千三十八 志七郎、国境を超え風俗を考える事
ワイズマンシティを発ってから三日が過ぎ、辺りの風景が乾いた土の地面に草木が疎らに生えた荒野から、砂と石に覆われた誰しもが『砂漠』と言われて想像するだろう物に変わっていた。
ニューマカロニア公国とワイズマンシティの間には、明確に国境線を遮る関所の様な物は無く、大体の感覚として『荒野=ワイズマンシティ』で『砂漠=ニューマカロニア公国』と言う感じだと言う。
普通に考えれば国境線を曖昧なままにして置けば、紛争の原因に成る物だと思うのだが、此処等辺りが殆ど不毛の地と言って間違い無い場所である事と、精霊魔法学会と言う敵に回すには一寸重た過ぎる存在が有る為に何方の政府もなぁなぁにして居るのだそうだ。
ただ一応は今日出発した宿場がワイズマンシティの管轄で、今夜泊まる予定の宿場からはニューマカロニア公国の管轄に有る……と言う事は明確に決められていると言う。
要するに何方の政府も何の価値も無い土地に線を引く為に命を賭ける程馬鹿では無いと言う事なのだろう。
「皆ー、此処から先は一寸気を付けて索敵するのよー。運良く黄金蟻と遭遇出来れば一攫千金も夢じゃないし、逆に軍隊蟻が近づいて来るのに気付かなければ私でも骨しか残らない可能性も有るわよー」
と、砂漠の真ん中を突っ切る様に整備された煉瓦作りの街道を進む馬車の御者台で手綱を取るお花さんが、周りを行く火元武士達に気を引き締める様に言う。
軍隊蟻は前世の世界にも生息して居た同名の生き物と似たような性質を持つ昆虫で、分類的には魔物では無いものの『黒い絨毯』と異名を持つ程の大きな群れに気が付かずに接敵した場合には下手な大鬼程度ならあっさり食い殺す程の脅威らしい。
そうした軍隊蟻は獲物と成る生き物以外にも砂の中に混ざって居る砂鉄や砂金を喰らう性質があるそうで、ソレが外骨格に溜まり黄金色に輝きを放つ様に成ったのが黄金蟻と言う存在なのだそうだ。
蟻一匹の大きさでは一攫千金なんて事には流石に成らないが、群れが綺麗に隊列を組んで行動する軍隊蟻は、変質する際には何故か群れ単位で進化するそうで、鉄を多く含む黒鉄蟻の群れに成る事も有れば黄金蟻の群れに成る事も有るらしい。
一匹一匹は小さくとも数百から千匹を超える程の群れを一網打尽にすれば、相応の量の金属が手に入るそうで粗鉄でしか無い黒鉄蟻は然程銭には成らないが、黄金蟻の方は大きな群れを潰す事に成功すればソレこそ冒険者を引退する資金には十分だと言う。
とは言え流石に然う然う簡単に遭遇出来る程に世の中甘くは無いし、遭遇率で言えば無進化の軍隊蟻が一番高確率な上に危険度は然程変わらないと言うのだから、道を外れて黄金蟻を探し一攫千金……なんて事を考える冒険者は殆ど居ないらしい。
ちなみに此のユデルナ砂漠に出没する軍隊蟻は、無進化状態のモノは艶の無い黒で、黒鉄蟻に進化するとその名の通り艷やかな黒鉄色に成る、何方も昼間ならば砂に溶け込む事無く遠目でも十分視認出来る色合いだそうで、しっかり索敵して居れば何ら問題は無い。
対して黄金蟻の方はその名の通り黄金色では有るものの全身に生えた産毛が艶消しの効果を発揮しており、砂漠の砂と同化する事で極めて見付け辛い為、欲の皮を突っ張らせた冒険者が不意を突かれて全滅する……と言うのはよく有る事なのだそうだ。
「おーい焔羽姫、どうだ何か見えるか? 蟻だけじゃなく他の動物や魔物の姿を見かけたら直ぐに教えてくれよー」
そんな訳で俺は騎獣としての四煌戌に加えて、上空からの偵察要員として今日は焔羽姫も召喚して飛んで貰って居る。
彼女も江戸で仁一郎兄上の所に居る鷹や鳩達に空の正しい飛び方をしっかりと習って居た様で、今ではもう丸一日近く飛びっぱなしでも問題無い位には成長して居り、四煌戌の鼻で探し辛い様な敵を探すのに活躍出来る様に成っていた。
「ぴーちゅん! ぴぴっぴ! ぴっぴかちゅん!(もっと構ってよ! 必要な時だけ呼んで! 私はそんな都合の良い女じゃないからね!)」
と、上空から聞こえてきた声が聞き耳頭巾で翻訳されると……うん、此れは頭巾が無かった方が良かった奴かもしれない。
一応、普段から四煌戌の朝散歩をする際には一緒に召喚して散歩をして居るんだが、四煌戌はソレ以外にも騎獣として乗る為や精霊魔法を使う為に呼び出す事が多いのに対して、彼女を呼ぶ事は殆ど無かったからソレが不満なんだろう。
……とは言え、丸で浮気で遊んで相手として扱っている彼の様な言葉を投げ掛けられるのは少々心外と言えるが、大切な仲間なのだからもう少し彼女の為に時間を割いた方が良いのかもしれない。
「今夜は送還せずに宿で一緒に過ごそうか、偶には此方で一夜を明かすのも良いんじゃないか?」
今回の旅路にお連が一緒に来ている様ならば絶対にこんな妙な誤解を受けそうな言葉は吐けなかっただろう。
「お? 鬼切り童子殿は獣好きで御座るか? そう言えば彼の悪五郎殿も極度の獣好きで嫁御は虎の変化だったとか。鬼切り童子殿にもその血が流れて居るので御座るなぁ」
……召喚の際に焔羽姫と言う名は出している為、彼女が雌なのは誰しもが気が付いているだろう、その上で俺の発言は想像通り変な誤解を受けたらしい。
とは言えソレを言った塩沢殿口調は誂う様な感じで、弄る積りでそんな事を言ったのだと思う。
「あの子は妹みたいなモノだよ、俺の許嫁はワイズマンシティに居るからね。そう言う塩沢殿こそ色街で無駄遣いばかりしてないで本命の彼女を探したりはしないんですか?」
塩沢殿がワイズマンシティに有る色街でそこそこ名が売れる様な遊び方をして居ると言う話は、冒険者組合でも噂に成っている程で、最高級の娼館でまで派手に銭を使っていると言う話だ。
とは言え火元国の遊郭の様に三回通って顔馴染みに成ってから初めて床入し、原則浮気は許さない……なんて取り決めがある訳では無く、此方の娼館に有るのは『何時もニコニコ現金払い』位な物らしい。
後は気に入った娘に入れ込むも良し、色んな見世で色んな女性を味わうも良し……と言うのが此方の流儀なのだそうだ。
この辺はそうした衝動が未だ復活して居ない俺には全く関係無いと言えるが、猿の如き性欲を持つ思春期の男児には割と重要な話だろう。
一応は前世にそうした年代を経験した事の有る俺も、同じ夜のおかずしか無い日が続けば飽きると言う感覚は理解出来るが、実際に肌を重ね身体を合わせると成るとまた別だと思うんだ。
流石に生涯に肌を重ねる相手は一人だけ……と言う克己的な『一穴主義者』と言う訳では無いが、何人もの女性と関係を持ち後宮を運営する事が出来る程、器用な性質だとも思わない。
世の中には武光の様に本能的な物なのかそれとも血筋なのか、ソレを無意識に出来る器用者も居るんだろうが……大多数はそうじゃないから色恋沙汰に絡む刃傷沙汰が古今東西無く成らないのだろう。
その点、一夜限り遊びと完全に割り切って色んな娼館を渡り歩く様な遊び方の方が、下手に入れ込んで勘違いを拗らせる様な事に成らない分健全? な遊び方と言えるのだろうか?
前世の世界でも泡のお風呂屋さんや色っぽいお姉さんとお酒を飲む様な風俗営業の店での疑似恋愛で、のぼせ上がって一方的に本気に成ってしまい、ストーカー犯罪に手を染める様な馬鹿の話は枚挙に暇が無い程だった。
「此方に居る間は好きに遊ばせて貰おうと思って御座る。なんせ精霊魔法をしっかりと修めて火元国へ帰ったら嫁を貰って分家を立ち上げる事に成るだろうからの。とは言え恐らく俸禄は小普請組程度だろうし然う然う吉原で遊ぶなんて事は出来ぬだろうしの」
安い夜鷹や船饅頭に岡場所辺りならば、吉原遊郭の様に『浮気禁止』と言った取り決めは無いが、武家の当主とも成ると下手な場所で遊んでいるのがバレたら家名が落ちる事に成る為、基本的に安い夜遊びは町人と武家の子弟の特権と言える訳だ。
「その辺の事情は此処に居る者達は皆、殆ど変わらぬでしょう。ソレに火元国には獣耳族の遊女等居りませぬ。拙者は塩沢殿程色んな見世を渡り歩く事はしてませんが、黄昏にゃんにゃんと言う見世は気に入っている故通えるだけ通いたい所ですな」
横からそんな言葉を口にしたのは、大太鼓担当の御前崎殿だった。
「なんだ鬼斬童子殿では無く御前崎殿の方が獣好きで御座ったか! とは言え獣人族では無く獣耳族ならば未だ道を踏み外したと言う程では無いわな」
女鬼や女妖怪なんかを嫁に取る事が有り得るこの世界でも獣好きは、変態性癖として扱われる様で、ソレに近しい物を告白した御前崎殿はそんな風に言い返されても、互いに下卑た笑みを浮かべて笑い合って居たのだった。




