』が統治する街で有り、本国の首都がマカロニアなのでその名を使うのは恐れ多いと言う事情が有るらしい。
それならソレで首都名をニューマカロニアにすれば問題無い様な気もするのだが、すると今度は『新しいマカロニア』と言う名が、本家に対する反意の現れだ……と難癖を付けられる可能性が有る為に避けているのだと言う。
ならば国名の方は問題無いのかと言えば決してそんな事は無く、マカロニア公爵家がそう名付けたのでは無く、飽く迄も南方大陸に有る本国との区別を付ける為に周辺の都市国家がそう呼んでいるから……と言う建前に成っているらしい。
兎角そんな国名やら都市名やらの時点で色々と面倒臭そうな事情を抱えた此の街だが、着いて見れば西方大陸に来たからには一度は足を運んだ方が良いと言われるだけの事は有る豪華な街並みが目に飛び込んで来た。
裏通りを覗き込んだりした訳では無いので、此の街の全てがそうだとは断言出来ないが、少なくとも表通りに限って言えば、前世の世界で『歴史ある観光都市』と称されて居た色々な国の街と比べても決して見劣りする物では無い。
敢えて言うならば街灯の類が一切無い故に夜は相応に暗いのだろうと思える程度で、日が未だ完全に落ちては居ない此の時間帯ならば、綺羅びやかな街並みを此れから暫く滞在すると言う宿屋に向かう道すがら楽しむ事は十分に出来るだろう。
「おお! あの見世の前に有る像は金細工か? あれ程の宝物を見える場所に飾っても盗まれぬとは……此の街は江戸よりも治安が良いと言う事で御座ろうか?」
ワイズマンシティにも帝王餐庁の入り口に飾られた金龍の像みたいな宝物を堂々と掲げる見世は有ったが、彼処はミェン一家の首領が営む見世と知られて居る為、生半可な盗人が手を出すような事は無い。
対してこのラザーニャの街では、ソレと同等に見えるお宝がぱっと見るだけでも幾つも、表通りに飾られて居るのが目に入る。
「此処は元々ワイズマンシティに向かう道中に有ったオアシスを開拓しただけの街。碌な産業も無ければ外国に売り込める資源が有る訳でも無い。そんな中で外貨を獲得し続ける為に観光と言う産業を打ち出している以上は、安心して遊べる街にするのは当然の事ね」
誰かが漏らした言葉に返答するお花さんの言に依るならば、此のラザーニャと言う都市は世界中を見渡しても、五本の指に入る位には治安維持に力を注いでいる街だそうで、此処より確実に安全と言えるのは世界樹の御膝元位の物だと言う。
と、そんな感じで街並みを見ながら進むだけでも十分観光して居る気分に成って居る俺達だが、ソレも宿泊予定の宿屋へと着いた事で終わりを告げる。
……うん、正直事前に話を聞いて居なければ、此処が宿屋だなんて思わない、絶対公爵家の城だと思うだろう、そんな豪奢な宮殿の如き建物が目の前には有った。
当然、こんな所に俺達が自腹で泊まる様な事は出来なくは無いだろうが、ソレでも痛い所では無い出費になる筈の上等な宿屋だが、此処の支払いは俺達を招いた公爵家持ちだと言うのだから俺達の懐は一切痛まない。
「さて、それじゃぁ先ずは騎獣と馬車を厩舎に預けて、それぞれの部屋に荷物を置いて来て頂戴。此処はマカロニア公爵家が経営して居る宿だから、当然相応の警備が敷かれているから荷物を盗まれる様な心配はする必要は無いわよ」
態々盗まれる云々とお花さんが言及したのは、この世界では宿の類に泊まった際に荷物を置きっぱなしにすれば、大概の場合『誰か』に盗まれる事に成るからだ。
ソレは当然手癖の悪い従業員と言う事も有れば、他の宿泊客と言う事も有り得る。
しかし此の宿屋の従業員は皆が公爵家の家人で有り、一時の気の迷いで客の持ち物に手を付ける様な事をしたのが発覚すれば、主家の名誉に泥を塗ったと言う理由で、一家郎党諸共に処刑されるのだ……と言う話が実しやかに噂されていると言う。
更には客に依る窃盗が有ったとしても、ソレが客が行ったと証明出来なければ、当然疑われるのは従業員と言う事に成る為、内部の警備も可也厳重に行われているのだそうだ。
まぁ此処は此の街でも最上級の宿屋で有り、南方大陸からワイズマンシティに留学してくる諸国の王族なんかが泊まる事も有る場所だと言うのだから、相応の警備が行われているのは当然の事なのだろう。
「で、身一つに成ったなら、早速貴方達が演奏を披露する予定に成って居る劇場を見に行くわよ。此の時間なら夜の公演を見てから戻って夕飯を食べて休むって流れで丁度良さそうだしね」
火元国で劇場と言えば芝居小屋か見世物小屋の類を想像するのだが、恐らくは火元国の物では無く前世の世界で想像される様な舞台演劇や管弦楽団の公演が行われる様な場所の方だと思われる。
そんな場所で俺達が演奏するのかと一寸気後れする部分が無い訳では無いが、お花さんが俺達を見る妙に生暖かい視線を気にしつつも、取り敢えず俺達は全員彼女の言う通り荷物を宛てがわれた部屋に置いて来るのだった。
劇場内に響き渡るその曲は、前世の日本で運動会によく聞く様な、或いは三時のお八つに丁度良さそうな和洋折衷菓子の宣伝で聞く様なそんな物で、行われている出し物は長い裙子を振り乱し踊る美しい女性達の演舞。
うん……コレは所謂『フレンチ・カンカン』と言う奴だ。
曲がモロに向こうの世界で聞いた事が有る奴なのは、恐らくコレにも過去の転生者や転移者が絡んで居るからなのだろう。
そして更に此処に来る前にお花さんが生暖かい目をして居た理由も理解出来た……彼女達穿いて無いのだ。
前世に見たソレはペチコートと呼ばれる一種の『見せても良い下着』を穿いた上で、大胆に見せる様な演舞が特徴的な踊りだったが、此方の世界のソレは電灯の様な明るさの無い照明の中で行われる『見えそうで見えない』を楽しむ物らしい。
但し見えないのは只人の事で、俺達氣功使いは完全な暗闇でなければ氣を眼球に集中する事で、十分な明かりが有るのと然程変わらない程に見えてしまう。
其の為、彼女達が皆一様に下の毛を綺麗に整えている事もハッキリと解ってしまうのだ。
「「「うおおおぉぉぉ!」」」
向こうの世界なら完全に性風俗関連特殊営業の類に当たるだろう公演だが、十八禁等の規制が無いこの世界では俺や武光の様な子供がこうした場所に居ても何ら問題は無いらしい。
でもまぁ前世も好奇心旺盛な子は小学校低学年位で既に異性に対する好奇心を抱き、邪な企てをする様な事も有ったし、此の手の物を十八歳に成るまで完全に我慢しろと言う方が無理筋だと思うんだよなー。
特に第二次性徴を迎え、猿の如き欲求を抱えた男児ならば艶本の一冊や二冊は、親に隠れて手に入れていても何ら不思議は無いし、寧ろそうした物にその歳頃で興味を持たない方が不健全……いや不健康だとすら思うんだ。
俺の一個下で未だまだそう言う行為に至るには早すぎる様に思える武光だが、異性に対する好奇心は十分に旺盛な様で、目を血走らせて舞台を眺めている辺り、恐らくは意識加速まで使ってガン見して居るのだろう。
この状況で冷静にそんな観察が出来てしまうのは、俺の息子さんが不健康な証拠の様で一寸だけ切なくなるが、他の皆が楽しめているならば態々興奮を冷ます様な事を言う必要は無い。
……何時か息子さんが元気に成ったなら、必ずもう一度此処に来ようと俺は固く心に誓ったのだった。




